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text by Shiki Sugawara

『バハールの涙』エヴァ・ウッソン監督インタビュー

サブ1


【バハール】メイン_トリミング



『バハールの涙』は2014年8月3日、ISの攻撃部隊がイラク北部のシンジャル山岳地帯に侵攻した出来事から着想を得ている。当時イラク南部からシリア間においてISに占領されていなかった最後の地域であり、戦略上、シンジャルの占拠は重要であった。地域一帯が一斉に襲撃され、そこで暮らしていた少数民族ヤズディ教徒が奇襲攻撃を受けたのである。逃げ遅れた男性は皆殺され、女性は一人残らず捕らわれた。先日2018年ノーベル平和賞を受賞し、自らも性暴力の被害者として、その実態を世界に訴え続けるシンジャル出身・ヤズディ教徒のナディア・ムラドと境遇を同じくし、ひるまず立ち上がりISと戦う本作の主人公バハールたちの生き様は、今もイラクやシリアで続く現実そのものであり、観る者の胸に響く。

主演は【世界で最も美しい顔100人】トップ10の常連で、『パターソン』『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』の好演が記憶に新しい、イランを代表する女優ゴルシフテ・ファラハニと、カンヌ国際映画祭女優賞受賞歴のある演技派エマニュエル・ベルコ。
今回は、自ら内戦が続くクルド人自治区に赴き女性戦闘員たちを取材、登場人物たちの心情に寄り添った描写に定評のある監督のエヴァ・ウッソンに制作までの過程からジャーナリズム、映画における女性を取り巻く現状についての考察を語ってもらった。



――撮影前に2年間の準備期間があったとそうですが、フランス人として戦火のなかにいるクルド人の女性の状況や背景、心境をどのようにリサーチしましたか?そして、そこにどのようにしてあなた自身の主観を入れ込んでいったのでしょうか?

エヴァ・ウッソン「本や読みあさった資料、それから自分自信の生い立ち、スペインの内戦。祖父が16歳の時に共和国兵士に志願したこと。彼が若い時に死に対峙したことは私のアプローチに影響を与えています。彼は他の若者たちや私とは違う青春時代を送ったのです。『バハールの涙』のプロジェクトを立ち上げた時、ドイツとフランス、クルディスタンで、元捕虜だった女性たち女性戦闘員などできる限りの人に会いに行きました。私が避けたかったのは、今までに映画で見たような戦争を見せること。私が見た現実を見せたかったのです。主観についてですが、私の文化社会的な背景を排除するというのは不可能で、全体に滲み出るものだと思います。それに私は主観的な映画の力を信じています。たとえ自分の意に反していても主観から逃げられません。カメラは私自身を反映するもので、カメラはそれ自身が自然派で客観的でいようという意思は持ち得ないと思います」



――戦争や武力紛争について、女性の苦しみが報道されることはあまり見られません。作中にも”人間というものは、悲しみから目をそらしたいのだ”というセリフもありますが、このような現状に対しあなたが考えるジャーナリズムのあるべき姿とはどんなものですか?



エヴァ・ウッソン「私は現在のジャーナリズムは厳格な仕事をしていて、よいと思います。特にここ2〜3年はそうじゃないでしょうか。全体的には4〜5年前は少し不健全な印象もありました。あくまで全体的な印象です。ヨーロッパやアメリカの選挙の影響で、ジャーナリズムの重要性が再び強く意識されるようになったと思います。ここ2〜3年においては、以前よりソースがしっかりとした報道が多いですし、大きな出版社や新聞社などは、このことをとても重要視していると思います。日本ではどうか分かりませんが、西洋においてはジャーナリストは素晴らしい仕事をしていると思いますよ」



――犠牲者になることを拒み戦うことをやめないバハールたちの物語は非常に普遍的なものに映り、これは全ての女性たちについての物語であると強く感じさせる作品でした。報道同様に、映画においても描かれてこなかったこのような側面はこれからもっと描かれるべきだと思います。本作を通して、あなたが追い求めた”真実”とは?



エヴァ・ウッソン「まさにこの普遍的な話が今まであまりにも語られてこなかったのです。戦争に参加する女性たち。歴史的にも女性たちは常に戦争に参加していたのに映画には登場しないか、登場しても端役で見ていて嫌になります。20本従軍看護婦の映画を見た後では……これを否定するわけじゃありませんが、これは歴史を書き換えて、女性の役割を格下げするものです。女性たちは物事の中心にもいたのです。スペイン内戦でも女性たちの存在感は大きかった。事態は少しずつ変わってきてると思います。女性が高い職権を持つ位置に増えてきたからです。映画界でも同じです。私のプロデューサーも女性です。表現の大きな壁にいろんな色を加えるべきで、私はその1色にすぎません。女性による女性たちを描く映画が出てくるのが楽しみです。強い女性、弱い女性、最低な女性、生きている女性、いろいろな色が必要なのです。現実世界でも女性の役割は経済的、政治的な観点でも存在感を増しています。それを見せなければいけません」


サブ5



――キャスト陣の素晴らしい表現力は、本作に込められたメッセージをより鮮明に胸に響くものにしています。バハール役のゴルシフテ・ファラハニとマチルド役のエマニュエル・ベルコをキャスティングするに至った経緯、そして二人とはどのようなディスカッションが持たれたかをおきかせ下さい。



エヴァ・ウッソン「ゴルシフテは簡単です。彼女以外にバハールを演じられる女優はいませんでした。クルド語とフランス語ができて高いレベルの演技ができる女優は他にいません。それに彼女がOKしてくれなかったら資金も集まらなかったでしょう。彼女とは準備段階で特に話をすることはありませんでした。その必要性も感じませんでした。撮影中には彼女から提案をもらったこともあります。エマニュエルは強さと脆さを併せ持ち、それを表現できる素晴らしい女優です。男性の視点で描かれた映画では女性の人物像が平坦に描かれがちですが、私はこの強さと脆さの同居を見せたかった。少し個人的な話になりますが、私もよく、”強さと脆さが同居している”と指摘されているんです。なので、親近感もありました」



――私自身、本作から”戦う勇気を”得ました。監督として、観客には本作からどのようなメッセージを受け取ってほしいですか?



エヴァ・ウッソン「単純なことです。この物語が観客に力を与えて欲しい。私もこの物語から力をもらったから。うまくいかなくて落ち込んだ時ーー映画を作るというのは簡単なことじゃありません。一部の特権階級は優遇されますが、そうでないと極端な批判にさらされることもあります。こういう時に、自分に言い聞かせます。”戦わない権利は私にはない。口を開かない権利は私にはない。可能性はあるんだから。私があった女性たちは自由のためにとてつもなく大きな代償を払っているんだから”これが私を奮い立たせています。もしこのメッセージを伝えることができたとしたら、その女性たちが目に見える何かを残せた、と言えると思います」



――本作を監督するにあたり、ファシズムの犠牲者であったあなた自身の家族、特に祖父の物語が大きく影響しているとおききしましたが、どのような繋がりを見出したのでしょうか。



エヴァ・ウッソン「ある時自分の出自について調べた時がありました。祖父は1936年に16歳でスペイン内戦に参加して、19歳でフランスに亡命しています。彼はコミュニストでした。彼の兄、私の叔父はアナーキストだったので彼らは何年も話をせず家族に影を落としています。2人ともスペインの内戦で大きな役割を担いました。祖父は若くして戦い、フランスでレジスタンスを指揮し、1944年パリがドイツ軍から解放された時もスペイン兵と一番乗りでパリに入りました。叔父はPOUM(マルクス主義統一労働者党)の幹部になっていました。POUMのリーダーがロシア系ポーランド人将校によって処刑された時、アナーキストの名誉を守るため、この将校を暗殺しました。22歳の時です。こういう家族の背景をもっていながらも、私は90年代に青春時代を迎えました。この時代はフランスがもっとも政治的でない時代で、若者の興味はパーティーに行ってテクノを聞いて、ドラッグを吸うことくらいでした。私もさんざんバカ騒ぎをしましたが、そのうちにこの政治的な空虚がいやになってきました。そこで祖父のことを調べ始めて、先に述べたようなことを知ったのです。私は移民3世にあたります。2世は沈黙の世代で、話すことをしませんでした。私は理想との関係について話したい。実際にスペイン内戦についてのシナリオを書きましたが、フランスでは資金は集まらないと気がつきました。そんな時、この女性たち(女性戦闘員たち)の話を知った時、私が積み上げてきた感性や知識を反映できると思ったのです」


サブ3


――”本作で得た資金はおそらく男性監督が得る資金の3分の1ほどだろう”と仰っていました。映画業界に携わる女性として、未だ多くある障壁についてどのように捉えられていますか?



エヴァ・ウッソン「勘違いがあります。正しくは、男性監督が得られる資金より3分の1ほど少ない、です。もうちょっと複雑ですけど簡単に言うとそうです。女性であるというのは大変なんです。力を持つ女性が増えていても、やりにくい。男性の監督が女性を主役にした戦争映画を撮りたい、というと、おそらく誰も(出資者たちは)興味を示しません。そういうのはイメージにないし、想像できないのです。だから、多くなるのは白人中年のクライシス、浮気をしたいとかそんな男性の話になります。それは想像できるので出資しやすいのです。そう言う映画がヒットしてます。カンヌでのプレス上映である批評家が言ったそうです”武器を持った女性は見たくない”。映画祭の幹部にももっと女性がいないといけません。例えばベネチア国際映画祭にはコンペティション部門に選ばれた女性監督はたった一人で、彼女はとあるイタリア人批評から売春婦呼ばわりをされ、ひどい批判にさらされました。2018年ですよ。私はベネチアのコンペには入りませんでした。皆には”好みの問題だから”と言われました。でも好みは文化構造が作るものです。ずっと男性視点の映画を見てきてた50代の映画祭のプログラマーが、違った視点の映画を見ても積極的にはなれない。でもだんだん変わってきました。ベネチアでは正確な数字は覚えていませんが、24-5作品選ばれたうち、女性監督の映画は確か4%とか8%程度でした。数字は確認してください。でもその後、トロント、トライベッカ、サンダンスでは40%に伸びています。これは映画の質が問題だったのではなく、社会的に女性監督の映画が不当に評価されてきた証拠です。少しずつ良い方向にいっていますが、冷静にならないといけません。人類の歴史の中で、後退のない前進はないのです。10年後、映画祭で50%の作品が女性監督になっていれば嬉しいですね。でも10年はあっという間です」



――これから表現において挑んでみたいテーマがあればおきかせください。



エヴァ・ウッソン「シナリオを書き終えたばかりです。50〜60年代にイギリスとアメリカで暮らした若い女性の記憶を映画にしたものです。彼女はアイルランド系で、アメリカの裕福な家庭の出身ですが、ある時両親を事故で両親を亡くし、紆余曲折の末、真冬にイギリスの先進的な下宿に送られます。そこで多くの経験をし、母親のカメラを手にして、アーティストになる、そういう話です」

バハール監督写真



『バハールの涙』
1月19日より、新宿ピカデリー&シネスイッチ銀座ほか全国公開


STORY:女弁護士のバハールは愛する夫と息子と幸せに暮らしていた。ある日クルド人自治区の故郷の町でISの襲撃を受け、男性は皆殺されてしまう。バハールは人質にとられた息子を取り戻すため、クルド人女性武装部隊“太陽の女たち”のリーダーとなり、戦う日々を送っていた。


監督・脚本:エヴァ・ウッソン 『青い欲動』
出演:ゴルシフテ・ファラハニ 『パターソン』『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』、エマニュエル・ベルコ 『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』
2018年/フランス・ベルギー・ジョージア・スイス合作/111分/原題:Les filles du soleil(英題:Girls of the Sun)

©2018 – Maneki Films – Wild Bunch – Arches Films – Gapbusters – 20 Steps Productions – RTBF (Télévision belge)
配給:コムストック・グループ + ツイン

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