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text by Shinichiro JET Takagi
photo by Satomi Yamauchi

Fiction Issue : Interview with tofubeats about『FANTASY CLUB』

tofubeats_photography|Satomi_Yamauchi_NeoL2


——前作の『POSITIVE』は、事実としては違うけれども、雰囲気としてはシングル集に近い感触があったから、アルバムとしての構成の意味合いの違いがあるとも思う。


tofubeats「前作はヒットをとにかく打とうと狙った曲を14曲集めたっていう感じだったし、構成としては『積み木』ですね。だけど、今回は大きな材木から一刀彫で熊の置物を削り出してるような」


——その意味でも、その流れはカウンターという意識?


tofubeats「いや、カウンターっていうよりは、同じ事をやってもしょうがないから、方向を変えた感じですね。前回は自分が思っている『スッキリしたJ-POP』が形に出来たと思うんですよ。だから、それとはまた違う方向性を形にしようって」


——「別の手」というか。前作から今作までの間にはアニメ「クラシカロイド」の挿入歌の制作があったけど、あの中で作られた曲は、カテゴリーとしてはアニソン/J-POPという、いま日本で最も売れる音楽であり、しかもクラシック曲をお題にJ-POPとして再構築するという、職人性も求められる部分もあって。


tofubeats「それがまさにJ-POPで培った技術だったんですよね」


——特に”アイネクライネ・夜のムジーク”は、tofubeatsに求められている客観的なイメージをクリアした作品だと思っていて。


tofubeats「『クラシカロイド』をちゃんとチェックしてインタビューしにきた人、初ですわ(笑)」


——その意味でも、客観よりも主観の強いこのアルバムに、振り幅を感じたんだよね。


tofubeats「『クラシカロイド』みたいな事も、やりたいことの一つなんですよ。オーダーに基いて、求められるモノを形にするのも僕は楽しい。ただ、毎回オーダーメイドでやりたいかといったら、そういう職人肌の人間ではない。だけど、その両方とも中途半端にやるんじゃなくて、『極端』にしないと、格好良くなっていかへんって思うんですよね。ポップなことはズルムケでやらないといけないし、自分に寄った表現も、躊躇なく自分に寄せて形に出来ないとダメだと思うんです。そこが今までは踏み込みきれない部分もあったんですけど、ポップに振り切った『クラシカロイド』をやったお陰で、逆の方向もちゃんとやろうって思えた部分はあるかも知れないですね。どっちかだけやっても格好いいと思わへんくて、どっちもやって、どっちも出来るからこそ、どっちのことも『言う』ことが出来るっていうか。食べてない料理の文句はやっぱり言っちゃダメじゃないですか。だったら、食べてから何か言おうって」


——今回はtofuくんのヴォーカルに大きな意味があると思ったんだよね。tofuくんは主観や内省を、今までは形にあまりしてこなかったけど、そういった部分も今回はリリックとして形にしていて。そして、それを表現する時に、ヴォーカルの「ブレス」を、ノイズとしてカットしてない。例えば前作で言えば”DANCE&DANCE”はブレスが聴こえないか、切ってると思うんだけど、今回で言えば特に”shoppingmall”が顕著だけど、息を吸う音やブレスをノイズとして切らない事で、オートチューンであっても、主観的なリリックと相まって「tofubeatsの存在性」が際立つ仕立てとなっていて。


tofubeats「今回はヴォーカルに関して2つくらい大きな変化があるんですね。まず一つはマイクが良くなった。僕は大学の時から、高くはないけどオートチューンの『乗り』が良いマイクを使ってたんですね。だけど今回から普通に高い、ちゃんとしたマイクに変えたんです。そして今回から立って歌うようにしたんですよね。そういう当たり前の事を26にしてやるようになって(笑)。でも、それがとてつもない変化を生んだんです」


——星野源のラジオにtofuくんが出た時も「立つ/座る問題」の話をしてたけど、そんなに違うんだね。


tofubeats「中田ヤスタカさんもPerfumeに最初は座って歌わせてたんですよね。それは余談ですが、DTMは、極端に言えばそれまでの特権階級しか出来なかった音楽制作が、パソコンがあれば、誰でも制作出来るようになったという変化を生んだと思うんです。僕自身、中学校の時に、パソコンがあれば、素養がなくても、センスや発想を武器に戦う事が出来るんだっていう『啓示』を受けて始めたんですよね。ただし逆に言えば、歌がうまくない、張り上げてもいい声がでない人が、オートチューンっていうテクノロジーの恩恵によって、ある程度は聴ける歌が歌える訳で。だからこそ『立って』歌うのが嫌だったんですよ」


——立って歌うと「歌手」になってしまうというか。


tofubeats「近いですね。ヴォーカリスト的なモノになってしまうというか。ただ徐々に歌にも向かい合っていかなきゃなって事で、とりあえず立つぐらいはやってみようと。そうするとブレスが入るようになったんです」


——結果的になんだ。


tofubeats「そうなんですよ」


——個人的には、ブレスが入る事からも、今回は「ストリート・アルバム」だと思ったんだよね。


tofubeats「ほう。なんでやってところを聞かせてください」


——そう構えられると話しづらいな(笑)。今の話にあった通り、今のストリート・ミュージック、特にヒップホップやテクノ以降の音楽は、テクノロジーの進化によって、誰でも音楽制作にアクセスできるようになった事で、需要と享受と発展が生まれたのは周知の事実で。それはtofuくんの制作や、このアルバムにも通底しているよね。そして、それ以前のストリート・ミュージックの一形態には、ヴォーカルを中心にした「ドゥワップ」があって、そこに見られる和声や息遣いは、このアルバムだと”CHANT #1”にその形態を色濃く映していて、同時にそのリプライズである”CHANT #2 (FOR FANTASY CLUB)”はスクリューで表現される事で、古典と今様のストリートを繋げていると思った。また、ストリート・ミュージックは基本的には抽象性よりも、自分や自分たち、本人性について歌うものが多いし、このアルバムもtofuくんの本人性が強く表れてる、息遣いが更にそれを肉体性として強化してる。そういった共通点からも、このアルバムはストリート・ミュージックなんだなって。


tofubeats「なるほど。低音がブンブン出てるから、サグな人ほど今回はアルバムは喜んでくれるんですよね。そういう意味のストリートかと思った」


——人をサグ扱いしないで下さい(笑)。


tofubeats「でもそこ好きですよね?(笑)」


——勿論(笑)。このアルバムの低音具合は素晴らしい。


tofubeats「例えばBUSHMINDさんから『ヤバいね、トラック』って褒められたり、意外な反応が多いし、そういう人から褒められるのは超嬉しいですね」


——特に”shoppingmall(for FANTASY CLUB)”はアルバムのバージョンになってから、より踊れる曲になっていて、内容とダンサブルさのバランスという部分でも、アルバムでよりその意味合いが変わっていると思って。だから、表面的な感触だとネガティヴっていう風に捉える人もいるかも知れないけど、ノリとしては非常にバンギンで踊れる曲な事も面白くて。


tofubeats「そうなんですよね。”shoppingmall”は僕としてもめっちゃメイン・ストリームのオケが出来たと思うし、バンガー・チューンだから2曲めにしてるのに、なかなか大盛りあがりしないんですよね。もうそろそろ(TRAPビートが世間的に通用して)いけるのかな、と思ったんですけど、全然そんなことなかったですね」


——でも、分かりやすいTRAPよりもビートの間のとり方がちょっと違う部分もあるよね。


tofubeats「ハード・シンセで作ってるんで、音像的にはウェットな感じになったんですよね。だから完全にDTMで完結してるモノとは一戦を画すようなタッチになってると思いますね。かつ構成としてハネた感じ、隙間のある感じも作れたんですけど、あえてベッタリとベースが鳴ってる風にしましたね。そういう音像のモノがあんまりないなと思ったし、現地っぽいトラックができる奴は多いから、それをやったら『替え』が効いちゃうんですよね。だかた、より自分らしい音像を考えたときに、目先を変えたこういうビート感にして」



——代替不可能性を形にしたというか。そういう構造も含めて、今回は時代性が強いと思う。それは音楽の流行や構造の部分でなく、tofuくん自身がいま求めるアプローチや、いまの感情という部分という意味での時代性なんだけど。


tofubeats「アルバムとしても10年後に聞いたら、2017年っぽいって思われるような事を目指したと思いますね。それはそっち方が長く聴けるのかなと思って」


——『POSITIVE』はポップスとしてタイムレスなモノを目指してたと思うけど、それとは違う意味の長く聴けるという事?


tofubeats「明らかにタイムレスなものではなくて、その時っぽいモノの方が、実は長く聞かれるんじゃないかなって思ったんですよね。いわば『旧譜だな』って感触で聴かれるというか」


——このジャケットからそう思わされたのかも知れないけど、このアルバムは内省的ではあるけど、独り言じゃなくて、誰かに向けてはいるように感じて。自問自答ではあるけど、その問は、問いかけや第三者とのコミュニケーションに向ってると思ったんだよね。


tofubeats「でも、あまり人に対しては風呂敷を広げないようにはしたんですけどね。対他人というよりも、もっとぼんやりとしたモノに向ってるというか」


——まさしくそこで、このジャケットで顔が見えてる人と見えてない人がいる。そして、顔が見えているのがtofuくんだとすると、「顔の見えない誰か」に向って話しているようなイメージを受けて。


tofubeats「メッセージも自分に返って来るようにはしてますけどね。人に対して向けてしまうと、『分からなさ』のような部分が薄れてしまうなって。だから『問』がテーマだけど、直接問わないようにしてるみたいな。明言して問うような事はしてない。それよりも、これを聴くことで『問』が生まれるものにしたかった」


——なるほど。話が”shoppingmall”中心になって申し訳ないんだけど、あの曲の1stヴァースは、文章としての文節の切り方が曖昧で、例えば「あの新譜/auto-tune/意味無くかかっていた」と「もう良し悪しとかわからないな」という二節を、意味が繋がってとるか、それとも別々の内容としてとるかで、全く意味が変わるんだけど、その受け止め方はリスナーがどうとでもとれるようになっているし、「最近好きなアルバムを聞いた」と「特に話す相手はいない」も、別々の話なのか、つながっているのは明確じゃない。2ndヴァースは文節の接続が分かりやすい分、余計に、その内容的な曖昧さが際立つようになっていて。その意味でも、そういった「分からなさ」や曖昧な部分に、想像力が働かされるようになっていると感じたんだよね。


tofubeats「『FANTASY CLUB』だけに、テーマが想像力っていうのはあります。想像力を持つって事をもっと柔らかく言いたかった。やっぱり、現実の上に想像が乗っているわけで、現実と向き合うために、想像力をどう働かせていくかっていうのが、いまは求められるのかもしれないなって。例えば、僕がいまJETさんを殴ったら、JETさんは痛いだろうな、という想像力」


——それはRHYMESTERの”911エブリデイ”のMUMMY-Dさんのヴァースに「民族・国家・主義・主張・宗派、自由もたらすのはその銃か?ユナイテッドネーション、メディアのアジテーション、越えろ俺らのイマジネーション」というリリックがあるけど、それとも近づく気がします。


tofubeats「ただ、流石に『イマジン』というタイトルは大仰でつけられないんで『Fantasy』、しかも、それを『持て』っていうんじゃなくて、強制力を持たないようにしたかったんで、だからこそ『Club』なんですよね」


——良いでも悪いでもない、正義でも悪でもない、正でも負でもない……そういう明確に出来ない感情が通底したアルバムだし、そこに対して答えを出してはいないよね。


tofubeats「そういう感情が、いまは時代的にもマックスだと思うんです。それを形にして置いとけたら、これは後々に活きると思ったんですよね。そういう気持ちは作品に還元しようと。確かに、賛成反対を言葉にすれば一発で伝わるんですけど、それをしないのがミュージシャンの仕事、0か100じゃない部分を表現できるのがアートだと思って。言えないこと、言葉で表現しにくい事を表現するのが音楽、僕の好きな音楽なんですよね」





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