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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#19 鉱物

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まあ、込み入った話はともかく、なんとなく、石は宇宙っぽい気がしないだろうか。
要は石をきっかけに、自分と遠い存在に思いを馳せることで心の及ぶ範囲が広がり、日々の些細を客観視しやすくなる、というのは一つの大きな効果だろう。
少し前の話になるが、山梨県の塩山に水晶堀りに行ったことがある。水晶って掘れるの?と読み返した人なら、是非行って欲しい。
そこは一昔前に、実際水晶を掘っていた言わば鉱山である、今はすでに廃鉱となっているのだが、それでもスコップで掘り返せば、小さいものなら出てくると思う。
手の平でキラキラ光るその鉱物は、おそらく億年レベルの歳月を土中で暮らしていたに違いなく、それがある人間によって初めて太陽に出会ったのだった。おそらくその時に掘り出されなければ、さらに次の億年が過ぎていただろう。
私は、塩山での水晶堀りで、幸運にも、鉱物と人間との出会いを意識できた。それは大げさではなくて、お互いにとって奇跡のようだった。
私の中で、人間を中心に据えた時空間の概念が曖昧にされ、かといって鉱物のそれに合わせるでもなく、ただ全てのものそれぞれに適した軸があって、どれもが間違いではないと思えたことが、とても新鮮だった。
かの宮沢賢治も鉱物マニアだったと聞く。それは学術的な探究心を伴ったもので、それは土へ、やがて農業へと繋がる紐の端であった。
石とヒーリングの関わりについては、宇宙を想起させるような、遠くへと誘う何かと、石が持ち得る強いエネルギーの二点にポイントがあると思う。
心身の不調の原因を、自分を掘り下げていくことで追求する一方で、癒しというのは、その自分をとことんまで知ろうとする拘束から一旦自由になって、他者他物への好奇心を深めることで、癒されることがあると思う。
原因探しというルートから外れて、自分を心地よくリリースしてくれる何かを身近に添えておくことは、ヒーリングの別の扉である。
鉱物は、一見すると人からとても遠い存在だ。固く不動に見えるその様子から、ゼロを思いがちだが、動かずに存在するというのは、巨大なパワーがなければ不可能だと私は思う。
存在への巨大な力があるからこそ、朽ちたり、消えたりせずに、その質量を保てるのだと思う。
そのような鉱物の計り知れないエネルギーは触れることや、身近に置くことによって得られる。鉱物から、得られるものは膨大だと思う。
週末には、近くの公園や河原などに行って石に注目してみてはどうだろう?想像以上のバリエーションに驚くかもしれない。幸運にも相性の良い石が見つかったら、試しに一週間ほどテーブルの上などの目立つ場所に置いて一緒に暮らしてみるといい。
石は言葉を持たないが、語っている。それを感じることがあなたの何かを大きくしてくれるはずだ。受け皿を大きくすることは、ヒーリング力を強めてくれる。容積が大きければ入ってくる毒もすぐに薄まり、排泄されてしまうだろう。
ちなみに我が家のリビングには、沖縄の辺戸岬から来ていただいた5キロほどの石が置かれてある。小さい石だと思って掘ってみると、意外と大きかった。
先日我が家を訪れた友人が、すぐにその石に目を止めて、いい石だねーと感心してくれた。
そういえば、屋久島でばったり再会した人がいて、彼女はとある東京の飯倉にあるデザイン事務所に勤めていたのだが、現在は辞めて屋久島に移住し絵を描いて生活している。その彼女が、私が島を出るときに、土の中から見つけたという水晶を渡してくれた。
結構石と暮らしている人は多いのかもしれない。
(つづく)
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#20」は2015年8月14日(金)アップ予定。

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