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text by Seungmis

「むやみに誰かを良い人とか悪い人とレッテルをつけるのではなく、一人の人間が、この多様で複雑な面を持ち、それらの微妙な境界線ギリギリに立っている姿を描こうとしたのです」キム・ボラ監督『はちどり』インタビュー




インディペンデントとしては異例の14万人以上の観客を動員、五十以上の映画賞を受賞するなど2019年韓国で最も注目された映画『はちどり』。女子中学生の目を通して日常や社会に潜んだ不安、恐怖をリアルに描いている。本作には「蜂なのか鳥なのかわからない存在」「子供でもなく、大人でもない」(パク・チャヌク監督)存在のあいまいさを見つめるキム・ボラ監督の人間へのあたたかいまなざしがある。監督にどのように人物を描き、どのような思いを込めているかを訊ね、本作が多くの観客に支持された理由に迫ってみた。


――まず、この映画を作ったきっかけを教えてください。


キム・ボラ「2011年に『リコーダーのテスト』という短編映画を撮りました。その作品が好評だったこと、そして映画を観終わった観客の方々に『この後、ウニがどんなふうに成長するか気になる』と言われたんです。そのことから、長編でウニを成長させてみたいと思うようになりました。そして、2013年に本作の初稿を書き始め、短編映画から得たインスピレーションをその中に反映させました。短編映画での設定は1988年のソウルオリンピックの年で、ウニは9歳でしたが、長編では14歳の中学生という設定にしました。さらに短編映画の時よりも鋭い問題を取り入れて、ウニが旅路をたどるような構成にしました。シナリオを書く間は、大人になった私が自分の幼年期を振り返ることもありました。ですから、この映画の中にも、私の人生を見つめる視点だったり、私が経験してきた関係性や愛、価値観というものがたくさん入っています。なかでもそういったものを一番投影しているのが、ウニとヨンジ先生です。特にヨンジ先生の立場で、映画全体を俯瞰しようと努力しました」


――『リコーダーのテスト』は監督の夢から始まった映画だと聞きました。


キム・ボラ「大学院生の時に、大学院生の自分がなぜか中学生の制服を着て、中学校に通うという夢を見ました。韓国の人は、大学に入っているのに入学試験の悪夢を見たり、もう徴兵は終わっているのにまた軍隊に行くような夢を見たりすることがよくあるのですが、私が見たその夢もそういった類のものだと思います。
『リコーダーのテスト』は、なぜ私がそのような夢を見たんだろうという疑問から始まっているんです。韓国社会における学校というのは、人を辛くさせたり、苦しめる空間でもあると思います。国を問わず、人が集まっている環境というのは、どうしても仲間はずれやいじめがあったり、差別が起きたりと、暴力的な側面も持ち合わせていると思うんです。私自身もその環境に適応するのがすごく難しいと感じていました。そんな時期を思い出して、当時持っていた私の感性や疑問や社会に対する思いを映画の中に取り入れました」





――そういった監督ご自身の感性や思いを、多くの人々が共感し得る「共通の記憶」に作り上げるのに成功しているわけですが、“私”の物語を“みんな”の物語にする際にどんな部分に重点を置いたかを知りたいです。


キム・ボラ「クリエーターは、必ず自分が起点になると思うんです。自分の気持ちを動かされた事件や出来事などを作品に反映させているんですね。でも、それがうまくいかないとナルシシズムに陥ってしまい、自己憐憫の愚痴のような作品ができてしまう。それを避けるために、いかにこの映画を普遍的な物語にできるかということを考えました。シナリオの草稿を直していた時は、友達や周りの人たちに子どもの頃について聞いてみたり、漫画や小説やエッセイなどをたくさん読んだりしてシナリオに反映しました。例えばオルハン·パムック(Orhan Parmuk)のエッセイ『イスタンブール』や、レスビアンの米国の漫画家アリソン·ベグダル(Alison Bechdel)のマンガ『ファン・ホーム〜ある家族の悲喜劇』などです。このように自伝的な題材を芸術作品に昇華させた作品をたくさん読みましたが、その過程のなかでパーソルナルに見えるものをいかに普遍的に作るのかにおいて最も重要なのが “構造”だということに気付くことができました。それでシナリオを書くのに非常に時間をかけました。


シーンをどのように配置しようかと何度も順序を変えてみたり、このシーンで強いインパクトを与えてあのシーンは弱くしようとメリハリをつけたりして構造をつくるんですね。観客をハラハラさせるためにウニが病院へ一人で行くシーンを繰り返して見せながら、日常であると同時に映画的な瞬間をどう見せるかについてもじっくり考えました。例えば、両親のケンカで割れたガラスの破片をウニが偶然ソファーの下から見つけるシーンがあるのですが、両親がケンカするのは日常だけど、ケンカで割れたガラスの破片が後で見つかることは、日常の中にある映画的な瞬間です。そんな風に、日常でありながら、そこからはみ出ているような映画的な瞬間を集めてみようと思いました。また、プライベートでグループカウンセリングを受けたことがあるのですが、話を聞いているうちにみんな似たような心の傷を持っているのがわかって、その部分をキャプチャーしたかったんです。例えば、ウニが家に帰った時に、誰もいない家の中で感じる悲しさみたいなものですね。これは、どの国の中学生であれ、誰にでもある感情だということを感じました」





――映画の中で監督が好きなシーンはどこでしょう?


キム・ボラ「好きなシーンはいつも変わりますが、観客や評論家のみなさんの多くが好きだと言ってくれるのは、ウニとジスクがトランポリンをするところです。ウニの両親が夫婦ケンカをした次の日で、子どもたちはまるで空高く舞うように跳ねています。あとは、ウニとヨンジ先生が指の話をするシーンがあるのですが、このやりとりである種の慰めを受けたウニが一人で家に帰っていくところが、個人的にはとても好きです。彼女は妙な表情を浮かべるんですよ。シナリオにも書いたのですが、満たされているからこそ悲しみが押し寄せてくるときってありますよね。美しすぎるが故に、すぐに消えてしまいそうな予感がする。そのような喪失感をこのシーンで描きたかったのですが、ウニ役のパク・ジフさんがとても上手に表現してくれました。あの表情には、とてもたくさんの感情が入り混じっています。最初は、ヨンジ先生がウニを家まで送ることも考えましたが、結局はウニを一人で帰らせることにしました。心が満たされるような会話をした後に、その余韻からくる美しさ、また寂しさ、喪失感、恐怖といった微妙な感情をカメラに収められれば、と思いました」



ーーウニは弱いけれど、強さを同時に持つ人物です。一方で、漢文塾の先生ヨンジは強いけれど(大人で、有名大学にも通っている)、弱さを同時に持っています。ウニとヨンジだけでなく、父や母など他の登場人物も一面的には描かれていません。そういう描き方にキム・ボラ監督の人間への思いが込められているように思いました。人物を描くときにどういうところを気にされているのでしょう。



キム・ボラ「まず、映画をしっかりと観ていただいてありがとうございます。実は、おっしゃった部分が一番意図したところなんです。私は映画を観る時に一元的に悪として描かれるキャラクターを見るのが辛かったし、逆に、みんなに“ボラさんはとても良い人です、優しい人です”と言われているというのもなぜか居心地悪く感じていました。なぜそう感じるのかと考えてみたら、人間というものはすごく多様な面を持つ存在であるからだと気づきました。


私も善良に生きようと努力していますが、非常にひどい面や卑怯な面などを発見したりします。自分の中に、自分でも知らなかった美しい面を発見したりもしますけどね。ある人を憎むのは簡単だけど、実はその人の歴史を深く見れば、理解できなかった部分でも理解できるようになるというのがいいと思いました。


むやみに誰かを良い人とか悪い人とレッテルをつけるのではなく、一人の人間が、この多様で複雑な面を持ち、それらの微妙な境界線ギリギリに立っている姿を描こうとしたのです。


ヨンジのキャラクターについても、 演じてくれたキム·セビョクさんと話していたのは、彼女がただの完璧な人に見えないように、全ての解決策を持っている人に見えないように気をつけたいということでした。


その意味で、撤去民たちがかわいそうだというウニの言葉を聞き、ヨンジが『可哀想だと思わないで』と言う場面を作りました。 それは私の人生に対する姿勢です。自分がすべてをわかっていると思わないように努力し、わかっていたことも間違っているかもしれないと認識する。これが、映画を多彩にしてくれると信じています。このような人生への姿勢を、そして人物を、映画全体の流れの中にありのままに描こうとしました」





――今の質問と繋がりますが、映画を観ているうちに、ウニがとても勇気のある人物のように思えてきました。本作には日常的に起こる断絶が繰り返し描かれますが、ウニはちゃんとその断絶に「違和感」を抱いています。その違和感から目を背けようとしていません。その違和感がウニの体の中でしこりとなって、徐々に大きくなり、しこりをなくす手術を受けるために一人で入院し退院することが、その後のウニの成長を暗示しているようで非常に印象的でした。


キム・ボラ「その通りです。おっしゃったように本作は見つめることがとても重要な意味を持っています。だから人物たちがセリフを交わさなくても、目を合わせる場面が多いのです。編集する時にはどうしてこんなに人物がお互いに見つめ合うのかという冗談も言われたくらいです(笑) 。そのくらい眺めることがとても重要なんです。ウニが逃げずに物事を見つめることが重要で、彼女が凝視するショットを多く入れたりもしました。


しこりに関しては、私は病気というのは常に人間の心の状態と関係があると思っていて、ある種の喪失感もあらわそうとしたのです。この子がしこりを取った後、看護婦に最初に聞くのが、手術はうまくいったかではなく、自分のしこりはどこに行ったのかだったことがそれを示しています。奇妙にも思えますが、周りに聞いてみると、親知らずやしこりをとったら喪失感を感じたという話はよくあるのです。切除したものを病院からもらって持ち帰った人もいます。そんな話を聞きながら、それが悪いものとして除去されたとしても、人々は自分の一部だったものを懐かしむのだなと思いました。


ウニが感じる喪失や悲しみ、様々な心の不安などが病気としてあらわれ、意図せずこの病気によって家族に多少なりとも関心を向けられ、大きな病院に入院した時は同室の方たちから全幅の愛情を寄せられるーーそのことで人生が単純なものではないということもわかります。大きな病院のシーンでは特に、見ず知らずの者同士が、病気になってどう連帯し合うのかというあたたかさを表現しました。私は映画でこの小さな子が受ける苦痛だけではなく、彼女が得ている小さな喜びも描いてみたいと思いました」


ーー最後に、これからどんな作品を作りたいと考えていらっしゃるのか教えてください。そして日本の観客へ向けても一言お願いします。


キム・ボラ「次作も続けて人間について語りたいですし、白と黒がはっきりしない、答えが決まっていない映画を作りたく思います。引き続き、人間の中にある鋭敏さ、弱さ、強さを多面的に物語るような映画を作りたい。日本の観客の方々にですが、ユーロスペースはとても良い劇場だそうですね。そんな由緒のある劇場で『はちどり』が上映されることがとても嬉しいです。韓国のファンも日本のポスターをツイッターにアップしたりして、日本での公開を楽しみにしてくれていますし、私もとても期待をもって公開を見守っています。日本と韓国はたくさんの文化を共有しています。特に日本でもフェミニズムが注目され、女性の物語への期待が高まっていると聞きました。 そのようなムードの中で、私たちが『はちどり』のような話を共有できることを嬉しく思いますし、日本での反応がとても気になります。COVID-19の影響で行き来するのが難しくなり、日本でみなさんと直接お会いできないことが非常に残念でなりません。いつかぜひお会いできる日を楽しみにしています」





text Seungmis
edit Ryoko Kuwahara



『はちどり』
https://animoproduce.co.jp/hachidori/
6月20日 ユーロスペースほか 全国順次ロードショー
 

監督・脚本:キム・ボラ 出演:パク・ジフ、キム・セビョク、イ・スンヨン、チョン・インギ
2018年/韓国、アメリカ/138分/英題:HOUSE OF HUMMINGBIRD/原題「벌새」/PG12/
(C) 2018 EPIPHANY FILMS. All Rights Reserved. 提 供:アニモプロデュース、朝日新聞社 配給:アニモプロデュース

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