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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#42 和の所作

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 だが、能に惹かれた最も大きい理由は、これはヒーリングなのではないか、という勘が働いたからだ。
 背筋を伸ばして脱力。これは心身の調和が望める理想的な状態である。
 私たちは、小さい頃から頑張ることを良しとされて育てられてきた。目標を設定し、もしくは勝手に設定され、それが達成できると、息つく間もなく、次の目標が掲げられる。強迫的な達成感を、それが勝利の味と思わされ、ただひたすらに上へ上へと常に強張りながら、緊張を強いられながら、暮らしてきた。その結果、心身が休むこと忘れ、休ませ方さえも忘れ、休むことが怠惰とされて嫌われてきた。


 病気というのは、緊張が解けないことによって生まれる。天真爛漫に生きている人は、癌どころか病気にさえならない。
 かく言う私も三十そこそこの頃に、ある気功師さんに、君の心身は休み方を忘れてしまっている、と看破せれ、考えさせられたものだった。酒を飲み、リゾートホテルでいい気になっても、常にどこかで緊張していて、そう、私は若かったのに疲れていたのだった。
 最近親しくしていたある人は、常に肩こりに悩まされていた。一目見た時から、この人の肩こりはやっかいだなと感じた。大声をあげて笑い、はしゃいだ後に、ぼんやりと外を暗い目で眺めていたりする。そういう人だった。凝りというのは血流のある部位における停滞である。そこをマッサージなどでほぐせば、一時は解消されるが、しばらくすれば元に戻る。
 だが事はそんなに単純なものではない。それは体だけの説明であって、原因は体だけにはないからだ。肩こりなどの言わば、偏りのある人は、心の偏りと呼応していて、そちらが原因であることもある。いや、むしろその人の場合は、精神状態を改善しなければ、治らないような肩こりに思えた。
 肩こりに悩まされている人は、何かに執着する傾向にある。執着というと悪い感じがするが、何かの趣味にはまりやすいとうこと自体は悪いことではない。ストレスの発散ということで良い面もある。
 だが、仕事、家庭、恋人、趣味、食べ物、煙草への思いが、度を越すと、もしくは度を越しがちな状態は、言わば偏りである。精神の流れがどこかで停滞して、自己中心的で断定的な考え方思い方が増える。


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