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Sharar Lazima

Sharar Lazima

学生。バングラデシュ出身、東京育ち。名前は古典アラビア語で「重要な光」という意味を持つ。ヒップホップクルーKANDYTOWNのメンバーであるryohuのソロ『All In One』のジャケット写真を手がける。ブログでは自分の目に映る東京カルチャーを綴っていく。


恋愛前者と後者

    みなさんこんばんは。
    非常にモテないというか、精神的ハードボイルド女を辞められない私が感じられるような話になってしまいましたが、最後の方が大事なので読んでくれたら嬉しいです。

    中学の時、
    〇〇くんかっこいい、近づきたい
    近づきたら自然と意識し両思い?か、決意を固めて告白する!!とか、誰々が誰々を気にする気にしない、というような状況になる人が大多数だったように思います。

    でもこの行動って、世間では青春の一部としてみんな認識して、ある種ノスタルジックな出来事になってますけど、私は全く経験していませんし、よく考えるとそんなことなかったなと思える人も多いのではないでしょうか?
    これは私が非リア充であったからでもなく、世間でいうリア充(恋愛的)ではなかったですが、外的には「リア充」に入るような行動と生活でした。
    しかし私の場合は自我の芽生えが相当遅く、自分の人生が本当に自分と関係しているということを理解しきってなくて、なんならその頃は外人という外見以外に特にインパクトを与えるようなタイプでもありませんでした。

    少女漫画も好きだったので、ハマるようになるとさすがに?高校に上がれば?私でも高1の秋頃(文化祭後)には自然と彼氏できるものでしょう??と思っていても、そんな簡単にはいかないということを知って、前者との深い溝の存在に気付きました。

    恋愛前者というのは中学の頃から、なんなら幼稚園、小学校の頃から自然と恋する、恋されるが起こる存在であり、前者は大人になるにつれて自然と「恋愛フロー」を体得していくのです。
    恋愛をするというのはこうこう、こういう手順を踏み、恋人同士の中ではタブーな言葉はこういうものである、このタイプの人間には押してから引いてみる、気にならせて告白させてみるというのが、小さい頃言語を体得したようにスッと入ってきているんです。比較的若い年齢で、ませているのが特徴だと思っています。また自我の確立も早く、自分のすべき反抗も行動も早くにわかっています。

    恋愛後者というのはこの逆です。自我が確立されており、自分はこのような性質があり、こういうのは嫌で、こういうのを好む、というのを把握した上で、恋愛をする人々です。自分の条件と相手の条件を照らし合わせて判断をします。素直な人も拗れている人も、どちらも恋愛後者に入りますし、大多数が意外と恋愛後者であると思います。比較的理性的に物事を考えられ、こんなに酷いことされても、遊び人でも私は好きで居続ける!!!みたいになることは少ないように思います。
    恋愛前者への憧れと羨ましさが故に、わざとこの様な状況を作り出して楽しむタイプもいるかもしれませんが、まぁそれは置いておきます。
    この恋愛後者には特定の年齢があるわけではなく、それぞれの自我の確立の早さによって変わってきますし、恋愛前者も大人になるにつれて、結局は恋愛後者になっていきます。

    小学生とかの頃、足が速い男の子がモテたりしていましたが、25歳の女の子で足が速い男の子が好き!!という人は、まだ出会ったことがありません。この小学生の頃の現象から、人間の根本は生命力で相手を判断しているとも考えられるし、周りの環境によって文化的価値観が決まります。都会に近づくにつれ、この文化的価値観が進化していきます。
    また、その文化的価値観というのは結局自分の周りの環境や状況、周りの他人に対して相対して判断していますし、モテ価値観も結局は相対的モテ価値観であると言えます。自分のモテ価値観は相対的に判断していないか?ということを疑い続け、環境や状況を抜きにして本質的に自分はどのような人が好きなのだろうと考えられるような人が居ても面白いなと思います。

    全てを削ぎ落として考えた時に20、30台でも、私は足が速い男の子が好き!!となっても良いはずです。

    なんだか話をややこしくしてしまいましたが、一番重要なのは
    恋愛前者は後に恋愛後者になれたり出来るけど、恋愛後者はもう一生恋愛前者になることはないということです。

    「恋愛フロー」を自分で経験しながら、本を読みながら、または恋愛前者の真似をしながら、物理的に勉強していくしかないのです。
    なんだか肌がすべすべに見えて、ものすごい細いわけでもないけど、でも制服や体育着が様になる、ノースリーブや制服をきても違和感ない、髪の毛先が揃っていて綺麗で、写真に写る時も素敵な笑顔で自然とピースができような魅力ある、みんなが気になるあの子になることは一生できません。

    自分の青春時代の、中高生の時代に限らず、情報過多や何かに対する執着や、相対的価値観だけであの人と話していなかったり接していなかったこと、あの人と一緒に出来たかもしれないこと、気づけていなかった人生はもう一生戻ってきません、あの時間に戻るということは一生出来ないのです。

    もし、恋愛後者であり自分の自我の芽生えと照らし合わせた時に、いまが青春の人が見ていましたら、恋愛前者のように上手くできなくとも、不器用でも良いから好きな人や気になる友人に対し、今できる最大の自分のすべき反抗も行動もしてみるべきだと私は言いたい

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