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text by Ryoko Kuwahara
photo by Chus Anton

Interview with Brodka

NeoL_brodka4 | Photography : Chus Anton


ポーランド出身シンガー・ソングライター、ブロトゥカ。TVのオーディション番組からデビューを飾り、母国では数々の音楽賞を獲得するなど国民的ポップ・スターとして称賛を浴びてきた彼女だが、その名前を国外にも広く知らしめるきっかけとなったのは、7年前に発表された3作目『Granda』だろう。そのアルバムで彼女は、モダンなポップ・サウンドと、ルーツであるポーランドの山岳民族音楽とをミックスさせたオリジナルなスタイルを確立。そして、初めて英語詞で歌った世界デビュー作のニュー・アルバム『Clashes』(2016年)では、プロデューサーにグラミー賞受賞歴もあるノア・ジョージソン(ジョアンナ・ニューサム、シャルロット・ゲンズブール、デヴェンドラ・バンハートetc)を迎えて、管弦楽器が彩る壮麗でスピリチュアルなサウンドを披露している。パーカッションやピアノも演奏するマルチ奏者であり、MVの制作も手がけるなど多才な彼女に話を聞いた。


——デビューのきっかけはTVのオーディション番組だったそうですが、当時といまとでは、やられている音楽もヴィジュアルのイメージもまったく異なりますよね。


Brodka「サウンドやヴィジュアルの変化は、私の人生の変化そのものを表していると思う。16歳でこの業界に入って、音楽を作り始めた頃の私はまだ若かったので、わからないことがとても多かった。でも、活動を続けていく中で、音楽的にも人としても成長できたと思うし、そうした変化が作品には表れているんじゃないかな。いまは、自分が何をしたいのか、どういう表現をしたいのかがわかっているし、アルバムを出すたびにそう強く実感できている感じがするの」


——そうした変化の兆しは、3作目の『Granda』からとくに感じられるように思います。


Brodka「そうね。3作目の『Granda』を出してからは、ヴィジュアル面も重視するようになって、写真やMVに関してもすごく力を入れるようになったわ。デビューしたばかりの頃は、自分は単にヴォーカリストだと考えていたけれども、いまはトータルに表現できるアーティストに成長できたように思う。各アルバムはそれぞれに当時自分が関心あったことを表現していて、『Granda』では民族音楽が、そして今回のアルバム(『Clashes』)ではオルガンがそう。そうやって何かしらテーマがアルバムごとに異なっているのも成長を表しているんだと思う」



NeoL_brodka7 | Photography : Chus Anton



NeoL_brodka6 | Photography : Chus Anton


——出身はポーランド南部のシヴェイツというところだそうですが、小さいころはどんな音楽を聴いていたんですか。


Brodka「私の父は、ポーランドの伝統的な山岳音楽のミュージシャンだったの。だから、小さいころから家ではいつも音楽が流れているような環境で、山岳音楽のほかにも、両親の影響でビートルズやアバなんかをよく聴いていたわ。けど、自分にとっていちばん大きな存在だったアーティストはニルヴァーナね。10代の頃にニルヴァーナを聴くようになって、とても影響を受けた。ジャズ・ヴォーカルを習っていた時期もあったけど、やっぱりいちばんよく聴いていたのはグランジとか90年代の音楽かな。あとはドアーズとかジミヘンとか昔のアーティストも聴いていたし、若いころはメタルにハマっていたこともあったわ」


——オーディションの話がなかったら、バンドを組んでいたかもしれない?


Brodka「あり得る話ね。私が育った地元にもいくつかパンク・バンドがいて、そのバンドに入りたいと思っていたわ。でも、若い頃は長い間ヴァイオリンを弾いていたので、自分のことをヴォーカリストというよりもミュージシャンだと認識していた。それでバンドに『ヴァイオリンで参加したい』といったら断られてしまったの。それでちょっと心が折れちゃって、これからはもっと歌をやろうって思ったのよ(笑)。でも確かに、若いうちに『IDOL』(※オーディション番組)で成功してしまったことで、ガレージでバンド練習したり、地下室でリハをしたりみたいなことができなかったから、そういうのをやりたいっていう気持ちはあったわ。ソニック・ユースとかパンク・ロックを聴くのが好きだったし」

NeoL_brodka5 | Photography : Chus Anton

——じゃあ、小さいころから音楽や「表現すること」に興味がある感じだったんですね。


Brodka「親がミュージシャンで、5歳のときからツアーに一緒に同行したりしていたせいもあって、ステージというのが自分にとっては小さいころから自然と身近な場所だったの。客席の最前列でポーランドの国旗を振ったりしてね(笑)。だから、いまこうして自分がステージに立つようになっても、仕事というよりは、それが当たり前の環境という感覚の方が大きいわね」


——サウンドやヴィジュアル面はもちろん、そうしたアーティストとしての意識の部分でも自分のなかで大きく変化するターニング・ポイントとなったのが、先ほども話に出た『Granda』だった?


Brodka「そうね。『IDOL』のようなTV 番組に出演すると、ミュージシャンとしてより“ TV に出ている有名人”としてレッテルを貼られてしまうの。でも、私にとっては常に、人気よりも音楽の方が大事だった。そこでセレブではなくアーティストであると思ってもらうためには、すごくいいアルバムを作らなきゃいけない、と思ったわ。それで結果として、 TV シーンからも離れることにしたの。自分が TV に出ているセレブとして有名だという事実が嫌だったから、そういう決断をした。それにその時、長期間のオフをとったことで、たくさんの音楽を聴いたりインスピレーションを受けたりする時間を持つことができた。まさにその頃に、自分がどんな音楽をやりたいか、ということを初めてちゃんと考えたのよ。とても自然な流れでね」


——ええ。


Brodka「またそれと同時に、ルーツに戻りたいという強い想いもあったの。自分にとって自然な音楽、山岳音楽にある楽器などを、フォークロアとは違う現代的なアプローチで再解釈したいとも考えた。アーティストとして大きな挑戦だったわ。これは私の活動の根源にあるものだったから。それが『Granda』を作った主な動機だったと思う。自由を感じられたし、自分から出てきたものを信じていたし、これこそ自分の心から生まれた音楽だって感じた。周りは意外に思ったかもしれないけど、私はこれだって思っていたわ」


——『Granda』以前の“『IDOL』時代”の記憶というのは、振り返ってみると複雑な部分が大きかったりするのでしょうか。


Brodka「やっぱり、TV番組というのはショーだし、エンターテインメントの世界だから、出ている人をセレブやヒーローみたいに扱うところがある。だから、こうして“ミュージシャン”として本格的に世に出る前に自分の顔がすでに知られているというのは、正直やりにくいところがあった。でも反面、そうやって最初から存在が知られていたことで、そこから変化を起こすことが逆にやりやすかったという部分もあって。たとえば、1作目と2作目が先にあったことで、3作目の『Granda』を出したときにファンがそれでも変化を受け入れてくれた部分もあったと思うの。逆に、もしも『Granda』が最初のアルバムだったとしたら、これほど受け入れてもらえなかったかもしれないなって」



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——昨年リリースされたニュー・アルバムの『Clashes』は、そうして『Granda』で得た手応えや確信を糧にして、音楽的にもアーティストとしても大きな飛躍を遂げた作品という印象を受けました。


Brodka「アーティストとして最も重要なアルバムよ。 3年かけて作ったし、全て作曲も作詞も手がけた。コンセプト・アルバムでもあるの。アルバム制作には少し“学び的なプロジェクト”という意味合いもあったと思う。つまり、最初に何かミュージシャンとして大事な興味やテーマがあって、それに対して確認していくような」


——というと?


Brodka「それは私のアイデンティティ――例えば私が囲まれて育った民族音楽の楽器だったり、教会のミサで流れるオルガンだったりした。私にとって最初の音楽との接触だったといえるものは何かと考えた時、それがオルガンや教会での讃美歌だったことに気がついたのよ。そこでまたオルガンに対して新たな解釈をして、オルガンを取り入れつつ自分の音楽を作りたいと思った。そういうわけで、このアルバムは少し(教会のような)神秘的さ、聖なる感じ、スピリチュアルな雰囲気を持っているの。歌詞も少しダークで、とても個人的なものになっている。悪魔や死を受け入れること、恋愛のことなどを取り上げているわ。出来上がったアルバムの響きは気に入っているし、聴くのも好き。アルバムにはとても満足しているわ」


——プロデューサーを務めたノア・ジョージソンとはどのようにして知り合ったんですか。


Brodka「ノアと知り合ったのは偶然というか、共通の友人のデヴェンドラ(・バンハート)が紹介してくれたの。最初は実は別のプロデューサーとレコーディングする予定でLAに行ったんだけど、数日でその人との作業は断念してしまって。それでその後、自分一人で一か月ぐらいデモを書いたりしながら、同時にプロデューサーを探していたんだけど、そしたらデヴェンドラが「ノアはいいプロデューサーだから、きっと一緒にやってくれるよ」って勧めてくれて。で、実際に会ってみて、試しに一曲やってみたらとてもいい感じで、まさにこの人とやりたいなって思って。今回のアルバムはヴィンテージな感じの音にしたかったんだけど、ノアってまさに古い楽器やアナログな楽器のマニアって言っていいほどの人だし、この人とだったら自分の欲しいサウンドが作れるんじゃないかなって思ったのね」



———今回のアルバムでは、ウォーペイントのステラ・モズガワもドラムを叩いていますよね。


Brodka「ステラともまさにLAで知り合ったの。今回のレコーディングでは曲ごとに、その曲のスタイルに合せて一緒に演奏するミュージシャンを探していたのね。そしたらノアが「LAにすごくいいドラマーがいるよ」って紹介してくれたのがステラだったの。もちろんウォーペイントは大好きだし、彼女も両親がポーランド人で、同じポーランドにルーツがあるミュージシャンなの。ステラは本当に、いままで一緒に演奏した中で最高のドラマーだったわ。それも、ただ技術的にドラムがうまいってだけじゃなくて、自分のスタイルを持っている人。アルバムでは、”Santa Muerte”と”My Name Is Youth”に参加してくれたんだけど、まるでドラムだけでストーリーを奏でるような、画家のようなスタイルでドラム・パターンを作ってくれたの。本当にすごくよかったわ」



NeoL_brodka | Photography :  Chus Anton


NeoL_brodka2 | Photography : Chus Anton


——ちなみに、いまのあなたにとって、自分とスタンスが近いと感じる、あるいは、何かしらシェアできるものがあると感じることができるアーティストを挙げるとするなら、誰になりますか。


Brodka「難しいわね。アルバムを作った後にレビューを読むと、無数のアーティストと比較されたりする。たとえば『Clashes』ではラナ・デル・レイの名前が複数挙がっていたけれど、自分では似ているなんて考えつきもしなかったから驚いたわ。個人的には、誰かと比較されるような、何かのジャンルに入れられるような音楽をやりたくないと思っている。だからアルバムごとにちょっとしたひねりを加えて、リスナーを常に驚かせようとしているの。でも、インスピレーションを受けるアーティストはいっぱいいるわ。オルガンを取り入れたアーティストも多くいるし、その中でいえばアンナ・ヴォン・ハウスウルフね。バット・フォー・ラッシェスの 1st アルバムもオルガンではないけど、ダークな雰囲気に共通したものがあると思う。キム・ゴードンがソニック・ユースでやっていたような演劇的なエネルギーも、パフォーマーとして近いものを感じている。いろんなマスクや衣装をステージで着ていることもそう。パフォーマンスは時によってパンクっぽくなったり、ノスタルジックになったり、ドラマチックになったりする自然発生的なものとして捉えているわね」


——なるほど。


Brodka「あともう一人、とても尊敬していて、素晴らしいライヴを行うアーティストとしてアンナ・カルヴィを挙げたいわ。ギタリストとしても最高のアーティストよ。音楽的にはもちろん、ステージ的な面における演劇性やドラマツルギーに関しても、アンナのことはすごく好きよ」


——今回、出演される「代官山ポーランド祭」は、あなたの音楽はもちろん、ポーランドの音楽シーンについてより多くの人が関心を広げるきっかけとなるように思います。現在はワルシャワで生活されているそうですが、もしも自分の音楽にポーランドならではの何かしらが象徴されているとするならば、それはどういったものだといえると思いますか。


Brodka「この音楽、曲のメロディーや構成の中に、スラヴ性というものがあるといえる。ポーランドやロシアの古い音楽や民謡を聴くと、そのメロディーの中には微かなメランコリーや哀しみがある。それがとてもポーランドらしいと思うわ。一部のリスナー、とくに外国のリスナーにはその感じを私の音楽に聴きとるひともいる。うーん……でも、何がポーランド音楽の本質かを理解するのは難しいわ。きっと日本人にとってそれはショパンなのでしょうし。私はポップ・ミュージックを作るとき、その中に自分のアイデンティティを作り出そうとしているの。ポーランドの生活に影響を受けすぎないようにしている。音作りをするときは完全に他の音楽をシャットアウトするわ。私の創造力が発揮できるように。とはいえ、たとえばポーランドの天気とか自分を取り囲む環境というのは、ポーランド人の性質に大きく影響している。もし LAに住んでいたら、全く違う音楽をやっていたでしょうね。これこそ音楽に現れるポーランド性の要素だと思う」


NeoL_brodka8 | Photography :: Chus Anton


photography Chus Anton
styling Yumi Nagao
make-up Yui Sakamoto
interview Junnosuke Amai
edit Ryoko Kuwahara



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Brodka
『Clashes』
発売中
(Play It Again Sam / Hostess Entertainment)

1. Mirror Mirror
2. Horses
3. Santa Muerte
4. Can’t Wait For War
5. Holy Holes
6. Haiti
7. Funeral
8. Up In The Hill
9. My Name Is Youth
10. Kyrie
11. Hamlet
12. Dreamstreamextreme



※最新アルバム『Clashes』絶賛配信中
リンク: http://smarturl.it/u14wyl



Brodka
本名モニカ・ブロトゥカ。1987年2月7日生まれ。ポーランド南部の山沿いにあるジヴィェツ 出身。6歳からバイオリンを始め、音楽に興味を持つ。2003年にポーランド版のオーディション番組「アイドル」第3シーズンに出場し、優勝を勝ち取る。同年にアルバム『Album』 でデビュー。2004年に2ndアルバム『Moje Piosenki』、2010年に3rdアルバム『Granda』を リリース。ポーランドのグラミー賞に当たるフレデリック賞では、これまでに17部門ノミネート4部門受賞という輝かしい経歴を持つ。『Granda』では、ポップとポーランド山岳民族音楽をミックスさせるという斬新なアイデアで、ポーランド国内の既存のポップ・イメージを革新し、称賛を浴びた。2012年に、ロサンゼルスでレコーディングした全編英詞のEP『LAX』を発表後、アーティスト活動から遠ざかっていたが、2015年に新作のレコーディングをスタート。Play It Again Sam Recordsと契約し、2016年5月リリースの ニュー・アルバム『クラッシェズ』をもって、満を持して世界デビューを果たした。



NeoL_brodka4
pleats coat ¥32,500(without tax))(kotohayokozawa)
pleats mini dress&neck cover ¥23,500(without tax))(kotohayokozawa)


NeoL_brodka2 | Photography : Chus Anton
Heike tailored jacket/PURPLE ¥130,000(without tax) (MARTA JAKUBOWSKI)
Elke front skirt trousers-short/PURPLE ¥95,000(without tax)) (MARTA JAKUBOWSKI)


NeoL_brodka8 | Photography :: Chus Anton
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