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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#60 落書きで癒す

 そういった欲望から離れるために、熱中から忘我へとシフトチェンジするには、速度を心がけてみた。とにかく5分で描き切ると決めて、ひたすらペンを走らせた。実に単純だが、思考や邪念が追いつかないように仕向けたわけだ。これは結構功を奏し、初めてペンを持った子供が衝動に突き動かされるようにして紙に描きなぐるような感覚を得た。それはとても懐かしく、感動的であった。私は誰にも邪魔されずに、自分にさえにも邪魔されずに、主体と客体とが無くなって、私自身が、紙となりペンとなって、嬉々として動き続けているのであった。

 そして、やおら左手でもペンを持ち、つまり両手で描き始めたのだ。意図的に稚拙な筆跡を狙ったのではなく、ただ、そうしたかったのだ。二つの手を使って描いてみたかったのだ。そのように遊んでみたかったのだ。私は、これまでの生きてきた歳月を一気に駆け上り、幼少時の息吹を取り戻していた。知らない間に、何もかもが最初の体験であったあの頃へ帰着していたのだった。


 私は60ほどの国を訪れたことがある。少しばかり旅慣れているという自負もある。地球の表面を様々な場所と文化へ横へと移動してきた。南極を含む全ての大陸を踏んできた。だが、それよりももっと遠い場所があったのだ。それは時間軸を縦に移動する旅であった。
 私はクロッキー帳を出発駅として、幼少の頃へと数十年分遡る旅を果たしたのだ。体は机の前に置いてあったが、心、もしくは魂は過去へと旅をした。親の影響、育った土地の環境の影響、出会った人物の影響、様々な影響が私を形成していく前の、私がつるんとした私でしかなかったあの幼い魂を、僅かな時間とはいえ取り戻したのは素晴らしい体験だった。
 やがて設定した5分が過ぎると、しだいに現在へと再着地した。劇的な変化というのはなかったが、5分前の自分とは明らかに違うのはわかった。湯上がりのようなすっきりした気分である。我を忘れるというのは、実に爽快なものだ。少し大袈裟かもしれないが、幼い頃に戻るというよりも、その頃の自分と対面してきたかのようだった。大人になったのび太が机の引き出しを通って小学生ののび太と会ってきたかのように。
 何が癒されたかと聞かれたら、はっきりこうだと答えられないもどかしさはあるが、自分をより愛せるような気がしたのは確かだ。いつの間にかずれてしまっていた自分自身とのギャップをわずか5分の出来事が埋めてくれたのだ。


 崩れたバランスを取り戻すことは、ヒーリングの大きな役割である。熱中の先にある忘我を得て、心を芯からリラックスさせること。左脳の働きを止めて、思考から離脱すること。まずはその入り口を見つけるのが大切だ。手軽にできることがいいと思う。無心で絵を描くことは、おすすめだ。落書きをするつもりが丁度いいだろう。週末までに、仕事帰りの一時を利用して、スケッチブックかクロッキー帳を選んでみてはどうだろう?





※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#61」は2018年12月7日(木)アップ予定。

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