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#BFF Maika Loubté Interview

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抑圧された環境にいたからこそ、音楽と親友になれました


音楽のみならず、ファッションシーンからも注目を集めるマイカ・ルブテ。引っ越しが多かった幼少時代がひとりで音楽に向き合う時間を形成したという彼女にとって、音楽は自分の一部であり、親友であった。



私は父親がフランス人ということもあって、小さい頃から日仏を行ったり来たりと、引っ越しが多かったんです。だから、親友ということばを聞いて思い浮かぶ顔がいくつかあるけど、お別れしたときの悲しい気持ちが大きい。
幼稚園から小学2年生まで仲良かった子がいて、引っ越しするときに朝から晩までふたりで泣いていたことはよく覚えています。小学生にとって日常の友だちは大きすぎる存在だから、離れるなんて堪えがたいこと。特に、女の子は恋愛する前に、友だち同士で恋するじゃないですか。嫉妬したり、取り合ったりと、感情が発達する中で疑似恋愛をして、大人になっていくにつれ友人とのあり方がそれぞれ定まっていく。私はその友情を形成する時代に、誰かとずっと繋がっているのが距離的に難しかった。


10歳から14歳までフランスのインターナショナルスクールに通っていたんですが、友だちになれるかどうかは、人種や文化などではなく、その奥にある気質がすべてだと実感しました。パッと見て、雰囲気なのかなんなのか、「この人は同じ星の人から来た人だ」というのを感じることがあるんです。そういう人とは仲良くなれる(笑)。


その頃は、親の意思決定で言葉も通じないまったく違う環境の中で自分を曲げて適応していかなくてはいけなかったことに常に憤ってた気がします。抑圧された環境にいて、しかも友情を形成する時代にずっと一緒にいれる人がいなかった。だからこそ音楽が親友代わりになって、自分を充たしてくれる大切なものになったような気がします。


音楽は自分の出口であり、入り口。出ないと詰まっちゃう。気付かないうちからそうやって自分をまわしていたと思うんです。12歳くらいまでクラシックをひたすらやっていたんですが、自分の感情をぶつけて音にするのは、ポップスを作るのと同じ表現だと思います。作曲家がこの曲を書いたときはいまの私と同じ気持ちだった。だから、「わかる! シューベルト、その気持ちわかるわ!」と思いながら弾く、そういう少女時代(笑)。感情を投影するにしても、人には人が必要なんですよね。
ポップスを聴くようになって、さらに世界が開けました。もしかしてこれは自分で作れるんじゃないかと思って、最初はピアノで見よう見まねで作って、ドラムを入れてみたいとなって。そこで母国語の国に住んでたらバンドをやろうとなってたんでしょうけど、言語の壁もあったので、そこまで自分を活性化できなかったんですよ。それもあって、親に頼み込んでドラムを打ち込めるキーボードを買ってもらってひとりで作リ出しました。
そうやって音楽で自由になって、人として成長できてから、高校時代にようやく友だち関係が築けた気がします(笑)。


あと、弟とはずっと仲がいい。家族に課せられる問題が大きければ大きいほど、姉弟の絆が強くなっていったので戦友みたいなものです。いきなりフランスに行って言葉も通じないから、家に帰って弟と遊んでばかりという時期もありました。フランスではプレイモービルが安かったので、それを作って、弟が脚本を書いて小芝居をするという暗い遊びをよくしていて。そのときのおもちゃがごっそり段ボール箱に入ってるんですが、それはいまでも捨てられない(笑)。ふたりの青春です。

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