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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」
#1 裏の森

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 7年ほど前の話になる。
 沖縄に移住して一年に満たない頃のこと。
当時住んでいた宜野湾嘉数にある外人住宅裏の急斜面の藪森から、伸び放題の雑草たちが裏庭に進出して、ただでさえ湿気の多い土地をさらに陰鬱にさせていた。腰から人の背ほどに丈を伸ばした雑草の威容は、人間の繁栄と真っ向から対峙する覚悟があるかのようですらあった。亜熱帯の植物の勢いは内地とは別物だな、と畏怖と恐怖が混じらせつつ圧倒されたのをよく覚えている。他にも子供の拳ほどの大型のカタツムリ、アフリカマイマイがはびこり、時にはマングースが顔を出し、真昼でもそこに行くのをためらうような腐臭に近い臭気が漂っていた。
 放っておいたら、遠からず裏庭がそれらに飲み込まれるのは目に見えていたので、意を決して鎌を手に取り、雑草刈りを始めた。クワズイモの太い茎からは粘りのある水分が飛び散り、センダン草の無数のトゲ付き種子が衣服に絡まり、雑草の根元にはハブが潜んでいそうであった。
 そのまま裏庭と藪森の際を越えて、斜面へと進み入ると、その先は樹々の幹や枝が日光を遮り、雑草の勢いは急に失われていた。要するに藪森と裏庭との際だけに雑草の楽園があったのだ。
 陽の世界から、陰の世界へと小さな冒険旅に出たつもりでいたので、肩透かしをくらった感じはしたが、すでに雑草刈りの大方が片付いた安堵から、しばらくその森を散策することにした。
 歩き出してすぐに感じたのは、足草の生えない森に漂う死の気配であった。渇いた斜面は、森の高い樹々の繁栄と引き換えに、幹を支える地面の死を差し出しているかのようだった。裏庭と藪森の際に見られた過剰な緑の繁茂には、生命のほとばしりが死に向かっているような狂乱を感じたが、森の中の乾いた世界は、それとは真逆である。その二つが隣接していることに、なんとなく異界の入り口を感じた。
 不吉な世界というのは、なぜか人を内へと誘う力も持っているものだ。そこで引き返すのが賢明なのは分かっていても、なおも進んでしまう人もいる。僕は後者であった。
 進み始めて、ああなるほど、と腑に落ちるものにすぐに出くわした。
 そこには琉球石灰岩が周囲に露出した小さな洞窟の入り口があり、かつての拝所であることを裏付けるような、香炉があった。僕はそれがそもそもの目的であったかのように、何のためらいもなく、その拝所の掃除を始めた。落ち葉や朽ちた枝などを掃き清めると、心が晴れやかになってゆくのが分かった。その場所が僕に微笑んでいるような気がして、さらにその作業を気の済むまで進めた。
 自宅の裏に陰湿な世界があり続けると、それはいつしか澱のように日常生活を湿らせる。いわゆる陰気によってなんとなく気が晴れない状態が続くのだ。
 雑草を十分に刈り終えたばかりか、拝所まで見つけ、そこを清めた僕は、これまでとは打って変わり、裏庭の背後には聖なる土地があり、その力によって守られているとさえ解釈した。
 その後は、毎朝日の出頃に裏の森に登り、拝所を清め、そこに膝をついてその日の無事を祈るようになった。誰に教わったわけでもないのに、すでに古くからの習慣であるかのように馴染んでいた。


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 ちょうど同じ頃、北部大宜味村のある方の自宅で催された神人さんのお話会に参加した。神人とは、沖縄では漁師が海人と呼ばれるように、神様と一般の人々との仲立ちをする役の人のことである。シャーマンとか巫女に当たる人々である。
 その日の参加者は十数名であった。上座に座った四十過ぎくらいの神人さんは、聴衆の中に僕を見つけると、初対面なのに愉快そうに声を出して笑った。
「あなた、お坊さんだったね、数珠を持って座っている姿が見えてるよ」
確かそんな言葉を皆の前で僕に向けて放ったのである。
 お話会がお開きになった直会で、神人さんに裏の森での一件についてどう思うか個人的に尋ねてみた。昔の人が作り、今は使われていない拝所で、勝手に祈ったりしていていいものかと。
 神人さんは、希望物件の条件を客から聞いている不動産業者のように、ふむふむと頷きながら一通り聞き終えると、あなたは家族と普通に幸せに暮らしたいですか、と逆に尋ねてきた。
 当然僕は頷いた。
 ならば、あと一週間以内にそれはお止めなさい、と神人さんはきっぱりと言うのであった。その拝みを続けていたら、あなたはきっと家に帰れなくなってしまう。あっち側の人間になってしまう。その覚悟はありますか?
 無論、そんなものは、ない。
 あなたは、どこにでも入って行っちゃうでしょう?あなたは大丈夫なのよ、でもね、あなたにいろいろな者が乗ってきて、あなたと一緒に移動して、帰宅後に家族に降りちゃったりするからそれも良くないでしょ。だから一週間以内にお止めなさい。
 僕は黙って再度頷くしかなかった。
 確かに土地の何かに誘われて奥へ奥へと入ってしまうことはよくある。例えば、斎場御嶽が世界遺産に登録される前に、その裏手の敷地に入ったことがあった。わずかな獣道のような筋を草地に見つけて辿ってしばらく行くと、小さな拝所があり、現在も使われている形跡があった。さらにその先へと入っていくと、上から大きな枝が落ちてきて、どすんと地面を鳴らした。ここから先は入るなという土地からの忠告だと解釈して、ようやく引き返した。そんなことはしょっちゅうなのだった。
 神人さんは、さらに続けた。あなたは前世で修行を存分にやってきたから、それはあなたにとっては、もはや簡単なことでしょ?人から離れて山に篭るなんて簡単なことなのよ。でもね、今回は家族と共に暮らし、学び、全うすることがあなたに与えられた修行なの。それを心がけてください。
 僕は、はい、とやはり頷くしかなった。
 若い時から旅を好み、孤独を好み、一人分の責任だけを背負って気楽に生きてきた。指図を受けることが不得手で、気ままに生きていきたのは確かだ。また、幼少時から神社仏閣を好み、考古学者になることが小学生時分の夢であった。外へ外へと世界を歩き広げ、トレジャーハンティングに夢中になっていられるには、考古学者になるしかないと考えたのだろう。
 考えてみれば、現在の職業の一つである写真を撮るという行為は、まさにトレジャーハンティングであり、考古学者になる夢を、少し違った形で成し遂げているともいえる。
 人から離れた修行は簡単。家族の関係をよりよく築くことが今生の修行。
 神人さんのお話はそこまでであったし、それ以上のことも無かっただろう。僕は一人でいることを卒業し、家族を大切にすることへ生きる意味を移す時を迎えたのだ。そのことを知るために、神人さんのお話会に参加したのだと納得した。
 家の裏の拝所には、神人さんが告げたように、きっかり一週間で行くのをやめた。その最後の朝、膝をつき、今日の家族の無事を祈り、そして拝所へのお導きに感謝を伝えた。祈りを終えると、いつものように清々しく、掃き清めてから去った。


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 それから数ヶ月が過ぎ、宜野湾嘉数から引っ越すことになった。あれ以来拝所には行っていなかったが、最後にもう一度だけのつもりで、森の中へと登って行った。裏庭と藪森との境にある雑草群を掻き分け、地面の乾いた森へ入り、拝所へと向かった。
 近づくにつれて、入り口では気のせいかと思えるほどに微かに漂っていた線香の匂いが、次第に強まっていた。
 着いてみると、香炉には真新しい板状の線香が二枚煙を燻らせていた。しばらく使われていなかったはずの拝所だが、新たに誰かに使われ始めたのだなと解釈しかけて、ここに至る道が特にないことに気づき、訝しく思った。だが、そんなことは大したことではない。自分のように獣道を踏み歩くのを厭わない人もいるだろう。
 気を取り直した僕は、改めて拝所と向き合い、地面に膝を付き、目を閉じ手を合わせ祈った。この土地にご縁をいただいた感謝と、住まわせていただいた間のご加護への感謝を伝えた。
 目を開けると、目の前にあったはずの線香が消えていた。匂いは残っていたのだが、線香がないのだ。灰もない。だが、僕は不思議と落ち着いていた。きっとこういうことがあるからあの神人さんは、お止めなさいと伝えてくれたのだ。
 あれから7年が経った。今でもあの拝所を時々思い出す。あの線香は、いったいどういうことだったのか。どう解釈すればいいのだろうか。おそらくあの場所が岐路となって、僕はあの時まで生きてきた世界から違う世界へとずれてしまったのではないかと考えている。よく似た世界ではあるが、全く別の世界へと。
 消えてしまったのは、線香だけでなく、僕の歩むはずだった人生が失われたのだ。だが、思えばそういう岐路はブラックホールのように人知れずにいたる場所に存在しているのかもしれない。あれ?今何してたっけ?となる時は、時空間の断層に接したからではないだろうか。
 と、ここで話を終わらせるつもりでいた。だが、僕が本当に見たものがもう一つある。最後の拝所で見たもの。そう、あの最後の配所で線香が消えた時に見たもの。
 膝をついてお祈りをし、目を開けた時線香が消えていた。気配を感じて右を見た。僕を見つめる、僕がいた。

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藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。

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