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text by Ryoko Kuwahara

Fiction Issue : Interview with Yuichiro Tamura

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ちょうど一年前のことになるだろうか。ある知人から、石をアフリカに返してきてくれないかという連絡を受けた。聞けば、5年前にアフリカのとある洞窟から持ち帰ってきた石が、家族に災いをもたらしているのだという。石を持ち帰ってきたのは知人の知人で僕とは面識がない。なぜに僕なのかは、ひとまず置いといて、まだ見ぬ土地、アフリカに石を返しにいくという響きが魅力的でもあり、そしてどこか滑稽でもあったので引き受けることにした。その知人の知人を仮にKとしよう。Kからはその後、洞窟のどの辺りから持ち帰ってきたかという詳細な情報が、写真つきのメールで送られてきた。フライトは成田発、バンコク経由。まる1日で飛行機は、アフリカのマダガスカルの首都に降り立った。出迎えた現地ガイドに連れられ息つく間もなく出発。空港から三菱の四駆で走ること2昼夜、ようやく洞窟近くの宿に着いた。宿泊客は自分ひとり。翌朝、ガイドと洞窟に向かう。険しいジャングルの中を歩く途中、ガイドからお前はこんな遠くまで何しに来たんだという質問。石のあらましを話すと、ガイドは深く頷き、それは当然のことだと僕のほうを鋭い眼光で睨んだ。3時間ほど歩いたところで、森の奥にとても大きな真っ黒い穴が口をあけていた。洞窟の中に明かりはなく、僕たちのライトのみが洞窟内を頼りなく照らしていた。ガイドによれば、この洞窟は太古の昔から人間によって使われていたとのこと。確かにその形跡らしきものがあり、所々には人骨が散らばっていた。その洞窟のいちばん奥、湿度と温度のせいか、ひときわ空気が重たい一角が、その目指す場所だった。ガイドが石をこっちに寄こせと手招きする。石を手渡すとガイドは、その石を頭上に持ち上げ、天井から突き出た部分に、石を合わせた。ぴったり、だった。その場所に石を返し、僕らは洞窟を後にした。宿に戻ってこの旨を、さっそくKにメールで伝える。翌日のKからの返信メールには、昨日のちょうどその石を返した時間に体が軽くなった、とあった。
石を介した遠いアフリカと日本の出来事、そしてそれに巻き込まれた自分。この出来事は、自分の中に何か言いようのないものをもたらし現在に至っている。重さのイメージを伴う石は概ねじっとして動かない。いや、動くことは決してないはずだ。ただ、ここでは人間の力を借りてその石は軽々と旅をしてみせる。石そのものが重力に逆らってその場を離れること、そしてそれに関わった人間の体を重くしたり、軽くしたりするのを目の当たりにするにつけ、石には重力を自在に操る力があるのではないかと勘ぐってしまう。

「Stone of Madagascar/マダガスカルの石」2017



これは2017年春にユカ・ツルノ・ギャラリーにて開催された田村友一郎のエキシビション『G』に出品された、写真と文章で構成された作品。ひと目見て感嘆したしばらくの後、ふと、どこか欺かれているような不思議な後味が残る。見る者に自身の足下が揺らぐような体験を付与する作品を送り出し続けている田村友一郎に、ヴィジュアルアートにおける真実とフィクションを問うた。



——「マダガスカルの石」の写真は構図も色も強く、鮮烈に記憶に残りました。相当練られた写真だと思っていたのですが、この写真にまつわる物語を知って、コンセプトに基づき計算して撮られたものなのか、はたまた偶然撮られたものかがわからなくなったんです。そこでまず、これがどういう写真なのかをお聞きしたくて。


田村「基本的に、説明は全て本当です。ただここに写っているのは、返すことになった本当の石ではないんですけどね。返す前日に泊まっていたマダガスカルのホテルのプールサイドで、スタッフの方にそこにあった石を持ってもらって撮りました。本物の石はKさん本人にとっては災いをもたらしたものなので、それを写真に撮って出すというのもちょっと縁起が悪そうで」


——本物の石じゃなかったんですね。それは展示での説明に書かれていません。


田村「書かれていませんね」


——ということは、見る人はこれをその石だと思うかもしれない。


田村「ええ、それはそれでいいと思っているんです。ほぼ本当ではありますが、これはお話でもあるので、絶対に本当じゃなきゃいけないというルールもないし、全部嘘でもいいわけです。しかしこれをヴィジュアルアートとして提示し、そこに説得力を持たせるのならば、写真にも力があり、写真と物語の両方が支え合っていなくてはいけない。これに関しては、話を進めていく中でこのヴィジュアル——黒人の手と日本ではないアフリカの陽の差し方——が頭の中に思い浮かぶことが重要だった。言わば挿絵としての役割ですから、これでいい。そして、ここに写っている石もある意味、マダガスカルの石には間違いはない。実際にマダガスカルにある石なんですからね」


——確かに(笑)。もうひとつの石のお話である「バーゼルの石」に関してはいかがですか?


田村「これも事実です」


——勝手に石がやってきたと。


田村「じゃないですかね(笑)。2年くらい前に展示に出すことを想定しないで撮ったもので、作った話ではないです。『マダガスカルの石』を出すにあたり、もうひとつ石の作品がほしくて引っ張り出してきました。写真も、そのものの石です。どちらも、写真は意図的に撮っていますけど、作りはない」


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スイス、バーゼルに滞在していたときのこと、朝、目が醒めるとベッドの傍らに石がいた。あったというよりいたという感じ。いつからそこにいたのだろう。ずっと気づいていなかったのか、いや、いたら気づいていたはず。であれば前の晩、寝ているときにこの石がひとりでここにやってきたのか。謎は深まるばかりだが、またふっといなくなりそうな気もした。
「Stone of Basel/バーゼルの石」2017


——意図的というのは?


田村「撮る時のクセというか。技術面も含め、ヴィジュアルとしての力はあったほうがいいから構図は考えます。本当の野生の写真家だったらそんなことしないと思いますが」


——写真を撮るという行為が発生している時点で野生とは言えない気もします。


田村「機械を触っているので無意識でもコントロールして露出などを合わせていると思うし、作り込んでいないと思っていても何%かは絶対に作り込んでいるのは前提としてあります。しかしそのパーセンテージを誰がジャッジするのかわからないし、本人がそう思ってない、野生だと言う以上は野生だと思いますけどね。特に、混じりっけなくそう思ってやっていたら強いと思います。中途半端だと弱い」


——ああ、それはわかります。「G」には猿が撮影しているという映像(「Ars」)がありましたが、あれも本当に猿が撮っているのかあやしんでしまったのですが。


田村「本当です(笑)。NHKの教育テレビEテレのために作っているので、嘘はないです」


——展示を見ていると、それすら本当かわからなくなる感覚がありました。それは田村さんに、あり得ないようなことでも目を見て「本当です」と言える混じりっけのなさがあるからだと思っています。


田村「ある意味、僕もそういうタイプかもしれませんね(笑)」


——それに加え、映像や写真はフレーム外で何が行われているかわからないので、特にフィクションの要素を強く感じるのかもしれません。


田村「それはありますね。絶対に本当である必要はなく、フレーム外で嘘が繰り広げられているというのは基本的に写真や映像では普通のことなので」


——「G」の展示ではないのですが、「NIGHTLESS」も不思議な成り立ちで不思議な感覚になる映像ですね。


田村「最初はイメージが先行していて、Googleのストリートビューを用いてネブラスカ出身の男性の物語をアニメーションで作っていったんです。そこは僕のスクリプトでやっていて、長くしていくにあたってYouTubeにある素材を入れていきました」


——なぜ混ぜたいと思ったんですか? 混ぜることでの化学反応を見たかったのか。明快なイメージを与えることを避けたかったのか。


田村「観た後でなにを観たかわからない——そういう感覚に触れるといいなと思ったのです。見ている最中は面白くて夢中になったけど、観た後になにを観たかわからないというくらいの振れ幅に持って行こうとしていて、そうした時に、いろんな話が入っていて、全部が繋がってはいないんだけど、でもなんだか面白かったというのがいいなと。ひとはそういう夢を見ているような状態の体験を欲しているように思います。
さらに言えば、映画を観ていても人間は100%は話に集中してはいなくて、今日なにを食べよう、この後なにをしようとかいろんなことを考えている。僕が提示しているのは空虚なものだから、なおさら話をあまり追わなくてもいいような状態になっていると思うんです。でもそこであまり離して関係性を切ってしまうと興味がないものになってしまうから、関係性を切らないで、どこまで映像というツールで引っ張れるかという挑戦的なことをやってみたという感じです」


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サルがカメラを手に持ち撮影した映像。人間が撮ったように思える映像だが、実はサルが撮影している。「技術」のラテン語、テクネ(Techne)の語源でもある手仕事、手技を意味するアルス(Ars)という言葉をタイトルとしている。スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の冒頭では、敵対するグループの猿を攻撃する武器としての白い骨は宙空へと放り投げられ、印象的なシーンの切り替えとともに、宇宙空間を航行する宇宙船に変わる。太古において最先端のツールであった骨が、現代における最先端の技術、宇宙船に置き変わるという隠喩は、この猿が手に持っているカメラにも当てはまる。今日、デモなどでしばしば見られる対立するグループが、武器ではなくカメラを持ち相互に撮り合う様は、Arsからの派生語であるArmを想起させる。そのフレームから逃れようとする人間を目の当たりにした時、今日におけるカメラの価値を、その猿がすぐさま知ってしまったのではないかと、背筋がぞっとしたのを今でも鮮明に記憶している。
*NHK・Eテレにて放送されている映像の技法に着目した番組「テクネ 映像の教室」のために制作された映像作品の再編集版。撮影は、関東郊外の採石場跡の洞窟で行われた。
「Ars」2015



——そのお話はとても興味深いです。映像が100%人の意識を支配できるわけではないという田村さんと、作品にアテンションを集めようとするアーティストとでは作品へのアプローチの仕方が随分異なると思うんです。


田村「自分に注目してほしいという気持ちは、逆に人を離してしまう気がするんですよね。僕がやっていることはある程度はエンターテインメントであり、ひとりで楽しめるものではないので、ギャラリーまで足を運んでいただいた方になにかしらの体験をしてもらいたいとなると、メディアを選んだり、やり方に工夫をしていくしかない」


——とは言え、作品の土台となるのはご自身の経験であるわけですよね?


田村「僕のフィルターを通してはいますけど、ディレクションやエディットに近い部分があり、自分の生の体験を全て出しているわけではないです。いかに伝わるかというところで、経験をあえて客観視できるように体裁を整えていますね。
作業もひとりでやることはあまりなくて、ギャラリースタッフや外部の制作やキュレターたちと確認して進めます。最初は大体が僕の妄想というかそういう風に組み立ててはいますけど、可能かどうかという物理的な限界もあるので意見も聞くし、制作のプロフェッショナルと『こうすれば可能だけど、当初のものとはズレるのでは』などと話し合いながら、その都度軌道修正していく。アーティストもいろんなタイプがいると思うので一概には言えませんが、僕の場合はそういう感じです。そもそも写真というメディアである以上は相手があって成り立つわけで、ヴィジュアルでのコミュニケーションは必然ですから」


——他者の視線や力が作用していると。


田村「あとは社会の要請も感じることはあります。例えば美術館で展覧会があるとしたら、往々にして社会を取り巻く状況というのは前提としてあって、現代のアーティストはそれらに対してこのように向き合っていますという設定がある。そういうときに自分の中から発する絵や彫刻というのは設定に乗りにくい部分もあるから、僕のようなひとが呼ばれて問題に対してアプローチしてくださいと要請される。その中でどういう切り口で返すか、その返し方がポイントになってくる。例えば社会問題という大きなテーマを突きつけられた時に、ドンと真面目に返す人もいれば、真面目ではありますけど、僕のようにその問題をずらすとか、問題自体を問題としないような方向に持っていくというひともいて」


——ああ、戦後日本の状況をボディビルダーで返した 『裏切りの海/Milky Bay』は非常に面白かったです。


田村「アートというのは、そういう正攻法の答えじゃない答えも認められているジャンルではあるので、その旨味を使って仕事をするというのはひとつあるかなと。嘘くささやフィクション性など、『これは本当にあったのかな?』ということを差し込んでいくことによって、最初の問題設定自体が揺らぐところまで持っていけたら、それはひとつのオルタナティブな回答として成立するというか」



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イギリスの王立造幣局の長官に就任した晩年のニュートンはその役職を堅実にこなし、贋金作りに対して厳しく取り締まるいっぽうで、錬金術の研究にますますのめり込んでいったという。しかし多くの科学者によって過去に試みられてきた錬金術は今もって明確な成果を収めるには至っていない。もちろんニュートンもその例外ではない。錬金術の成果を反証するように発展を遂げた金メッキや合金という技術。黄銅と呼ばれる真鍮は、金にも似た色から「貧者の金」とも呼ばれ、金の代替品としての役割を担ってきた。そしてそれら金属の価値は当然の如く重量に比例する。イギリス政府の通貨単位はポンドであり、金属の重量換算の名残を残している。重量単位でもあるポンド、グラムに換算すれば1ポンド、0.45359237キログラムになる。作品では、限りなく1ポンド、0.45359237キログラムに近い重さの真鍮と合金が1ポンド紙幣と一緒に添えられている。その1ポンド紙幣には、金の価値を司るいっぽうで、錬金術によってその金を創造(捏造)しようとした両義的なニュートンが描かれている。真鍮や合金に向けられる彼の眼差しは、贋金に対して向けられる厳しいものか、はたまた錬金術への飽くなきものか、その表情からはうかがい知れない。
「Ambiguïté/不純な態度」2017



——おそらくこれが正解だろうというところではない、全く別のところに目を向けることができるのにも資質や訓練が必要だと思うのですが。


田村「変な見方というか、見えていないところを探して返すというのは、無意識でやっているわけではなく、職業的な見方の訓練を経て身につけたものだと思います。やっぱり別の視点を持ち込まないと新しいものは提示できないのではと思っています。
そして返すところに説得力を持たせないといけないので、できるものの精密さやクオリティは担保します。クオリティ高く説得する、または騙す。そうじゃないと相手が納得しないと思うんです」


——クオリティ高く騙すポイントとは?


田村「僕の場合は専門家の人と一緒にやるということですかね。例えばギャラリーでの展示には、制作という肩書きのひとが関わっていて、『マダガスカルの石』の展示も、後ろからパネルにLEDライトを当てていたり、写真も大きなサイズに引き伸ばしているんですが、その大きさに耐えられるように若干修正も入れていたり。それは、話やヴィジュアルがスッと純粋にノイズなく入っていくためのお膳立てなんです。もののクオリティがある程度は言いたいことを担保し得るので、そこにはこだわります」


——そういう意味では、素晴らしく誠実なもの作りですね。


田村「誠実に偽札を作るというか。精巧に偽札を作るためにはスキルが必要で、絵描きがいて、印刷業者がいて、というのと同じことだと思います。昔、東京都現代美術館で展示をしたときに、地下にアパートの部屋を原寸で作ったんですよ。あるストーリーのもとに、実在したアパートの間取りを踏襲して。それを東宝の美術部が作ってくれたんたんですが、彼らは本物ではなくセットを作るわけで、全てが嘘なんです。本物を持ってくればいいんだけどそうではなく、偽物から本物らしく見えるように作るという作業をしていて。中は本物っぽくできているけど、外は張りぼてであることで、そこで語られている話は本当なのかというところも揺らぐ。そういうところはとても魅力的に感じました。
僕の作品でも、そのような嘘くささは残したい。なにを見たかわからないというくらいの究極感を作っていけたらと思います」

田村友一郎
1977年富山県生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。東京藝術大学大学院映像研究科修了。2013年、文化庁新進芸術家海外派遣制度によりベルリン芸術大学空間実験研究所に在籍。2017年3月に東京藝術大学大学院映像研究科後期博士課程修了。近年のおもな展示に、「BODY/PLAY/POLITICS」(横浜美術館、2016)、「物語りのかたち」(せんだいメディアテーク、2015)、メディアシティ・ソウル2014(ソウル市美術館)、「これからの写真」(愛知県立美術館、2014)、「MOTアニュアル2012:風が吹けば桶屋が儲かる」(東京都現代美術館)、恵比寿映像祭(東京都写真美術館 2014、2011)、瀬戸内国際芸術祭2013など。今後は、ヨコハマトリエンナーレ2017特別企画、日産アートアワード2017、栃木県小山市車屋美術館での個展、ハンブルガー・バーンホフ現代美術館(ベルリン)での展示が決まっている。



Born in Toyama in 1977, Yuichiro Tamura holds a Master of Film and Media from Tokyo University of the Arts, and a Bachelor of Photography from Nihon University. He was a guest researcher of the Institut für Raumexperiment, Olafur Eliasson class at the Berlin University of Arts by the Japanese Government Overseas Study Program for Artists. In March, 2017, he finished his PhD study at Tokyo University of the Arts. His recent exhibitions include BODY/PLAY/POLITICS (Yokohama Museum of Art, 2016), Monogatari no Katachi – Ima ni Utsushidasu Attarukoto (sendai mediatheque, 2015), Media City Seoul 2014 (Seoul Museum of Art), Photography Will Be (Aichi Prefectural Museum of Art, 2014), Setouchi Triennale 2013 (Awashima Island, Kagawa, 2013), MOT Annual 2012: Making Situations, Editing Landscapes (Museum of Contemporary Art Tokyo, 2012) and Yebisu International Festival (2011, 2014). Upcoming projects include a solo exhibition at Kurumaya Museum of Art as well as exhibits at Yokohama Triennale 2017, NISSAN ART AWARD 2017 and Hamburger Bahnhof, Berlin.


YuichiroTamura_NeoL1
(C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery
artist: Yuichiro Tamura 田村友一郎
title: 「Stone of Madagascar / マダガスカルの石」
date: 2017
size: 99.7 x 149.8 cm
medium: ライトボックス


YuichiroTamura02_neoL
(C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery
artist: Yuichiro Tamura 田村友一郎
title: 「Stone of Basel / バーゼルの石」
date: 2017
size: 99.7 x 149.8 cm
medium: ライトボックス


YuichiroTamura03_NeoL
(C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery
artist: Yuichiro Tamura 田村友一郎
title: 「Ars」
date: 2017
duration: 10’46”
medium: video


YuichiroTamura04_NeoL
(C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery
artist: Yuichiro Tamura 田村友一郎
title: 「Ambiguïté / 不純な態度」
date: 2017
size: 7 x 15 x 2 cm
medium: 1ポンド札、合金インゴット


YuichiroTamura05_NoeL
(C) the Artist, courtesy of Yuka Tsuruno Gallery
artist: Yuichiro Tamura 田村友一郎
title: 「Ambiguïté / 不純な態度」
date: 2017
size: 11 x 13 x 2 cm
medium: 1ポンド札、真鍮プレート

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