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text by Ryoko Kuwahara

「映画作りで辛い時、かつての女性監督のことや、シワのある手で私の手を握ってくれたその温もりのことを思い出していました」シン・スウォン監督『オマージュ』




先日、とある邦画でカメラを担当したスタッフが「カメラマン」と呼称していた文章を見て、その映画に関わっている友人に、せっかくジェンダーやセクシャリティについても考えさせる映画なのであれば別の呼称を使用した方が良いのではないかと連絡をした。参考として送ったリンクは下記で、おそらくはその人のポジションは「Cinematographer」となるだろうとも。(余談だがTHE BLUE HERBのクレジットではCinematographerが使用されている)
https://www.theguardian.com/film/2018/jan/25/woman-cameraman-snubbed-mudbound-rachel-morrison-nominated-oscar


世の中にジェンダーで区切られた職業の呼称は未だ多くあり、何の疑問もなくその呼称を使用する人がいる一方、それらを聞いたり目にするたびに、ジェンダーギャップを思い知らされて苦しい気持ちになる人もいる。英語圏でそうした旧来の呼称は急速に変更、更新されているものの、意識的にか無意識にかその更新をスルーしている人々は、スルーできる自分の特権に気付いているのだろうか。余裕のある特権側こそが気付いて勝手に更新してくれればいいのにいちいち指摘しなければいけないのかとやりきれない気持ちになったりする。特権側からは呼称は些細なことのように思えるかもしれないが、ジェンダー平等を謳う諸外国でどうしてこのようにハイスピードで改善されていくのかというと、言葉が文化を作ると知っているからだ。戦争で侵略した国の言葉を封じ、自分たちの言葉を布教するのはなぜか。焚書がどのような場面で行われてきたか。そうした歴史を知るものたちは言葉の重みを知る。だから、職業にジェンダーを乗せた呼称は、気づかぬうちに誰かの小さな夢を挫いているのだと知っている。


ジェンダーが乗せられてはいないけれど、女性がその座に就いた場合、「女性」という冠が延々とついてまわる職業も多々。男女の二元論に限らず、トランジェンダーやノンバイナリーなどのクィアも含め、シス男性以外は例外であるというかのような前提が呼び名に見え隠れする職業の一つ、「監督」が東京国際映画祭で上映されたシン・スウォン監督による映画『オマージュ』のモチーフである。


韓国では1955年に初の女性監督が誕生し(パク・ナモク監督『未亡人』)、1962年に2人目となるホン・ウノン監督が『女判事』を手がけている(世界初の女性監督はアリス・ギイ=ブラシェで1896年『キャベツ畑の妖精』を制作、日本では坂根田鶴子が1936年に『初姿』を公開)。


『オマージュ』は、現代で家庭を持ちながら監督業を続けているジワン(キャスト:イ・ジョンウン『パラサイト』)が、ホン・ウノン監督による『女判事』の損傷の激しいフィルムの復元を任されたことから、先達がどのような思いや苦悩を持ちながら同じ職業を生きたのかを知っていくというもの。映画業界と聞くと浮かぶような派手な描写はなく、あるのは創造する者がいかに資金や時間という現実と向き合いながら必死で作品を生み出したのかという記録であり、ライフプロジェクトや身体の変化、はたまた社会からのプレッシャーに押し潰されそうになりながらも信念を持って生きた、教科書に載るでもない、名前も大きく刻まれていない女性たちが、今の自分たちに選択の幅を与え、後押ししてくれているのだと知る時代を超えた連帯だ。もちろん本作もまた、同時代そして後世の女性の背中を押す役割を担っている。作品内で男女間でのわかりやすい軋轢はなく、徐々に徐々に真綿に絡めとられるように自信や理想を削られていき悩むジワンの姿は凄まじくリアルで、シン・スウォン監督そのもののようでもあり、観る者自身のようでも、身の回りの誰かのようでもある。そのように「これは私、あるいは母、祖母の物語だ」と感じた人に、自身を含め脈々と続く連帯を目に見える形で差し出すことこそがシン・スウォン監督が本作に込めたエールなのだと、観賞後には心強い友人を得たような気持ちになる作品。この傑作を世に送り出したシン・スウォン監督の、東京国際映画祭での言葉を綴る。




ーー韓国の映像資料院フィルムアーカイヴに行くシーンで、『未亡人』という映画を撮ったパク・ナモクさんという韓国の最初の女性映画監督についての説明がありました。そしての次のコーナーで『オマージュ』のテーマとなるホン・ウノンという監督が撮った『女判事』という作品が紹介されました。まず、こういった韓国の女性監督の初期の方々になぜ今回スポットを当てられたのか。どういう形でこうした女性監督たちを発見されたのかということをお聞きしたいです。


シン・スウォン「2010年に『虹』という映画を撮った翌年、テレビのドキュメンタリーを撮らないかという提案をいただきました。『カメラを持った女性たち』という内容の45分ものです。そのドキュメンタリーの資料調査の一貫で1960年代に韓国にも女性監督がいたという事実を知りました。韓国最初の女性監督であるパク・ナモクさんは『未亡人』以降は撮っていません。2人目のホン・ウノン監督はパク・ナモク監督の友人でもあり、『女判事』以降も2本撮影し、全部で3本撮られています。私は取材にあたり監督の作品3本全てを観たかったのですが、3本ともフィルムが残っていませんでした。さらにホン・ウノン監督は既に故人となられており、監督の娘さんと監督の友人で編集を担当していた方に取材をすることになりました。


そのようにホン・ウノン監督の取材をしながら私は過去の事実を知り、当時のその方たちが抱えていた苦悩や悩みも知るようになりました。パク・ナモク監督にしてもホン・ウノン監督にしても1960年代に女性が監督として仕事をするというのは大変なことだったと思います。当時は保守的な環境だったので、その中で一般の方たちとはまた違う形で熾烈な戦いをしていたのではないでしょうか。まず自分との戦い、そして他者の視線との戦いをしながら、女性監督たちは生き残ってきたのです。彼女たちの姿は映画監督として様々な悩みを抱えていた私自身の姿と重なるところが多くありました。実際、取材をさせていただいた編集の方はかなりご高齢だったのですが、お別れする時に、私の手を握ってこう言ってくれました。『昔は映画を作るのが本当に辛かった。そして女性として生き残るのは本当に大変なことだった。だからあなたはこれからも生き残ってずっと映画を作り続けてほしい』と。


私は映画を作っていく中で辛い時や疲れた時に、ふとかつての女性監督のことや、シワのある手で私の手を握ってくれたその温もりのことも思い出していました。取材で得た事実やインスピレーションを得て以降ずっとこのことを映画で撮りたいと思っていて、2019年にシナリオを書き始めました。また、2015年に『女判事』のフィルムが発見され、映像資料館に寄贈されたことで、作品内にも使用できることになったので、『女判事』という作品もからめ、過去の女性監督と現在の私の姿を一つにするような形でシナリオを書くことにしました」





――映画の中に一部出てくる『女判事』の映像は全て、最近発見された映像なのですか。


シン・スウォン「最後の映像以外はそうです。脚本を書いている時は『女判事』のフィルムは全て発見されて失われた部分はないと思っていましたが、シナリオの内容と映像を照らし合わせてみるとどうも変だなというところがありました。撮影を控えている中で、30分くらいの分量がまだ見つかっていないということがわかったんです。当時のロールにすると1巻分くらいが未だ見つかっていません」


――日本でも確かにフィルムを復元しようと思ったけれど完全版がないということもよくあるんですが、韓国の50年代、60年代というのはそういうことはよくあることなんでしょうか。それとも特にこの『女判事』の監督作品がなかったということなんでしょうか。


シン・スウォン「私が知っている限りでは『女判事』に限らず当時のフィルムは残っていないケースが多いようです。私自身はフィルムの復元の経験はなく、映画の中ではフィクションのストーリーとして入れていますが、取材をしている時にはホン・ウノン監督の作品は3本とも見つかっていませんでしたし、聞いた話では当時は映画の上映が終わるとフィルムを溶かしてレコード盤にしたり、帽子のツバに使っていたということです」


――劇中の古い映画館には原州(ウォンジュ)にあるアカデミー劇場を使ってらっしゃいますが、こちらを使用した経緯を教えてください。



シン・スウォン「古い映画館を探すのは本当に大変な作業でした。脚本を書いている段階からあちこち探したもののなかなか見つからないのです。今、韓国ではほとんどの映画館がシネコンになっていますし、表向きは良くても、中に入ると映写室が狭かったりリノベーションされていて撮影ができなかったりしました。そんな中、あるブログからアカデミー劇場のことを知り、その関係者の方を探してお会いして、使わせていただけることになりました。その時には既に映画館としては廃業していたのですが、管理している方がいて、文化財として保存することが決まったそうなんです。その管理の方が協力してくださったのに加え、持ち主の息子さんが中で撮影することを許可してくれて撮影が叶いました。


初めて映画館に入った時に雰囲気がすごく良くて、空間自体がまさに60年代当時の生きたままの空気を感じさせてくれていました。劇場主の方がドアを開けてくれたのですが、そこから光が入ってスクリーンにいろんなものが映るんですね。その時に車が通ったのが写り込んだのを見て、なんて映画的なんだろうと感動しました。そうやってロケハンをしながらアイデアを発見していきました。映画の中では天井に穴が開いていますが、あれも映画のために作った設定です。照明を使って天井に穴が開いてるように見せているのです。他にも、35ミリのカメラを稼働させる機材はなかったので、美術チームと予算を組んで映画館での撮影のために新たに35ミリを回せるような機械を作りました。3日間ほどそこで撮影したのですが、本当に素晴らしい空間でしたし、本当にアカデミー劇場の方にはたくさん助けていただきました。あの映画館は売却される危機にあったそうなのですが、保存されることに決まったと去年嬉しいお知らせがありました」


――その古い映画館で成人映画が流されていましたが、あれは実際に韓国であることなのでしょうか。というのも、日本でも古い映画館で35ミリで成人映画がかけられていることがあるのです。


シン・スウォン「韓国でも成人映画を上映する映画館が以前は決まっていたのですが、私が知る限り今はそうした専門の映画館はないと思います。劇中でのシーンに関しては理由があります。私がドキュメンタリーを撮っていた時に映画館でのインサートが必要で探していたのですが、その時に廃業になる直前の映画館を見つけました。そこは以前は芸術映画や商業映画をかけていたところだったのですが、映画を上映しなくなって10年20年経っていました。撤去される直前に、映画館にいる方が廃業しているけれどお金を稼ぐために成人映画をかけていたのです。その事実を知って、これはアイロニー だなと思いました。『オマージュ』の中で上映されているのは韓国のチョン・イニョプ監督が撮った『エマ夫人』(1982年)という映画です。アダルトというよりは商業映画という範疇に入り、当時は商業的にも成績がよかったようです。使用するためには著作権を持つ方の許可が必要ですから、こういう映画を撮りますという説明をしたところ許諾をいただきました」





――キャストに関して聞かせてください。イ・ジョンウンさんを主演に据えたのはどうしてでしょう。


シン・スウォン「脚本を書いている時にジワン役は誰がいいか随分悩みましたが、キム・ユンソク監督の『未成年』という作品でのイ・ジョンウンさんの演技が非常に印象的だったのです。登場シーンは少なかったもののとても自然で印象的な演技だったので、いつか彼女を撮りたいと思っていました。イ・ジョンウンさんはその後に『パラサイト』にも出演されて、そこでも新しい姿を見せてくれています。何よりこの映画では40代後半の女性の役者が必要でした。ただ韓国ではその年代の女性の演者があまり多くなく、色々考えてイ・ジョンウンさんがやはり最適だと思いました。イ・ジョンウンさんにしてもこんな役はやられたことがなかったはずです。そこで脚本を送ったところ、何日もしないうちに『関心がある』とお返事をいただきました。そうして一緒に映画を撮ることになりました。初の主演ということでプレッシャーもあったと思うんですけれども、本当に現場でも時間があるたびにたくさんの話をして、私以上に悩んで役作りをしてくださいました。イ・ジョンウンさんは特有の演技ができる方で、私が書いたジワン以上にもっともっと面白くしてくださった部分もあると思います。イ・ジョンウンさんは天性の演技を見せてくれる方ですが、身体の演技が上手で顔の表情もコミカルだったりたくさんの表情を見せてくれます。静的なドラマにも合う方だと今回撮影しながら思いました。現場では友達のように接してくださって、とても楽しく撮影できました」


――息子役のタン・ジュンサンさんについてはいかがでしょうか。


シン・スウォン「彼はまだ20歳にもなっていなくて、私も今年くらいから注目していた俳優でした。色々な作品に出演していてとても印象的でナチュラルな演技を見せてくれています。『愛の不時着』や『ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です』にも出演していて、境界線のない、何色にも染まっていない俳優だという印象がありました。今回は20日間くらいしか撮影日数がない余裕のない映画で、タン・ジュンサンさんに出てもらったのはそのうちの4日間くらいです。長い待ち時間がありますし、たくさんのテイクも重ねられず、私としては申し訳ない気持ちだったのですが、そんな忙しくてタイトな現場でもしっかり自分の立ち位置を決めて自分を見失わないように一生懸命に取り組んでくれました。全く物怖じしない俳優だと思います。映画の中で上半身を脱ぐシーンがあったのですが、その提案をした時、最初はモジモジしていたものの後でやりますと言ってくれました。そのように勇敢な一面もあり、見所がたくさんある俳優です。こちらがディレクションをするとそれ以上の演技を見せてくれる、年齢が若いということを感じさせない人です。『ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です』も非常に長いドラマですが、主人公としてドラマを引っ張っていくような部分もありますし、これからの活躍が嘱望される俳優です。イ・ジョンウンさんとは実は彼が子役の時に一緒に出演したことがあったそうで、とても仲が良く、本当の親子のように見える時があって驚くことがありました。元々ミュージカル俳優なのでダンスもとても上手です」


ーー最後にメッセージをお願いします。


シン・スウォン「映画館でお会いしたかったのにコロナで行けなくて残念です。映画の中でプロデューサーが『私たちはこれからも生きていく、生かされる』ということを話していましたが、今まさに私たちは非常に辛い時間を過ごしています。人生をただ生かされるのではなく、皆さんと一生懸命生きていければと思っています。皆さんも頑張ってください。愛してます」



『オマージュ』
https://2021.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3401CMP07

仕事に行き詰まった韓国の女性映画監督が映画の修復の仕事を依頼される。その作業は自国の女性映画監督が辿った苦難な道のりを明らかにする。『パラサイト』(19)のイ・ジョンウンが主演。
監督:シン・スウォン
キャスト:イ・ジョンウン クォン・ヘヒョ タン・ジュンサン

2021年製作/108分/韓国
原題:Hommage

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