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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#55 禅的生活

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 仕事で家を離れることの多い生活を送っていると、良くも悪くも流れに心身を任せてしまうことが多くなる。その方が総合的に楽なのだ。
 自宅の部屋のような快適さは旅先の宿泊施設には望めないし、食べ物や衣服なども制限される。無いものは無いのだから、足らぬことに対して不満を並べ文句を口にしていては切りがない。多くを望まずに、流れに任せ、現状をなるべく受け入れ、それを楽しみ、平穏無事に一日を過ごせることに、ただ感謝をする。行雲流水とまではいかないが、そっち方向である。
 家を離れる時の荷物は少ない。一週間ぐらいの行程ならば、機内持ち込みできるサイズのスーツケースとデイパックで済ませてしまう。もちろんカメラ道具一式を含めてである。旅慣れたといえばそれまでだが、旅が日常にあるということは、断捨離が身近にあることに他ならない。持ち物もほぼ決まっているので、用意には15分ほどあれば十分である。行き先が国外になる時は、パスポート分だけ荷物が増える程度である。身が軽いと、心も、気分も軽くなり、風景も明るく見える。軽いに越したことがないというのが、私の移動の大前提である。迷ったら持参せず置いていく。
そしてこの感覚は当然ながら、自宅での過ごし方にも影響を及ぼしている。必要不必要の分別は、肩肘張ることなく、使ったティッシュを丸めるぐらいに簡単なことだし、箇条書きになった教条的なこともなく、通り過ぎるも立ち止まるも流れに任せている。


 このような感じを何で括ろうかと思いめぐらすと、禅という言葉に行き当たった。私の生活は、禅的だなと気づいたのだ。
 

 無論、私は禅堂で座禅の経験こそあるが、僧籍があるわけでもなく、本で学んだりした程度の知識しかない。それもどこまで知識の一部に定着しているかと問えば、かなり怪しいものである。禅はZENの語感に近く、欧米経由の逆輸入的な入り方もしているので、かなり軽い接し方をしてきたと言っていいだろう。ファッション的ですらある。そういう者が、自分の生活は禅的などと口にしていいのかという自戒はあるが、まあそんなに突き詰めなくてもいいだろう、という感じであるので、そういうつもりで読み進めてほしい。
 

 まず禅僧の黒衣がいいなと思う。かなりクールではないか。決して機能的には見えないが、あれを纏えば、さぞ気持ちも引き締まるだろうなと思う。まんまの僧衣ではないが、黒い麻や木綿のそれっぽくアレンジされた服は持っていて、一応冠婚葬祭用として保持しているのだが、そういう場面で役にたったためしもなく、ケースの奥にじっとしたままでいる。以前沖縄の神人(カミンチュ)にあなたの前世は僧侶だと笑われたことがあったが、もしかしたら私の黒衣好きと関係があるかもしれない。
 
 

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