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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#27 さようならで暮らす

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さようなら、とは最近使われなくなった言葉ではないだろうか。

「じゃあね」「また」などに取って代わられて、今では恋愛の終わりなどに使われる特別な言葉になりつつある気がする。

語感は美しい。一度も濁らずに、流れるように口の中に響き、「あ」音で終わる。「あ」は日本語では始まりの音だ。さようならと何かに別れを告げつつ、始まりに戻る感じも文学的で美しい。

外国人に、別れる時に交わす日本語を教える時に、私は「じゃあね」や「またね」を選ばずに、「さようなら」を必ず教えてしまう。普段使わないのに、なぜか「さようなら」なのだ。そして、それを口にしたあとで、ちょっとだけ照れ臭くも誇らしさを感じてしまうのだ。日本語って美しいよなあ、と。

ちょっと話は脱線するが、小学生の頃、オフコースの「さよなら」をよく聞いていた。もしかしたら、小田和正さんの唄声の美しさも、私の「さようなら」を創っているのかもしれない。あの唄は「さよなら」で、「う」がなかったけれど。

話を戻すと、頻度が少なくなった言葉だけれど、口にすると何か特別な感情を喚起する「さようなら」を、最近私は心の中で呟くことが多い。それも一日に何度も繰り返しているのだ。それはちょっとした口癖のようでもある。まるで栞のように、ことあるごとに「さようなら」と心で唱えている。

こう書くと、なんだか病的で、暗い感じがするかもしれないが、実際はその逆で、明るく清々しい気分で、さようならを言っている。

具体的にどういうタイミングでそれをしているのか。

起床時は、さすがに言わない。普通に、おはようで始まる。だが、それ以降は、「さようなら」が結構多く出てくる。自分だけが相手だから、誰にも気づかれることなく。

まず、犬の散歩へいく。いつものコースを巡って帰り、リードを外してやる時に、「さようなら」が入る。「ああ、いい散歩だったね、さようなら。」こんな具合である。

まだ月が朝空に残っていたら、さようならを告げる。朝ごはんを食べ終えたあとも、ごちそうさまと手を合わせたあとで、さようなら。美味しい食べ物を与えてくれて、ありがとう、さようなら。皿などの洗い物をする。最後の一つをラックに収めたあとでも、さようなら。洗濯物を干す、さようなら。部屋の掃除をする。箒や雑巾など、軽い運動になる道具を選び、ゴミを捨て、用具を元に戻したあとで、さようなら。午前中の仕事を終えたあとで、さようなら。お昼ご飯に、さようなら。電話での会話、メールでのやり取りに、さようなら。


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