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藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#53 南極の石




吉岡たよりは、すでに45回の夏を知っている。


誕生日は10月なので、この夏で実に46回目になる。
思えば、あまりにも無自覚に、そして無駄に夏を過ごしてきてしまったと、心の中でたよりはため息をついた。人生の半分の夏は終わっている。電車の窓から見える無数の屋根に覆い被さるように当たる7月の太陽光に、たよりの目の奥が痛む。
今頃、夫の吉岡左近はリフォームに精を出している頃だと想像し始めた時、妻のたよりは背後の空いた席に気づき、流れるような動作で収まると、膝を見つめて小さな安堵のため気をついた。空席をめざとく見つけてしまう自分と、座ることに執着していない風を自他にさらりと説明するような落ち着いた動作。その間で感じる馬鹿馬鹿しさに、夏の暑さは、あまりにも暑い。
ふと、たよりの心に「人は夏に老ける」という言葉が浮かんだが、滞在時間は短くて、すぐに窓の外の景色に溶けてしまった。
入れ替わるように「人は夏に生まれる」という言葉が続いたが、くだらない、と心の中で一蹴して、どこからともなくやって来る言葉を、もうこれ以上は不要だと遮った。言葉は、すべての言葉は、借り物だ。


やがて電車は、新宿に到着する。
車両から吐き出されるように下車した人々は、せかせかと、つかつかと出口へ急ぐ。それぞれが日々浪費している時間の量を思えば、なぜここで一斉に時間短縮に励むのかといつも疑問に思うが、物流のようなその流れには乗るしかなく、これは夏の暑さのせいじゃないと、たよりは口籠る。


中央線へ乗り換えるためにターミナルを少しうろうろしていると、たった今、一枚の画像を着信したことに気づいた。ポロロンと一度だけ軽やかに響くその着信音がたよりは好きで、鳴るだけで気持ちがいつだって少し和らぐ。
開いてみると、その画像は例の石の写真だった。たよりは思わず、「おっ」と声を出す。いいことがあった時の「おっ」だ。

 
見慣れない窓の淵に置かれた写真の中の黒い石。それは、南極の石だと夫から聞いていた。夫にしても真贋はわからない。南極の石として友人からもらったのでそう信じていた。たよりも妻として信じてみることにした。

 
はじめて夫から手づたいにその石を受け取った時、想像以上の重さにたよりは驚いた。黒々していていかにも重そうに見えるが、さらに想像の上をいく重さに驚いた。
「ああ、これは本物かもね」とたよりが幾分頬を紅くさせつつ言うと、
「だろ?こんな重い石は、その辺にはない」と詳しくもないくせに真顔で断言した夫の左近。あれはいつ頃のシーンだったのだろう?と、たよりは思いを巡らすが、はっきりとはしない。おそらく数年前の夏だったのだろうと思う。あの時黒い石を手渡した時、お互い半袖を着ていたから、というのが理由だが、少なくとも冬ではない。

 



黒い石の写真が左近から送られてきたのは、これで3度目で、最初の1枚は、群馬県の前橋からだった。
ほぼひと月かけて、たった1人で古家をリフォームしている間は、週末以外は現地で寝泊まりして作業に専念していた。東京との往復時間を考えたら、それが理に適っていた。
もともとDIYに疎かったせいもあって、動画で学びながらの作業は効率もよくなかったが、それでも仕事と割り切って左近なりに粘り強く頑張った。
だが、不慣れな土地で不慣れなことをし続けるには、やはり寂しいものだ。特に疲労困憊して迎える一人きりの夜というのは、心の踏ん張りにも影響する。左近はそんなことを予想して、ラジオと黒い石を現場に持参していた。
そのことは、たよりも知っていた。前々から変わった部分のある夫だと思っていたが、耳寂しさを紛らわすラジオはともかく、子供にとってのぬいぐるみなのか、まさか石をお供にするとは、たよりの想像外だった。
「ほら、触ってると落ち着くよ、ほら」と言って、たよりにも触るように勧める時の左近の表情は、ちょっと身内ながらも安全な距離を置かないとまずいなと思わせた。いや、これはたよりにとって冗談ではなかった。言葉を使うなら、鬼気迫る優しさ、であった。
ただ、無類の石好き、いや南極石好きの部分を除いたら、たよりにとっての左近は、やはり愛すべき安全な夫だった。

左近は、もともと小さなコーヒーショップを経営していた。
コロナで閉店を余儀なくされた後、間髪入れずに古家の賃貸ビジネスを始めたのは、たよりから見て、不思議な流れだった。
それまでそんなビジネスに興味があるとは知らされてなかったが、左近の心の中では副業としてかなり前から練られていたと後から知った。
コーヒーショップを継続しつつ、副業で家賃収入を得る。コロナ以後の今となっては、副業という言葉も聞き慣れたが、以前はその平易な響きほど現実的に行き渡っていなかった印象がある。
ともあれ、コーヒーショップが立ち行かなくなったとみるや、すぐにあらかじめリストアップされていた古家を3軒まとめて購入した左近の自信たるや、もはやたよりには意見する気さえ起こらなかった。
家自体が安かったというのも意見しなかった理由でもあった。それぞれ50、40、20万円の物件だったからだ。言わば、ぼろ家であった。たよりは現地に行ったこともなく、写真でしか見たことはなかったが、そのぼろさは値段相応と素人ながらに言いたくなるような物件だった。

 
前橋の最初の家のリフォームが終わると、完成!という一言と共に南極の石が送られてきた。薄暗い場所に、おそらく窓からの外光を受けた南極ちゃん(実はたよりはいつもそう呼んでいる)が凛々しく写っていた。そこには左近が持参した、つまり必要としたことを裏付けるような、パワー(パワースポットと同じ種類のパワー)が感じられた。夫の日々の疲れを拭ってくれたその石に妻のたよりはスマホの画像にぺこりと一礼した。

 
富津の家のリフォームが終わると、またしても完成!という言葉と共に同じ石の写真が送られてきた。富津といえば、海のイメージがあるが、その石の写真からはそんな気配が全くなかった。おそらくどんな凄腕のプロでも、家のどこかに石を置いて海を感じさせるのは、それなりの嘘を持ってこないと無理だろう。
そして、今日また新たに、石の写真が送られてきた。高尾からである。なんの変哲もない窓辺に置かれた石の写真である。その平凡さが、その家と周囲の平凡さ、そしてリフォーム作業の平凡さを表しているかのようですらあった。
たよりは、「おめどう!」と返信した。

 

 

「吉岡左近、三軒目達成しました!」数秒後にそんな返信がきた。もう、50なのに、普通の会社員だったら、管理職で定年もそろそろ視野に入れて動き始める頃だというのに、こんなリスタートもあるんだな、とたよりは南極の石をまじまじと見つめ、ありがとうと新宿駅構内でつぶやいた。もちろん、その声は周囲の誰にも聞かれはしない。


家賃収入はそれぞれ5万円。目指すは20軒で、月商100万円というのが、左近の口癖のようになっていた。実際すでに12軒購入しているので、まんざら不可能ではない様相だ。体力の続く限り、買い増して、修繕してを繰り返し、半不労所得を達成し、やがては、同様なやり方で、インバウンド様に、僻地、辺境宿をコンセプトに素泊まり宿を全国展開していくというのが左近の夢である。
そんなにうまくいくのかなあとは、たよりの本心だが、左近が楽しくて、それなりに
暮らしていけるなら、なんの文句もないというのも、また本心だ。


そんなたよりは、訪問専門のネイルサロンとタロット占いを仕事としていて、いい歳こいて、とか言われるし思われるだろうとは知っているが、適正があると思っていて、このスタイルで10年はやっている。ネイルと占いは別物だが、中にはセットでオーダーしてもらえることもたまにあり、まあまあの安定度だ。でも、いつまでは続くないとは知っている。


適正がある仕事を見つけるのが、幸せを感じる上でとても大切だという意見には、大方の人が同意すると思うが、たよりは、適正も変化していくということを会う人に言い続けている。
人は変わるという前提あっての話で、好奇心とか興味とかは、やがて変わるし、身体的な状態も勿論移ろう。服や食べ物の好みがそうであるように、職業も上手にアラカルトを楽しむつもりで変更させる準備しておくと楽だ。

たよりは中央線のホームに立つ。
これから三鷹まで仕事に行く。グーグルマップで、あらかじめ散歩してみると、道が真っ直ぐで、京都の町のようだ。消失点のある風景が、住民の心に何かしらの影響を与えるのは間違いないだろう、とたよりは想像してみる。
左右前後、どこを見ても道がまっすぐに続き、消失点がある。それは入り組んだ迷路のような道に囲まれたモロッコのフェズの街と対比させてみると明らかで、さらに言えば、ジャングルと砂漠の民の思考法や感受性の違いにまで想像が膨らむ。


三鷹駅に降り立つ。
クライアントの家は、北口から徒歩7分と伝えられている。わたしは早足だから、6分で到着するだろう。ひょっとしたら5分かもしれない。だとしたら、早くに着きすぎてしまう。10時の約束まで、あと13分もある。
途中で意味もなくコンビニに入る。冷房が心地よい。一番奥のドリンクコーナーに立つ。ほうじ茶を手にする。携帯を見る。さっきの左近からの写真を見る。南極の石は、どっしりと、たよりの知らない場所に鎮座している。石のくせに、わたしよりも遠くに移動したんだ、とたよりは思う。南極からやって来て、前橋とか富津とか巡っているのは不思議だ。ほとんどの石が眠るようにじっとしている中で、そんな石もある。思えば、身近にある建築資材や敷石なども旅する石の一派だ。人間が出現して、石も旅するようになった。そういうことだ。


たよりは冷たいほうじ茶を喉に通す。胃まで落ちていく冷たい液体の軌跡。
46回目の夏。
再び、スマホの黒い石を見てみる。





藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。


#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ
#40 カシガリ山 前編
#40 カシガリ山 後編
#41 すずへの旅
#42 イッセイミヤケ
#43 浮遊する僕らは
#44 バターナイフは見つからない
#45 ブエノスアイレスのディエゴは
#46 ホワイトエア
#47 沼の深さ
#48 ガレットの前後
#49 アメリカの床
#50 僕らはTシャツを捨てれない
#51 客観的なベッド
#52 ひまわり

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