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text by Shoichi Miyake
photo edit by Ryoko Kuwahara
photo by Shuya Nakano

OKAMOTO’Sのアドレス帳Vol.19 関取花 × ハマ・オカモト

okamotos_sekitori_2_neol_Photo: Shuya Nakano


――甘い蜜に誘われたカブトムシっていう(笑)。


ハマ「でも、そのとき花ちゃんの調子が悪かったことを数年後に知りましたが、3次予選のパフォーマンスはそんなことを全く感じさせなかった」


関取「でも、2次審査のときに審査委員の人たちがズレテルズについて話してる会話がたまたま聞こえたんです。『ヤバい、演奏がめちゃくちゃ上手いし、カッコいい。このバンドは若い子たちに見せるべき』って。その一方で『もうちょっとギターロックの感じがあるバンドを見たい』という保守的な人もいて。私はもう、ズレテルズはあの佇まいで演奏が上手かったらカッコよすぎると思ったから。それで余計に警戒しちゃって(笑)」


ハマ「でも、思い返せばあの年の『閃光ライオット』は豊作だった気がしていて。僕らと花ちゃんもいたし、GLIM SPANKYや、The SALOVERSもいた。釈迦釈迦チキンの夏目(創太)は後に下川リヲのいる挫・人間のギタリストになって、concentrate on poppingの橋口(奈津子)さんは今、YeYeというソロアーティストとして活動しているし、Gotchバンドのメンバーでもある。CHEESE CAKEもMOSHIMOと改名してバンド活動していて。けっこうみんな今でも音楽を続けてる」


関取「すごい年ですよね」


ハマ「実は、男性バンド陣は決勝前によく遊んでいましたね。下川とかにはmixiで連絡を取って、わざわざ熊本から上京してもらったり(笑)」


――花ちゃんは他のバンドやシンガーソングライターと交流することはなく?


関取「交流もなかったし、性格的に一番閉じこもっていた時期なので(笑)。誰も信頼してない、みたいな。でも、覚えてるのは3次審査のときにズレテルズと挨拶して、みんなちゃんとしていて。すごく大人だなと思ったんですよ。それで自分のちっぽけさを痛感して」


――閉じこもっていた時期は長かったんですか?


関取「けっこう長かったですね。『閃光ライオット』では審査委員特別賞をいただいてCD(『THE』)もリリースしたんですけど、大学にも通っていたし、音楽はもういいかなと思った時期もあって。それで活動が落ち着いちゃったんですよね」


――話は前後しますけど、ハマくんが下北沢GARAGEと新宿Red Clothで「こえのどうぶつえん」という自主企画を「閃光ライオット」の決勝前に開催していて。そのGARAGEの公演には、ズレテルズ、花ちゃん、ブライアン新世界、CRAZY WEST MOUNTAINが出演したんですよね。


ハマ「そうです。あのイベントにはハッキリしたテーマがありまして。CRAZY WEST MOUNTAINも『閃光ライオット』に参加していたのですが、3次審査で落ちてしまったんです。わりと僕らとバンド感も近くて、すごく残念だった。僕らからしたら、CRAZY WEST MOUNTAINが予選を通らないのはおかしいと思っていたので、僕たちが思う決勝戦をあのイベントでやりたいと思ったんです。そこに当時のGARAGEの店長だった出口(和宏)さんとGARAGEのスタッフの大橋(真由美)さんも乗ってくれて」


――ハマくんが直接みんなにオファーしたんですよね?


ハマ「そうですね」


関取「それもmixiでね!(笑)。すごく覚えてます。急にmixiでメッセージがきて。私はそのときライブ自体も全然やってなかったので、ビックリして。他の出演者と比べたら異色だし。でも、すごくうれしかったんです。私が塞ぎ込んでいた時期って、シンガーソングライターアレルギーを起こしていたんですよ」


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