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『少女は夜明けに夢をみる』 メヘルダード・オスコウイ監督来日インタビュー



「これはイランだけに限らず、世界共通の物語です」——第66回ベルリン国際映画祭でアムネスティ国際映画賞に輝いた、イランの少女更生施設を取材したドキュメンタリー『少女は夜明けに夢をみる』が日本公開された。カメラが見つめるのは、貧困や虐待を理由に強盗、殺人、薬物、売春などの犯罪に手を染めた10代の少女たち。施設内ではみんなでゲームをしたり、歌ったりと無邪気な姿を見せる場面もあるが、彼女たちの人生は想像を絶するほど過酷だ。まだ幼さの残る表情で「私の罪状は生まれたこと」「私の夢は死ぬこと」と語り、自分たちが抱えた心の痛みについて「(施設の)四方の壁から染み出るほどよ」と嘆く。
メガフォンを執ったのは、イランを代表するドキュメンタリー作家のメヘルダード・オスコウイ。撮影許可を得るまでに7年の歳月を費やし、少女たちと確かな信頼関係を築いた上で、一人一人の心の声に耳を傾けた。撮影中は少女たちの前でこそ感情を押し殺していたが、毎晩帰宅するとシャワーを浴びながら涙を流し、毛布の下に潜り込む日々だったという。“インビジブル・ピープル(見えない存在)”を見つめ続ける監督に、日本公開初日に都内でインタビューを行った。



——最初は遠い国のドキュメンタリーだと思って観ていたのですが、観ていくうちに日本もイランと変わらないということに気づきました。日本でも貧困や虐待によって被害者から加害者になってしまう子どもは少なくないですし、家庭内で起きる凄惨な事件についての報道も絶えません。


メヘルダード・オスコウイ監督「まさにおっしゃる通りです。本作は130ヶ国で上映され、40の映画祭で賞をいただいたのですが、上映した各国で“自分の国と同じだ”と言われました。これはイランだけに限らず、世界共通の物語なのです。私が一番びっくりしたのは、前回の来日時に“日本も同じです”と言われたことです。とても驚きました」


——日本未公開の前2作「It’s Always Late for Freedom」(2008)と「The Last Days of Winter」(2011)は、少年更生施設についてのドキュメンタリーだったそうですね。本作『少女は夜明けに夢をみる』の舞台は少女更生施設ですが、なぜこのテーマでドキュメンタリー映画を撮り続けているのでしょうか?


メヘルダード・オスコウイ監督「実は私自身の人生経験に基づいています。映画製作を始めるよりも前までさかのぼるのですが、私の父と祖父は政治犯として刑務所に入っていました。そして15歳のときに父が3度目の自己破産をして、私はあまりの貧しさから自殺しようとしました。そのような経験から、当時の自分と同じような立場に置かれている人たちの声になろうと思ったのです。父親が服役していたことと少年時代の体験から生まれた感情が、このような映画を撮りたいという気持ちにさせたのでしょう。実は15歳未満の少年たちを見つめた前2作を制作した後、イランでは法律が改定されました。15歳未満の男の子たちは少年院に送られるのではなく、更生するために一般家庭に入ることになったのです」


——本人の家庭に戻されるのではなくて、里親制度のように、別の家庭に入るということですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「そうです。更生できるように別の家庭で保護するという法律が施行されました。それによって少年たちの施設がなくなったので、本作では少女たちの更生施設に注目しました。自分にできることであれば、すべての法律を変えたいくらいです」


——監督の映画が、法律が改定されるきっかけとなったわけですね。


メヘルダード・オスコウイ監督「理由はそれだけではないのですが、私の映画も大きなきっかけの一つとなりました。たくさんの法律家や法律を定める人たちが映画を観て、10歳、11歳、12歳といった幼い子どもたちが施設にいるべきではないと感じ、法律が全体的に改定されたのです。現在は15歳〜18歳までの少年が更生施設に送られることになっています」







——本作では少女更生施設での撮影許可を得るまでに、7年の歳月を要したそうですね。映画の中の少女たちはモザイク処理もなく顔を出して出演していますが、撮影をするにあたって施設側からはどのような条件を出されましたか?


メヘルダード・オスコウイ監督「あらかじめ私の方で、この映画をイラン国内で一般公開しないこと、テレビでの放映やDVD化もしないことを決めていました。施設側からの条件は特になかったのですが、少女たちの顔はできるだけ出さないようにと言われました。でも、少女たちの方が自分たちの顔を見せたがったのです。映画に出演しているソマイエは、“本作が上映される場所であればどこへでも行くし、もし私に話せることがあればいくらでも話します”と言ってくれています」


——インタビューを観ていても、少女たちが監督のことを信用しているのが感じ取れました。叔父や義父による性的暴行の被害に遭うなど、大人の男性によって深く傷つけられた少女が多い中で、監督は男性としてどのように信頼関係を築いていったのですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「私は基本的に女性と子どもの映画を作っているのですが、こんなにひどくなってしまった今の世界を唯一救うことができるのは、女性と子どもだと思っているからです。少女たちには撮影前に自分が作った映画を見せました。すると彼女たちから、“なぜ私たちの映画を作りたいの?”と聞かれました。“あなたたちのような思いをする子どもがいなくなるように、この映画を作りたい”と答えると、彼女たちは話し合って、“もっと簡潔に、なぜこの映画を作りたいのかを一言で教えて”と言いました。私が“あなたたちと同じくらいの10代の娘がいるから”と答えたら、 “わかった”と納得してくれました」


——傷つききった少女たちの発する言葉に、心が揺さぶられる場面がたくさんありました。


メヘルダード・オスコウイ監督「フィルムメーカーとしての私のポリシーなのですが、取材したい相手を突撃して、“あなたはどういう人ですか? 旦那さんは誰? 生活はどうしているの?”などと質問することは一切ありません。まずは自分のことを話すようにしています。どんな恋をしてきたか、どんな失恋をしてきたか、どんなものを失ってきたか、子どもの頃にどんな苦労をしてきたかなどを話すのです。嘘はつかず、何も隠さず、自分の深いところまで話します。時には子どもたちに、他の人に話していないことを話すこともあります。このような傷を負っている子どもや女性は頭がいいので、嘘をついたらすぐに見破られます。彼女たちが私のことを信頼してくれてとてもうれしいですし、幸運に思っています」


——少女たちが自分の経験してきたことや考えていることを素直に語っている様子が印象的でした。男性優位であるイランの社会において、女性たちが堂々と意見を述べることは難しくないのですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「イランの女性たちは、実は世界で最も考え方が開かれた女性たちだと思います。ヒジャブを着けていて一見大人しそうに思われるかもしれないですが、考え方はとても先進的です。現在は大学進学者の60%を女性が占めており、男性より多いのです。自分の権利や自由をどうやって手に入れるのか、おそらく世界で一番よく知っているのがイランの女性たちだと思います。様々な規制がありますが、一人一人が闘っているのです。中には服役している人もいれば、意見を述べただけでひどい立場に置かれている女性もいます。彼女たちは自分の権利に対して、世界で一番強い考えを持っていると思います」








——更生施設を訪問したイスラム法学者に対して、少女たちは「なぜ男と女では命の重みが違うの?」「子どもの命は父親のものなの?」と、男女不平等な法律に関する疑問を投げかけています。そういった疑問は、イランの一般的な市民も抱いているのですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「映画の中では殺人罪について話していましたが、もっと一般的なことで、たとえば遺産相続に関しても、父親の死亡時に息子は娘の2倍の財産を相続できます。イランでは法律によって、女性には半分しか相続する権利がありません。でも、ほとんどの一般市民がそのような法律をばかげていると感じていて、平等に分けているようです。私自身も2ヶ月前に父親が亡くなったのですが、兄弟と姉妹は同じ割合で遺産を分けました。ですから、少なくとも家庭内では変化が始まっているのです。法律で定められているとはいえ、個人が“こうしたい”と言えば誰も阻止しません。それは最初の一歩ですが、徐々に少しずつ変わってきています」


——どこにでもいる10代のようにゲームをして遊んだり、みんなでピザを食べたりと、施設内では少女たちが無邪気な表情を見せる場面もあります。しかし、塀の外ではそれぞれが過酷な環境に置かれており、釈放されることを恐れている少女も少なくありません。たとえば児童養護施設やシェルターなど、更生施設を出た後のサポートシステムはあるのでしょうか?


メヘルダード・オスコウイ監督「現在のイランには、更生施設を出た少年少女を守るための公的な施設はありません。いくつかのNGOはありますが、民間人が自分たちの費用で支援しており、公的なシステムはまったくないのです。ですので、私はこのような映画を通して、“これらの少女たちはこのような形で施設を出て行くのですよ、どうしますか?”と問いかけたかったのです。それが本作を制作した理由の一つです」


——幼い少女たちが“私の罪状は生まれたこと”とか、“私の夢は死ぬこと”と話すのを聞いて、とても悲しかったです。


メヘルダード・オスコウイ監督「傷ついている人がいるという状況の原因は、裕福な暮らしをしている人たちだと思います。私たち人間は、なぜここまで腐ってしまったのでしょうか。動物の世界では、食料をシェアして食べたりします。だけど人間の社会だけは、自分や自分の家族だけが大切で、他人のことはまったく気にかけないという方向に進んでいます。法律は守っていても、他人のことは全然考えられないのです。貧富の差があると、恵まれていない人は恵まれている人のようにはなれなくて、問題が起きてしまいます。人間は脳みそをもっと働かせて視野を広げ、自分だけでなく他人にも目を向けるべきです」





——監督は“インビジブル・ピープル(見えない存在)”を見つめた作品を撮り続けています。このような今の世界の状況に対して、本作の観客には何ができると思いますか?


メヘルダード・オスコウイ監督「インビジブル・ピープルの叫び声が聞こえないと、社会はだんだん破綻して、彼らの声を聞かない人たちの手によってだめになってしまいます。観客になってしまってはいけません。それよりも、自分が前に出ないとなりません。自分が観客だと思っていてはだめです。実は観客は子どもたちの方なのですから。彼女たちが私たちを見ているのです」


——『少女は夜明けに夢をみる』というタイトルを目にすると、釈放される日の前夜に眠れなかった<名なし>のことを思い出します。彼女はあの後、少しは眠れたのかな、夜明けにどんな夢をみたのかな、と思ってしまって……。監督自身は、このタイトルにどのようなメッセージを込めたのですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「あなたが今おっしゃったこと……まさにそのためです」


——あのシーンを思い出すと感情的になってしまって、言葉に詰まってしまってごめんなさい。


メヘルダード・オスコウイ監督「大丈夫ですよ。監督として、そして人として、私は感情をとても大切にしています。私にとって、感情は情報よりもずっと大切なものです」


——今後の予定は?


メヘルダード・オスコウイ監督「本作を制作してから、続編『Sunless Shadows』を制作しました。続編は母娘で殺人を犯した人たちの話で、今月にオランダの映画祭でオープニング作品として上映される予定です」


——本作に出演されているソマイエさん(母親と姉と共に、暴力的な父親を殺害した罪で更生施設に収容された)のことですか?


メヘルダード・オスコウイ監督「ソマイエも出演します。母と娘は別々の場所にいますが、同じ罪を犯したわけです。できればこの映画も、彼女たちに対しての法律や下される判決が変わるきっかけになればと願っています。母親たちは死刑を宣告されています」


——他の少女たちとは連絡を取られていますか?


メヘルダード・オスコウイ監督「基本的には、撮影後に少年や少女と連絡を取ることは禁じられています。ただ、本作の続編を制作したときに、3人の少女たちについて“勉強したがっているのだけどサポートできませんか?”と連絡がありました。今は一人(ソマイエ)が高校を卒業して大学に進学するところで、もう一人は大学生、もう一人は高校に入学したところです。3人とも私がサポートしています」


text Nao Machida
edit Ryoko Kuwahara



『少女は夜明けに夢を見る』
岩波ホールほか全国ロードショー
公式サイト:syoujyo-yoake.com



雪が黒い土や建物を覆う、クリスマス前の少女更生施設。雪が降り積もり、無邪気に雪合戦に興じる、あどけない少女たち。その表情は、ここが高い塀に囲まれ、厳重な管理下におかれた更生施設であることを感じさせないほど瑞々しい。
やがて少女たちが施設に入ることになった背景が、彼女たち自身の言葉によって、解き明かされていく。むごい虐待に耐えかねて、父親を殺してしまった少女。叔父の性的虐待からのがれて、家出をし、生きるために犯罪を繰り返す少女。幼くして母となり、その夫に強要され、ドラッグの売人となった少女…。義父や叔父による性的虐待にさいなまれ、あるいはクスリよって崩壊した家庭は、少女たちにとって安息の場所ではありえない。ストリートにも家庭にも自らの居場所がない少女たち。その心の嗚咽が問いかける。少女たちの罪の深さと、人間の罪深さとを――。



監督:メヘルダード・オスコウイ
製作:オスコウイ・フィルム・プロダクション


2016年/イラン/ペルシア語/76分/カラー/DCP/ドキュメンタリー/配給:ノンデライコ
©Oskouei Film Production

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