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text by Ryoko Kuwahara
photo by Yosuke Torii

「美術鑑賞は経験として自分の中に刷り込まれていく大切な時間。美術品を平和に見られることは当たり前なようでいてすごく特別なこと」映画『プラド美術館 驚異のコレクション』今井 翼インタビュー

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15世紀から17世紀にかけて太陽の沈まぬ国とも呼ばれたスペイン王国では、歴代の王族が圧倒的な経済力と美への情熱を背景に美術品を収集していた。そのスペイン黄金期を後世に伝え、世界最高峰の美術館の一つと評されるプラド美術館が2019年11月19日に200周年を迎えた。同年、広大な敷地に膨大なコレクションが収められた美の殿堂である本美術館に初めてカメラが密着したドキュメンタリー『プラド美術館 驚異のコレクション』が公開(日本では2020年4月10日(金)公開)。ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコ、ボスなど収集品の魅力を館長やスタッフ、建築家、アーティストらの声を通して伝えることで、独特の審美眼や歴史、そして美術品を鑑賞する喜びを感じる内容となっている。全編を通して案内人を務めるのはアカデミー賞主演男優賞に輝いた俳優のジェレミー・アイアンズ。その日本語吹き替えを担当するのは、2007年から幾度となくスペインを訪れ、かの地の文化に魅了されている今井 翼だ。表現者として着実に歩を進めている彼に、本作の見どころから美術との向き合い方までを聞いた。



――バルセロナの美術館は好きで訪れたりしていたのですが、他の都市と比べて自然と馴染んでいて、外から館内への導入もスムースで作品も身近でリアルに感じられるのが特徴だと思います。それに比べて同じスペインでもマドリードに位置するプラドの美術館は、どういったところが特徴か、今井さんが感じる魅力もあわせて教えてください。


今井 翼「バルセロナは近代美術の総合というよりはピカソやミロなど1人の画家の人生が凝縮された美術館が多いですよね。日本もそうですが、スペインは舞踊においても芸術作品においても、そこにしかないすごくディープなものが詰まっているように思うんです。プラドの美術館には、スペインの内戦など過去の歴史に基づいた作品だったり、ゾクッと感じられるような宗教を描いたものも多いのですが、その核となるプラド美術館はまさにその200年の歴史を体現したような壮大な作品群を誇る、世界三大美術館の一つとも言われています。作品も多いので簡単には回りきれないんですが、知識の有無にかかわらず、この美術館に行ってこその出会いというものがたくさん待っている場所だと思いますね。僕も特に造詣が深い方ではないけど、そこに行くことで、知識だけでない、それ以上に感覚的に洗練されていくものがあるように感じています。僕はエンターテイナーとして、いろんなことをマルチに表現していく立場ですから、このような場所に出向き、その土地特有の深さや魅力というものを身につけていくと、後に出会っていくお仕事にそこで蓄えたものがどんどん活き続けていくんじゃないかと思うんです」



――本作ではジェレミー・アイアンズの吹き替えを担当されるということで、そこに関する質問もさせていただきたいのですが、まず本作のオファーを受けられた時の感想や制作でのお話を聞かせていただけますか。


今井 翼「僕自身の声を通して表現する緊張感というのはすごくありました。200年という歴史を持つ美術館のドキュメント作品ですから、ある程度咀嚼しなければなかなか挑むことはできない。なおかつ、ジェレミー・アイアンズの渋みを表現したり、膨大なナレーションを吹き込むことは初めてのことだったので苦戦することも多かったです。もちろん自宅で準備してから現場に入るんですけど、いざブースの中に入るとガラスの向こうにディレクターさんがいて緊張しましたし、モニターの上の時間表示がくるくる回っていて、そこにもある種のプレッシャーを感じました。だけど、かねてから声に関するお仕事に興味があったのでとても充実感を得ることができました」


――格式高いイギリス英語で、舞台に誘われるようなジェレミーのナレーションでしたが、それに対してどのような点に留意して挑まれましたか。


今井 翼「ジェレミー・アイアンズのナレーションはおっしゃるように、まさに誘う(いざなう)というものでしたよね。僕も観客を案内する、誘うということも一つのテーマとして臨みました。映像の中でのジェレミーのジェスチャーだったり、山場を作る時の日本人にはない独特の溜め方はまさに舞台のようでしたし、言葉の分量が日本語と英語で変わってくるので、どこで溜めてどこで間髪入れずにガッと押していくかというのが一番難しかったです。また、観ている方に邪魔にならないような形にすることも意識しました」


――翻訳されたセリフに対して、それをご自身で伝えやすい言葉に直されたりもしたのでしょうか。


今井 翼「僕は基本的に、お芝居にしてもそういったことはしないんです。脚本や言葉を書く方を尊重しています。本作では難しい表現や専門用語、地名、人名は日本人に口馴染みのないイントネーションが多いと思うので、そういった点は注意深く取り組んだつもりです」


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――映画の中には、美術館以外にも市内の様子やアーティストなど様々なエッセンスが出てきます。その中で今井さんが最も印象的だったものは?


今井 翼「僕は踊ることが好きで昔からダンスをしていますが、役者の方がフラメンコダンサーの絵画から受ける影響を体で表現されていたり、コンテンポラリーな表現をなさっていたりしたのを見て、いちダンサーとしても新たな考え方に出会った感じがしました。踊りって、結局はその人が過ごしてきた時間が全て投影されると思うんです。考えてできることや想定以上に、その空間じゃないと出ないものもあり、何公演やっていてもその前後の流れや見る方とのその日の状態で変わってくる。絵もそうですが、芸術は見る人がいて成り立つものですよね。緊張感とそこでパフォーマンスできるという高揚感が合致する貴重な瞬間を感じられた時の喜びと同時に、それに酔ってしまって孤立したものにならないという、全体を通してそのバランスが成立できた時はすごく嬉しい。そういう踊り手としてのパーツを持つ僕には、彼女のあのシーンはとても印象的でした」


――サウンドも作品に合わせて絶妙に切り替えられていたりと素晴らしく、スペインならではの音楽表現があちこちに散りばめられていましたね。


今井 翼「最先端な映像のクオリティーの高さと同時に、耳から入ってくる音楽というのが単なるBGMではなくて、その人物や時代などいろんなものの底を押し上げていくような重要な役割を担っていましたよね。そういう意味でも耳からの高揚感とかもすごくありました。足音や照明がバンッとつくときの音もすごかった。実際には美術館で実際に照明が点く瞬間に立ち会うことはできないじゃないですか。そういう緻密なところからも導かれるものがありましたね」


――以前スペインの魅力のひとつには荒々しさや反逆の精神があるとおっしゃっていましたが、それはプラド美術館からも感じられますか。


今井 翼「そうですね。エグさや戦争の悲惨さを感じる部分と、これだけ人が魅入るだけの美しさが存在し続けているという点でそう思います。美術品を見る喜びを感じながらも、客観的な目線では美術品を平和に見られることが当たり前なようでいてすごく特別なことではないのかと感じられることもあるんです」



――確かに。スペイン全土でお気に入りの場所などはありますか。


今井 翼「マドリードは美術館がありますし、長い歴史がありながらも都市としての洗練された美しさが非常にあるんですよね。バルセロナも好きで、過去のスペイン内戦という背景から、カタルーニャ人の意地というものが感じられます。それはサッカーなどのスポーツにも見られるもので、各州に住んでる人たちの魂がスポーツを通してぶつかり合うんです。レアル・マドリードとバルセロナのエル・クラシコは何度かスペインで観戦してますけど、当時の戦争を感じられるほどのぶつかり合いでしたね」


――本作ではプラド美術館を愛する様々な方たちが自分が好きな絵について語っていますが、今井さんが特に好きな作品について語るとしたら?


今井 翼「そうだな……屏風に大きく描かれているヒエロニムス・ボスの『快楽の園』という作品ですかね。シュルレアリスムがすごく好きなんです。国内の地を訪れた際にもシュルレアリスム展がやっていると知ると足を運んだりします。特にダリが好きなので、自宅には所々にダリの作品を置いていて、生活の一部のようになっていますね」



――自宅にダリを飾られているということでしたが、プラド美術館から家に持って帰れるとしたら、どの作品を持って帰りたいですか。


今井 翼「いやあ、それは怖いですよね(笑)。鑑賞に行くからいいんですよね。これだけ歴史のあるものが家にあったら、ちょっと重々しい家になりそうなのでやめておきます(笑)。先日、鳴門にある大塚美術館のシスティーナホールで舞台をやらさせていただいたんですけど、そのとき絵画だけでなく壁画の迫力をとても感じたので、壁画にも憧れます。壁画を置けるような家には到底住めないですけど(笑)、好きな作品を家に並べるのは憧れですね。自分も表現者なので、そこから感化される部分があると思います」


――普段からよく美術館巡りはされますか。


今井 翼「美術館を目的として行くこともあるんですけど、大半は『この街、この国に行ってみよう』というところから始まり、『せっかくなら美術館も行ってみるか』という感じになることが多いですね。ニューヨークでも、MoMAだけじゃなく、現代アートの面白さとの出会いがあったりしました。ただ、初めて美術館に触れたのがプラド美術館だったので、自分にとっては特別な美術館です。
美術館に行くのにハードルの高さを感じる方もいるかもしれませんが、僕は決して知識が全てでなくて、感性が大切だと思う。もちろん、見識があればより物事を楽しめるというのは当然ありますが、経験として自分の中に刷り込まれていく大切な時間だと思いますし、楽しみもきっと増えるのではないでしょうか」


――現在の活動に関してもお尋ねしたいです。少し前に舞台で復帰されたわけですが、現在の心境を教えていただけますか。


今井 翼「初日はガチガチに緊張しました。僕らがやっている世界と歌舞伎は全く違うもので、それだけの歴史があるんです。みなさん幼少期から鍛錬し続けて、型というものがあるからこそ短期間で仕上げられるわけですよね。ましてやこの間の舞台は新作で、その中に入らせていただく緊張感もありました。片岡愛之助さんとお世話になっているフラメンコの師匠を通して歌舞伎の魅力に気がつき、短い期間でも自分なりに色々やってきたつもりではいたんですけど、本番ではお客さんが入った中で、ありがたいことに冒頭から僕がスタートを切る役割だったこともあって、頭の中はとっちらかっていました(笑)。いかに冷静にやるかというのは回を重ねないとつかめませんし。でも、舞台に立てる喜びというのはそれ以上にありましたね」


――コンテンポラリーとクラシックで、所作だけでなく声の出し方もまた変わってくると思います。そういったことも、声に興味を持たれたことに繋がっていたりしますか。


今井 翼「そうですね。過去にアニメの吹き替えをやるにあたって、友人の声優である松野太紀さんが家まできてくれて、端から端まで脚本を読んでくれたんです。そのとき、自分の体を出した表現の難しさというのはもちろんあるんだけど、キャラクターと声を映像の中に浸透させるお仕事というのはこんなに大変なんだと痛感しました。なんでもそうですけど、そういう経験があったからこそ今回のお仕事に繋がっていますし、また貪欲に声のお仕事につなげて行きたいとも思いました。専門家の方にはかなわないですけど、芝居や踊りなどをする自分もいち表現者なので、そういった経験を重ねてうまく自分にしかない表現に近づけていきたいです」


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――今井さんは表現者としてのスタンスがご自身の中ですごく大きなものとして占めていると感じました。表現者として日々、特に気をつけていることはありますか。


今井 翼「常に普通でいること。車だけじゃなく電車に乗ることや、高級なお店ではなくて、庶民派のお店で常連さんと出会って、こういう考え方の人もいるんだとか、こういうこだわりもあるんだと知ったり。普通というものを大事にしていれば、偏らずにいられるのかなと思います」


――それは市井のこと、ひいては受け手側のことをさらに知るということでもあるんでしょうか。


今井 翼「そのように繋がればいいなと思います。僕らはエンターテイナーだから、自分が続けてきたことを伝えたいと思うこだわりはありますが、大事なことはお客さんに『来てよかった』『また行きたい』」と思ってもらえることです。そういう意味でも、普通に過ごしている方が楽でカッコつけなくていい(笑)。ようやくそういう過ごし方ができる年代に近づいてきたかなと思います」


――では逆にどんなことでリフレッシュされていますか。


今井 翼「食べたいものを食べる、寝たいときに寝る、日を浴びる、旅をする。趣味が料理なので、作りたいものをイメージして、スーパーで悩む時点から楽しみが始まります。和食ベースなものが好きで、パスタを作っても和風な味にしたり。旅も好きなので、ホテルや飛行機を探したりする時間とか、ハイシーズンだとどこが安くて安全かとか吟味する時間も楽しいですね」


――最近チェックしたところは?


今井 翼「去年の暮れにニューヨークに行ったんですけど、クリスマスシーズンでミサもあるしホテルもかなり埋まってて。でも12月のニューヨークの空気が大好きで、常にマライア・キャリーの曲が流れていたりするし、クリスマス当日はロックフェラーセンターで世界一大きなツリーを見たりできるんですよね。初めて一人で行った外国がニューヨークで、ダンスレッスンに通ったのもニューヨークなんですが、その当時と同じ過ごし方をすることができて原点回帰になりました。自己満足になってしまうかもしれないですけど、自分の表現者としての技術を常に今が上回っていると思いたいので、原点回帰は必要なんです。あと、旅先での出会いも大事にしていますね」


――ありがとうございます。最後に、表現者としての今後の展望を聞かせてください。


今井 翼「偏らずに、ボーダレスにやっていきたいです。どちらかというと、僕はこだわる性格なのでそこも大事にしていきたいし、同時に柔軟性も持っていたい。一番は、バランス感覚を持ってまだ見ぬ自分に出会っていきたいですね」


photography Yosuke Torii
text & edit Ryoko Kuwahara






『プラド美術館 驚異のコレクション』
4月10日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほか全国公開
http://prado-museum.com/
広大な敷地に膨大なコレクションが収められたプラド美術館を案内するのは、アカデミー賞主演男優賞に輝いた俳優のジェレミー・アイアンズ。歴史物からファンタジー、サスペンスと幅広い作品で活躍する名優であり、プライベートでは400年間放棄されていたアイルランドの城を修復して暮らすという、歴史とアートを愛する知識人の一面も持つ。毎年約300万人が訪れるプラド美術館は、スペイン黄金時代に生きた王と王女が、自らの意志と審美眼で収集した唯一無二の美の殿堂。他の美術館とは明らかに趣向の異なる美の世界がここにある。


ナビゲーター:ジェレミー・アイアンズ 監督・脚本:ヴァレリア・パリシ 脚本:サビーナ・フェディーリ 
2019年|イタリア・スペイン|英語・スペイン語|92分|カラー |
原題:THE PRADO MUSEUM. A COLLECTION OF WONDERS
配給・提供:東京テアトル/シンカ   © 2019 – 3D Produzioni and Nexo Digital – All rights reserved

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