NeoL

開く
text by Makoto Kikuchi
photo by Kazuki Iwabuchi

Fiction Issue: ワカモノ考 #01 Interview with Kazuki Iwabuchi

Kazuki_Iwabuchi_000001 (2)


——今回の写真新世紀に応募した作品を見たとき、真っ先に連想したのがアラーキー(荒木経惟)の『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社、1991)でした。同じく「近しい人の死」を切り取った写真ですよね。どうしても後から出てきたものがフィクションに思えてしまうというのは写真に限らず言えることだと思います。それでも私は、岩渕さんのあの写真が絶対にフィクションではないと感じました。


岩渕「アラーキーは自分が病気で死にかけたという経験がある人ですよね。だから “死”が作品に色濃く出ていて。だけど僕にはそれがないから、作品と死をリンクさせることが出来なかったんです。 “死”よりもむしろ “生”のほうが身近だった。だからお祖父さんが生きた99年間のうちの、ほんの少しの間に見せた最後の表情が新しい命みたいに見えました。応募作品には、作者のステートメントを一緒に添えることになっているんですが、最初は格好良く書かないと、という思いにとらわれていたんです。でもそのとき佐々木先生に、『下手な詩を書いて言葉が作品の上に立つようじゃ、写真を撮っているなんて言えないよ』と言われて。僕はそれを、言葉で自分が嘘をつこうとしていたのを見抜かれたんだな、と解釈しました。扱い方ひとつで、写真はいつでもフィクションになっちゃうんだなって」


——ここでもまた、佐々木先生が指針となってくれているのですね。


岩渕「先生が以前『自分に自信が無くなったら写真を続ける資格がない』と言っていました。写真を撮り続けることに漠然とした不安を感じることももちろんあって、気持ちは上がったり下がったりを繰り返しています。それでも自分にはなにかあるんじゃないかと思う事にして、また写真を撮り始めるんです」


——岩渕さんの行動の原点には “自分”というものが大きくあるのでしょうか。


岩渕「今撮りたいなと思っている女の子がいるんです。高校のときに付き合っていた彼女なんですけど、久しぶりに再会したらどういうわけかものすごく惹かれてしまって。なんで彼女に惹かれたのか、それを突き止めたくて『写真を撮らせてください』とお願いしました。それがノスタルジーなのか、それともあのときから彼女の中で起きた変化を何かしら感じたのか、見当が付かないからこそ、知りたいって思いました。自分勝手ですよね」

1 2 3 4 5

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS