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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#5 植物

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 時々、樹と話している。
 おいおい、と突っ込まれそうだが、実際、私は樹と話している。いや、正確に言えば、一方的に話しかけている。
 私は常々素朴な疑問を沢山持っているのだが、そのうちの一つが、人間は、なぜ、人間とばかりつるんでいるのだろう?という疑問だ。
 地球は、広い。そして、全体からして薄いとはいえ、海だってそれなりに深い。生物の種類はきっと星の数ほどだ。それなのに、人間は、なぜ人間とばかり付き合い、結果、人間関係に悩んでいるのだろう。そればかりか戦争をして互いに滅ぼし合っている。
 種の遺伝子伝達保存活動は、それなりの昼夜に行えば良いとして、それ以外は自由時間として他種ともっとつき合えばいいのに、と真面目に思う。
 他種と仲良くしていると、だいたい変人扱いされるのは、いったいどうしてだろう。他種でもいろいろランクがあって、イルカと仲良くすると映画化され美しく語られるのに、哺乳類を越えて爬虫類、例えば蛇と暮らしていると間違いなく軽めの変人枠が用意される。それは哺乳類から離れるほど、危うくなる傾向がある。
 かなり離れているはずの植物は、なぜか安全で、園芸を趣味にしている人は、上品で知的ですらある。だが、話しかけるとなると、どうなのだろう?私は当事者なので、客観的に判断できないが、きっとすれすれだろう。
 植物に話しかける、と言っても、そんなに大袈裟なことではなくて、猫や犬に話しかけているのと変わりない。朝に会えば、「おはよう」が口から出るし、しばらく一緒に過ごした後で離れるときは、「さようなら」、台風で枝が折れていれば、「大丈夫?」、実をもらう時は、「ありがとう」である。
 これかの声かけは、誰かに教わったわけでもないのだが、継続しているうちに、次第に植物と自分との間に何かが芽生えるのを感じ始めた。安らぎのある、不思議な温かさに、私は癒しを見いだしたのだと思う。
 もともと植物には幼い頃から親しみがあった。とは言っても、植物の名前に詳しくなるといった方向には進まず、漠然と親しんでいた。
 幼い頃は、父について森へとよく入った。昼でも薄暗い森の中では、人の住む場所とは匂いが違った。小動物が幹や葉の間から気配や姿を現し、森には自分が住んでいる人間の場所とは違う神秘があると肌で知ったのは、私が幼い頃に学んだ物事の中でも、かなり貴重なことだったと思う。私は幼い心で、森を尊敬していた。
 そんな経緯もあって、以来植物を身近に感じて来たのだが、話しかけるようになって、さらに距離が縮まった。
 
(2ページ目につづく)

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