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フィリップ・ガレル『ジェラシー』インタビュー

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— 「私は天使を失わなかった」というタイトルは かなり謎めいています。

フィリップ・ガレル「この表現はモンテーニュ高校時代の老教師 のものだ。私にとって非常に重要な人物だったこの 老教師は、作品内の最後でルイが会いに行く老人として演じられている。彼はルイに言う。『自分は実人 生のなかの存在よりもフィクションの登場人物のほうが理解しやすい』と。私はこの国語教師と、彼の年齢が許すまで会っていたんだが、最後に会ったときにこう尋ねてみた。『あいかわらずあなたは神を信じていませんか?』。すると彼は答えた。『ああ、信じていない。だが私は天使たちを失わなかった』。今でも忘れられない言葉だ。その後、彼は死んだ。お わかりのように、作品内では、このフレーズはむしろ子供を手放さなかったという事実に向けられている。つまり男と女の別れは、娘との関係にひびを入れはしなかったということだ」

— たとえばルイ・ガレルはどの程度脚本に介入しているのでしょう? 彼がこの役を演じることは最初からわかっていたわけですし、あなたはすでに4本彼と仕事をしています。そして彼はあなたの息子でもある…..。登場人物の構想に彼が関わっていないとは考えにくいのです。そもそも役名も同じ「ルイ」です。

フィリップ・ガレル「彼は脚本に直接には関わっていないが、もちろん私たち脚本家は彼がこの役を演じることをもともと知っていた。あからあの『ルイ』という登場人物は、あれやこれやのシチュエーションで彼自身がどう反応するか、ということを想定しながら書かれている。だから作品内のルイは当然ルイ・ガレルに似ているだろう。私は俳優としての彼を長いあいだじっくりと研究する機会に恵まれてきた。同じように、若い頃は自分の父に対してもそうだった。これは私にとって大きな助けになる。それにルイの即興演技は見事だ。彼は与えられた下絵の枠組みのなかで発明をおこない、うまく進化し、自分独自のものをそこにもたらすことができるんだ」

——いずれにしろ前提として、俳優たちには多くの自由/余白が残されているわけですね。

フィリップ・ガレル「そうだ。シーンとシーンのあいだに何らかの余白が残されていなくてはいけない、というのはルイの言葉だが、私もそれに賛成だ。そこに開かれた通路を通り、書かれたものと即興演技されたものとが、ある統一的な形式に、そして真実の形式に到達する作品をつくるということ、その大部分は、私にとって作品がおのずと生まれ来るようにすることを意味するんだ。私の役割は作品をそこに置いておくとだけだ、とも言える。 本の作品をつくるとき、私は自分の意向に囚われないし、事前に用意された企画図を完成させようとするのでもない。つまりまず作品の幻影があり、つづいてそれが実現される、ということではないのだ。あるのはただ実践のみだ。脚本を書く、撮影をおこなう、そのなかでなにかがかたちをなし、実際の行為のなかでなにかかが姿を現す。それはラストに流れる曲で歌われていることでもある。つまり『そこに君の荷物を置いておけばいい』」

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