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text by Ryoko Kuwahara

歴史は血の 通った「個」の連なりから成る。ペドロ・アルモドバル監督がスペイン内戦に言及した『パラレル・マザーズ』




ペドロ・アルモドバルといえば赤。画面に咲き誇る赤、そしてグレーを帯びたブルー、アッシュグリーン、アプリコット。鮮烈なカラーを多用しながらも洗練されたファッションやプロダクションデザインに、鑑賞中に何度感嘆の吐息を漏らしたことか。観るだけでジリジリと芸術への熱と畏怖が体内に宿る体験はペドロ・アルモドバル作品の醍醐味。自伝的要素の強い前作『ペイン・アンド・グローリー』で、稼いだお金は全てインテリアとアートに注ぎ込んだと語った彼の感性と審美眼はその作品に妥協を許さない形で反映されている。
多様な色が乱立しながらも喧嘩することなく一つの美学のもとに纏め上げられる様は、彼の脚本の妙にも通じる。類稀なるストーリーテラーとしても知られるペドロ・アルモドバル監督は、クィアネス、ジェンダー、母と子、スペイン文化などの要素を独自の刻印とも呼べる手法で練り上げ、アカデミー賞を2度受賞し、国際的な地位を確立している。最新作『パラレル・マザーズ』でもその手腕は健在で、観る者は彼に望む全てを与えられると断言できる。





『パラレル・マザーズ』で主演に迎えられたのは、『Live Flesh』(1997) 以来25年間たびたびミューズとして登場するペネロペ・クルス。『Live Flesh』で妊婦を演じた彼女は、『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)に続き、今作でも妊婦を演じている。(ちなみに彼女は『ペイン・アンド・グローリー』では監督の母役を演じており、彼女は監督の母とも会っている)
本作のストーリーは、フォトグラファーのジャニス(ペネロペ・クルス)と17歳のアナ(ミレナ・スミット)が出産を控えて入院した病院で出会うことから始まる。共に予想外の妊娠で、シングルマザーになることを決意していた二人は、同じ日に女の子を出産し、再会を誓い合って退院する。だが、ジャニスはセシリアと名付けた娘と対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられる。そして、ジャニスが踏み切ったDNAテストによって、セシリアが実の子ではないことが判明。アナの娘と取り違えられたのではないかと疑ったジャニスだったが、激しい葛藤の末、この秘密を封印し、アナとの連絡を絶つことを選ぶ。それから1年後、アナと偶然に再会したジャニスは、アナの娘が亡くなったことを知らされるーー。





本作でもペドロ・アルモドバルの命題である「母と子」が大きな柱となるが、彼の描く「母」は昔々から賛美されてきた「ひたすらに与え、耐え忍ぶ」というものではない。むしろ感情に任せ動き、時に子よりも自分の選択を優先するけれども愛情はあるというような実に人間らしいキャラクターだ。子はそんな母に翻弄され、戸惑うが、母という存在もまた一人の人間であるのだと認識して、庇護される者であったときとは違う形での愛を見せていく。自分を犠牲にして尽くす母像が未だ溢れかえる中、彼の作品で描かれる母と子の姿にはどれだけ安堵をもらったかわからない。本作でも、アナの母は娘との生活よりも自身の野望を選ぶし、ジャニスは自身でライフプランの選択をし、好きな仕事を続け、ベビーシッターを雇って自分の時間を確保している。そんなジャニスが身につけているのは、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの著書に感銘を受けたDIORが製作した“WE SHOULD ALL BE FEMINISTS” Tシャツ。最高。





ジャニスが仕事以外に情熱を注いでいるのが、スペイン内戦で多くの人々が埋葬された共同墓地から曽祖父の遺骨を掘り起こそうとする計画だ。2人の母の物語は、このサブプロットが絡むことで、歴史もまた個人の生の連なりであるという監督の考察に導かれる。
1930年代に起こったスペイン内戦から1970年代まで続いたフランコ将軍の独裁政権は、スペインに未だ陰を落としている。政権に反対した者やユダヤ人、同性愛者、無神論者らを筆頭に、10万人以上が名前も刻まれない共同墓地に葬られた。政府は傷つく人が出ないようにとそのことを語らないという方針を示したが、国民は決して忘れなかった。
ペドロ・アルモドバル監督の父は内戦体験者であり、家族にその体験を一言も語ろうとはしなかったとインタビューで語っていた。監督は10代でフランコ政権の終焉を迎え、その時の抑圧された空気からの解放感、自由へのエネルギーをもとに映画制作の道に進んだ。彼にとってスペイン内戦は避けて通れない題材だったのだが、それを形にするのには実に20年の時をかけている。
本作の構想はすでに『オール・アバウト・マイ・マザー』の制作直後にはできており、作品の宣伝に訪れたNYでペネロペ・クルスに話を持ちかけていた。『Live Flesh』は監督が初めてフランコ政権時の陰鬱とした時代背景をもとに描いた作品であり、彼が再び内戦を直視した『パラレル・マザーズ』に同じ妊婦役として彼女を起用したのは必然だろう。おそらく監督にとっての彼女は一人のアーティストとしての起点(母)におくべき存在であり、その存在を抜きにして内戦を描くことはできなかったのではないだろうか。






20年の時を経て本作を完成させたのは、奇しくも現在のスペインの状況が呼び水であったという。2019年にスペインで行われた選挙でVOXと呼ばれる右翼の過激派が大きく議席を伸ばしたことに彼は危機感を感じた。人々を癒すためだと内戦についての沈黙を課すうちに、フランコ政権に都合良い歴史改竄が行われることやそのことで人々の間に亀裂が入ることも耐えられなかった。ジャニスの子どもの取り替えについての沈黙は、内戦への沈黙とも重なっている。劇中でジャニスが国にする「自国の歴史を知らないのは恥だ」というセリフに表されているように、沈黙せずに事実を明らかにした上で新たな関係性を築き上げるべきだという監督のメッセージを、二つのプロットが重なり合いながら示していく。
個人から歴史を見る本作は、ペドロ・アルモドバル監督のさらなる可能性を拓いてみせた傑作だ。




『パラレル・マザーズ』
ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテ 他公開中
公式サイト:pm-movie.jp
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル (ペイン・アンド・グローリー/ボルベール〈帰郷〉)
出演:ペネロペ・クルス ミレナ・スミット イスラエル・エレハルデ アイタナ・サンチェス=ギヨン ロッシ・デ・パルマ フリエタ・セラーノ
2021/スペイン・フランス/スペイン語/123分/カラー/5.1ch/ドルビーデジタル/アメリカンビスタ 原題:MADRES PARALELAS 字幕翻訳:松浦美奈 R15+
© Remotamente Films AIE & El Deseo DASLU 配給・宣伝:キノフィルムズ 提供:木下グループ


【STORY】
フォトグラファーのジャニス(ペネロペ・クルス)と17歳のアナ(ミレナ・スミット)は、出産を控えて入院した病院で出会う。共に予想外の妊娠で、シングルマザーになることを決意していた二人は、同じ日に女の子を出産し、再会を誓い合って退院する。だが、ジャニスはセシリアと名付けた娘と対面した元恋人から、「自分の子供とは思えない」と告げられる。そして、ジャニスが踏み切ったDNAテストによって、セシリアが実の子ではないことが判明する。アナの娘と取り違えられたのではないかと疑ったジャニスだったが、激しい葛藤の末、この秘密を封印し、アナとの連絡を絶つことを選ぶ。それから1年後、アナと偶然に再会したジャニスは、アナの娘が亡くなったことを知らされる──。

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