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text by Ryoko Kuwahara
photo by Yudai Kusano

街とアート特集:「世界は繋がってるから影響しあっていて、現代アートはそのマッピングのきっかけになる」エリイ(Chim↑Pom) & 和田彩花 インタビュー


Chim↑Pomのアトリエ『ホワイトハウス』にて撮影


古くから都市や街はときに歴史や属性として、またときに個との対比としてアートのモチーフとなってきた。「街」または「公」という歴史や概念に向き合い、新たな視点を示唆するアート作品は、見る者に気づかずに内在させていた自身のバイアスや、アイデンティティと向き合うきっかけを与えてくれる。パンデミックによって公共政策が力を持つと同時に、個々の行動規範が話題に上がることが多い今、アートを通じて改めて“公”と“個”との関係について考える特集。
東京・ANOMALYにて6月27日〜7月22日に開催されたChim↑Pom個展「May , 2020, Tokyo/A Drunk Pandemic」。緊急事態宣言中の東京と、コレラで亡くなった人々が埋葬されたマンチェスターの地下(現在のヴィクトリア駅地下)で制作されたこれらのプロジェクトは、奇しくもパンデミックによって可視化された、街を形作っている人や構造、そしてその問題点を2枚の鏡合わせで示すかのようなものだった。これまでにもその土地や歴史に根付いた作品を多く輩出して来たChim↑Pomのエリイと、美術史を学び、Chim↑Pomの作品を追い続けている和田彩花に、それぞれの表現について、そして現状をどのように捉えているか、その向き合い方などを聞いた。



――今回は街とアートがテーマなんですが、本題に入る前に、Chim↑Pomが先日(8月23日)新宿の上空にバルーンを飛ばされていた、あのプロジェクトについてまずお聞きしたいです。


エリイ「今妊娠していてあと1か月ぐらいで生まれるんですけど、そのお腹の中の子を人に紹介するというものでした。歌舞伎町のビルの屋上に身近な人が集まって、中から発光する4メートル40センチの風船に私のおなかの中のエコー写真を模し、それに赤い糸をくくりつけて参加者のみんなに1時間半くらいずっと紐を持っておいてもらうという。
なぜやったかというと、産まれてくるまえに早めに紹介したかったから。新しい命のメタファーを街に浮かび上がらせて、歌舞伎町の街に『こんばんは』って紹介しました。あと紐を離さないということは、今暮らしている状態の中で次の新しい世代に対しての責任と自覚を持って生きるということの象徴で、それがこの会のメインでした。紐を離してしまうと飛んでいってしまうとなると、紐を離せないじゃないですか。最後まで紐を離さない、自覚と責任を持つという意味があって。この会には、あやちょも来てくれたんだよね」


和田「はい。実際にそういう行為で実際に私たちも自覚を持つということに気づけたし、その言葉の意味をものすごく感じました。しかも赤い紐だったから、エリイさんの中でお子さんと繋がってるのを自分たちも疑似体験してるかのようで、その心地がめっちゃ素晴らしいなと思いました。こんなの体験したことないし、できることじゃないので。それに視点が大きい。私は目の前で繋がってるなということばかりに気をとられてたけど、本当に街に『こんばんは』ですよね」


エリイ「でもお腹の子はそんなこと何も望んでないんですよ。この子の意思は関係なく、勝手にやるというところが今回のポイントでもあり。私は今回バルーンの準備はしたけど、参加してくれる方が何をやるのかとかは聞かないで当日を迎えたんです。屋上から次の場所に移動してお腹の中の子の心臓音を外に出して鳴らしたんですけど、その音に被せてあやちょが書いた文章を朗読してくれて、その朗読が超よかったし、あやちょも超かっこよかった」


和田「エリイさんが展覧会で会った時にめちゃタイトな服を着てたんですよ。ミニスカートを履いてて、妊娠してるお腹が本当によくわかるし、その姿がもうめっちゃかっこいいんですよ! 妊婦さんでそんなにタイトな服を着てる人を見かけたことなかったから、その姿が衝撃的すぎて、大好きすぎて、その光景を主にネタとしてポエトリーに書きました。そういう風に、参加した人みんなが一つ何か持ってくるというか、出し物をするという会で、バルーンを吊ってる時もずっと誰かしらが出し物をしていて、素敵でした」


写真提供:Chim↑Pom



Photography : Ryo Fukuta


――街へのこんばんはもそうですし、次の世代への自覚と責任を持つということを可視化された状態にする発想もすごい。聞いててワクワクしました。エリイさんは和田さんのライヴも鑑賞されてましたよね。


エリイ「そう。あやちょらしさが全開で、超かっこよかった。COVID-19が起きてから初めてのライヴ体験だったんです。どういう風にやるのかとそれも楽しみで。ソーシャル・ディンスタンスをとった席に座って、会場のドアも開いていて換気の風が行き届いてました。衣装もかっこよかったね。あの白い服は?」


和田「ZARAで買いました。4900円です(笑)」


エリイ「歌も超よかった。ライヴは何分かの間にその人の人生があるんですよね。そこで観るのは何分かだけど、そこに練習や辿り着くまでの積み重ねの時間が蓄積されてる。あやちょのライヴもそう。私はあのライヴで一曲一曲歌ってる、あの一時間半くらいの間がどういう感覚なのかすごく知りたい。Chim↑Pomは結構長めにプロジェクトをやったりするし、私自身は時間に対して、ずっと長く続きたいという気持ちがとってもあって。だから風船のときに短い1時間半をどう過ごすかということについてすごく考えたし、集中しないとという気持ちがすごく大きくて、それは上手くいったりいかなかったりもしたんだけど。あやちょはライヴの時に、どういう感覚というか、目指す所があるんだろうと思った。歌ってる時に10秒前と10秒後があるわけでしょう?」


和田「あります。私、意外と不安症なんですよ。だから不安が大きくなった時は、ここでもし間違えたらどうしようとか、歌詞の一文字一文字の間に全ていろんなことを考えちゃうんです。それで一文字だけ抜かしてしまったりするくらい、自分の中ではその時間がめちゃくちゃ小刻みになっています。でもライヴを最近一人でずっとやっていて、その場でしかないし、次の自分というのは多分もう違うものだから、とりあえず今できることをしようという感覚もあって。頑張ろうと思わないし、とりあえず今の自分が見せれるもの、できることをやろうとしてます。多分そういう感覚です」


エリイ「そうだよね。来週やると言ったって、服も違うし、何もかも違う。あの風船の時はなんか10秒間とかを大切にした時間だった。だからライヴもそうなんだろうなって。できることをやるというのはそうだよなって思う」

――ここで改めてお二人の関係に触れたいのですが、和田さんは2015年の「Don’t Follow The Wind」からChim↑Pomを好きになったそうですね。惹かれていったのはなぜだったんでしょうか。


和田「大学に入ってすぐ先生に作品を見せてもらって知ったんですが、好きになって通うようになったのはその展覧会からですね。3.11の時に私は高校1年生だったんですけど、その時は今ほど社会と自分が繋がってると意識していなくて。毎日のニュースで問題があるということも、日本が大変な状況だということも理解していたけど、実感はなかったんです。でもChim↑Pomさんの展覧会を観に行ったら、福島の状況をずっとリアルタイムで映している部屋があって、自分たちは生活が普通に続いているのにそこだけが違う世界のようで、テレビで観ていたものとは全く別の世界だった。こういう状況があるんだと知ったし、そうするとテレビの中のことが全てじゃないんだなということだったり、自分で考えることも必要なんだとも気づいたし、そういった社会と自分という関係性をモロに突きつけられたし、その繋がりを認識させられたんです。そこから追って行って、自分がやっている表現の形式とは違うけど、価値観や考え方などからはかなり影響受けているし、多分それが無自覚にどこかで自分のものになっているとも思います」


エリイ「見てるものも、食べてるものと一緒だよね。影響を受けてすぐにこうとかじゃなく、食べているものが他の物質になって、肉となったり血なったりするのと同じ現象が起きてる」


和田「そうです」


エリイ「それまで現代アートの展覧会は観にいったりしてたの?」


和田「最初は現代アートにちょっと苦手意識があって。絵画の方が好きだったので、現代アートは機械的に思えたんです。いろんな素材や手法もあって、当時の私にはそれがあまり理解できなくて。でもそういった展覧会をきっかけに、現代アートは社会と繋がりがあるというのが大きい一つの側面であり、そういう風に見ていくだけでこんなにも自分の世界が変わるのかと気づきました。そこでそれまでの絵画の美術という付き合い方とはまた違う美術の付きあい方ができて、現代アートを見に行くようになりました」


エリイ「現代アートってそうだよね。私も海外でトリエンナーレとかで見て『ええっ!?』みたいなことを知ったりすることが多くて。タイヤがどうやって作られるのかを可視化している作品を見て、1本のゴムの木からスタートして数多くの人間が関わりながら工程がこんなにあるんだって。なんとなく普段から想像はしていたつもりでもぼんやりではなく突きつけられる。教育番組のような頭だけで解る映像だけではなくて物質としても立体的に展示してあるのを見て、タイヤを生活で目撃する度にその体感やストーリー無くして見れなくなったり。私自身は現代アートで知って身になることは向いてた。文脈が後から繋がっていったりして『あっ、あれはこのことを言ってたんだ』とか」


――文脈が繋がっているというのは例えば?


エリイ「私は2001年に横浜トリエンナーレに高校の授業で行って、こんな風に登下校中に歩きながら考えていることを形にする職業があるんだと思ったのが今の現代美術に進むきっかけだったんですね。その時に観た中に、美容整形でとられた脂肪を巨大な円柱にしている作品(「文明柱」Sun Yuan + Peng Yu)があって、こんなに美容整形する人がいるんだと当時はまず思ったんだけど、今考えるとあれはナチスの石鹸(ナチスがホロコーストの犠牲者の身体から石鹸を製造したとされるプロパガンダ、および都市伝説。1945〜46年のニュルンベルク裁判によって立証されたが現在は虚偽だったとされている)も連想してやっていたのかなとか気付きもしなかったことの幅が広がる。大人になって世界の他のことを知ったりすると、あの作品はそういう見方もあるな、とか後々に繋がってきたりして、世界がマッピングされていくきっかけになることが多い。後から気づく面白さというのがあるんですよね。全部世界は繋がってるから影響しあってるし、繋がっていないものはないと私は思ってて、現代アートはそのマッピングのきっかけになる」





――「A Drunk Pandemic」(東京・ANOMALYにて6月27日〜7月22日に開催されたChim↑Pom個展「May , 2020, Tokyo/A Drunk Pandemic」。「May , 2020, Tokyo」は緊急事態宣言中の首都で制作されたインスタレーション。「A Drunk Pandemic」はコレラで亡くなった人々が埋葬されたマンチェスターの地下(現在のヴィクトリア駅地下)の廃墟にビール工場を設置し、オリジナルビール“A Drop of Pandemic”を醸造。コレラや酵母といったバイオロジカルなプロセスを可視化し、それらと下水道などの街のインフラにまつわる歴史的な関係を文脈とした、Chim↑Pomの“都市論”として展開)もマンチェスターで行なって、そこからこのパンデミックになっての東京での展示ですから、まさに繋がっていますね。


エリイ「そうですね。社会はなぜ発展していくんだろうと考えた時に、暮らしのインフラなどを考察すると疫病と関係しているから、あの時はああいう表現になりました。マンチェスターで産業革命が起こり労働者たちが集まった。当時、コレラは不道徳な病と言われていて。労働とパブは密接に繋がっていて、生水よりビールの方が煮沸する過程があるから安全だと言われていて。コレラの菌が漂っていた空間で地元のブルワリーの方と一緒にビールを作ろうという。なぜならイギリスの方たちは本気でビールをめっちゃ飲むんですよ。自分で飲む分には合法なので自家製のビールを作ってる家もかなり多いと、展覧会ツアーに参加してくれたマンチェスターの方達が連日教えてくれました」


――情報を集める際にも疫病のことなどを調べることが多いということでしたが、それは先ほどおっしゃったように時代の変わり目になりやすいからでしょうか。


エリイ「私、すっごい病気になりやすかったんですよ。20代の時に3回くらい死にかけて。その病気で死にかけた体験がすごく大きくて、病気とはなんだろう、ウィルスとはなんなんだろうということをずっと考え続けた結果、こういう作品が生まれていったと思います。以前からウィルスと共に生きるということをずっとしていて、COVID-19発生前と後で自分の心掛ける生活は変わらないくらい。だから個人的体験と両方の理由からですね」


――和田さんも実際に展示にも行かれていました。


和田「イベント(7月16日に行われた六本木 蔦谷書店の企画によるエリイと和田のオンライントークイベント)でお世話になるので観に行こうということで。私は一方的に追ってるのでみなさんのことを知ってますが、お話ししたのはイベントが初めてだったんです」


エリイ「エリイはあやちょの存在は知ってて、会場であやちょがいることも知ってたよ。私、よく会場で寝てるんですよ。寝てる時にうっすら『あやちょだなあ』って思ってた(笑)」


和田「後からそういうことを言われると恥ずかしいけど、知っててもらえて嬉しいです(笑)。『A Drunk Pandemic』は日本ではインスタレーションになっていたと思うんですけど、実際にトンネルで生で観たら本当にすごいだろうなって。今はCOVID-19の状況があるからそこもかぶって観てしまうけど、この世界じゃなかったらもっとみんなお気楽に生きてたし、別に世界のことを考えなくても生きていけた。そういった状況の中でこういった作品があるということはかなり意味が感じられただろうと思うとそうやっても観てみたかったし、今観れて良かったとも思います。あとCOVID-19がなくなってちょっと経ってみんながお気楽になってきた時にそういった視点を思い出すだろうなって。Chim↑Pomさんは歴史だったり、その土地の歴史の中でも排除されがちな人も含めたあらゆる人の存在がいつも意識されて入ってるから、すごく勉強になりますし、とても好きって思います。ずっと応援してます」


エリイ「ありがとう。本当に助かる」





――「May, 2020, Tokyo」の制作はどんな感じで始まったんですか。


エリイ「いつも歩いてて、あれがいいんじゃないかなってことからChim↑Pom会議したり、LINEしたりして始まるんですけど、基本的にみんな腰が重い(笑)。腰が重いんですけど、やんないよりはマシという感じで。あの時も、緊急事態宣言とか初めてだねって最初はヘラヘラしてたんだけど、作らないとやばくない? という機運になって、LINEでChim↑Pom会議して、じゃあやろっかと。やってよかった」


和田「こんなに最速で作品を見れる作家さんいないですよ。『Don’t Follow The Wind』のインタビューを読んだ時に、そういう時には何か行動しないと! というのと、それで実際行った人は果たしてどれくらいいるのかとか、そういうことを言われてた気がして。こういった社会的に大きな出来事があった時に動くのがアーティストの人たちなんだなと思うし、こういう時期に作ってるというのは素晴らしいです」


エリイ「危ないところでしたよ。うっかり寝て過ごしてたかもしれない(笑)。ただ、なんだろうな、3.11の時もそうだったんだけど、今理解されなくても2020年の東京の中で暮らしていると新しい生活様式が当たり前のことになってるけど、100年後200年後に見た時にあの時に何が起きたのかということをパッケージして閉じ込めておかないとというのが強迫観念的にあって。その時に何もしないでぬるっと過ごすことはできるかもしれないけど、やっぱりピンでちゃんと押さえておいて、200年後の人たちが見てこんなことが東京で起きてたんだということなどを残すのが文化の役割かなと思う。そうやって長めのスパンで見て、これがいいんじゃないかなと判断してますね。あやちょは普段はどんな風に時間を捉えてるの?」


和田「ちょっとマイナス思考なんですけど、歴史はずっと長く続いているものであり、その中の自分は米粒以下の存在で埋没していくもの。嫌なことがあったり、いろんな意見が出たり炎上したりというものも一時的に盛り上がりがあるけど、歴史の中で見たらとてもちっぽけで。だから自分に関わらなくても周りで炎上などが起こっていたりするとSNSを見る気もなくなってしまうけど、同時に、そんなの歴史の中に落ちていくだけなんだよなとそういう風に常に考えています。美術を通して歴史を知ってからは特にそうですね」




――長く続く中の一部というのは冒頭の話にも繋がりますし、お二人の根本にあるんですね。では今回のテーマについてそろそろ入らせてください。パンデミックで各政府の対応がそれぞれに違っていて、何を重要視するかでその国、都市のあり方が大きく違いました。また、日本においては公衆衛生を謳うものの個に委ねられる部分が多く、公と個の緊張関係を意識せざるを得ないと思います。その中で、卯城さん(Chim↑Pomリーダー)と松田修さんが『公の時代』でも書かれていたように、危機をいち早く察する炭鉱のカナリアとも言われるアーティストは現状、そして公と個の関係性をどう捉えているのか、お話を聞きたいです。


エリイ「もはや意識してもしなくても一個人が公になる時代が来たと思うんですよね。完全には来てないかもしれないけど、公に対して前よりももっと個がはっきりしてきている。今までは個が公に参加しないという無責任な状態でいられたと思うんですけど、例えばCOVID-19でもどこで何をしていたかを申告せざるをいけないかのような事例が世界では起こっていて、良くも悪くも個がはっきりしてくるから、無責任に生きるというのは難しい時代に移ってきてるのかなと。私のアートとしては細かいところを拾う作業を意識しています。全部が繋がってるというのもそうだし、私がいくら個で生きたって公に繋がってるし、公はやっぱり一つの個に繋がってるから、何かが起きたとして、その場所は変わっていくかもしれないけど、個と公の関係性というのはずっと続いていくもの。それはもちろん政治にも繋がってるし、環境にも繋がる」


――そこもお聞きしたいところではあります。その時の政治によっていいとされたものが、政治が変わったら悪となる場合もあって、アートも大きく政治から影響を受けてきていますよね。


エリイ「そうですね。安倍政権になってから慰安婦とか使わないでくださいと言われたりして、そういうのは初めての体験だったんで、『えっ!?』って感じだし、そんなことが起きるんだって思いました。でもそこも可視化できたら結構面白いんですけどね。Chim↑Pomが規制されてきた黒歴史を発表するという。10周年記念で改変要求を受けた作品を展示する『堪え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ』展(http://chimpom.jp/project/10th.html)をやったんですけど、そういうことを発表することで見えなかったものが見えるようになったり」


――美術史の中でもそうした関係は触れられることもありますが、和田さんは芸術の公共性だったり政治とのあり方だったりということをどう捉えていますか。


和田「今のお話を聞いていて、政治によって作るものが変わるなんてことがあってはならないし、そこにおいてはアーティストの方には政治とか関係なく常に自由であってほしいというのは本当の理想だと思います。美術史をずっと学んできた人間として、そして美術や作品が好きな人間として、そういうところを守れるような発信を続けたいです。でも去年のあいちトリエンナーレといい、難しいですよね」


エリイ「難しい。歪んで作品を観るというところが起きますよね。まあ、それも人間ということで」


和田「私は今まで公というものを全く考えたことなくて、COVID-19が蔓延して、さらに『公の時代』を読んでから公というものを改めて認識したんですよ。私は個人的に多様性というものをとても大切に思っているんですが、公と多様性が結びついて、多様性を取り入れた公であることが素晴らしいんだということに気づいたんです。多様であるためには個が必要だけど、その個のあり方によっては多様じゃない中で公というものができていくことも可能。だから今は多様になっているようで、きっとなっていないんだろうなと思います。みんないろんな姿でいながらそれを全て受け入れるって本当に大変なことだと思うんですよ。そのための努力はきっとそれぞれが必要だし、あまり関係ないこととして無防備にすることも違うし、ひとつの考え方をこれが絶対とするというのもきっと違うし、とても難しいけど、成熟してないよなって今改めて考えてます」


エリイ「あまりにも多様がなくカテゴライズされるから多様性という言葉がピックアップされる。当たり前すぎたら出てこない言葉ではあるなとは思う。でも海外もどこも一緒なんだろうなというのは思いますけどね。進んでる人もいて、進んでない人もいて、日本はその振り幅がすごく狭いんだと思う」


――公とアートでいうと、日本が近代化の中でアートを盛り上げようとなった時、公として美術館というハードはたくさん建てたけど、ソフトは置き去りになっていましたよね。そういうのは象徴的なのかなと思いました。


エリイ「でもやろうとしている人はいて、やってきた人がいるのは事実だし、決して誰かがサボりたかったり劣化を招きたかったわけじゃないと思うんですよね。美術を見てると、必ず誰かがやってきているというのはある。日本だと大元の教育の積み重ねの差が開きすぎちゃったのでは。先進国とかだと幼稚園の団体が美術館に来ていて、ちゃんとアテンドする人がいて、教育として教えているのを見かけたりする。(スタジオにいた卯城に向かい)卯城さん、日本って美術館で行列ができるのにアートへの理解が無いのはなんで?」


卯城「日本って世界展覧会観客動員数(Art Newspaper参照)が世界でもトップクラスなんだよ。芸術祭も多いしね」


和田「でも文化と関わりを持つというよりイベント的じゃないですか」


卯城「そう。日本国内で需要と供給はできちゃってるから、世界や歴史という俯瞰的な目ではなく、エンタテインメントとして、ディズニーランドに行くみたいな感じで観てるんじゃないかな。そうやって消費していく」


エリイ「エンタメだと一見理解できないものは要らないもんね。だから排除されていくのか」


卯城「税金の制度が美術を収集するようになってないというのもよく言われる。他の国だと美術を買うと色々税金が優遇されたり、美術館にドネーションしたら税金が控除されたり、アートに対して税金での優遇措置がある」


エリイ「だからって海外の金持ちがアートを理解しているかって言えばそうでもなく、ステイタスもあるよね」


卯城「ステイタスもあるけど、去年マンチェスターで展示やった時、来た人が作品を観て、うちら全員と酒を酌み交わして、たくさんいろんなこと喋ったよね。政治のこと、歴史のこと、ビールのこと、いろんなことを話して知見を増やしていくという姿勢が見えた。自分が知らないことにもオープンマインドで、知らなかったけど超面白いねという」


エリイ「問題意識があるよね。だから作品をさらにより良い人生にするために活かすということと、より良い社会にするために活かしていくという感じと知識という点として捉えているって感じだった。日本だとそういう次の人に受け渡すみたいな気持ちがないってことかな」


卯城「知らないことへの好奇心が苦手だって気がする。現代美術はわからないってすぐ言っちゃうけど、こんなわかるものしかない世の中にわからないものがあるってめっちゃ面白いのにね」


エリイ「やっぱり恥ずかしいんじゃない? 恥の文化だから知らないと言うことは恥ずかしい。でもそこで妬むより、知ろうとしたり、後に活かせた方がいい。知らないことを知ることは恥ずかしくないという、新たな気持ちで生きよう!」


――本当にその通りだと思うし、知っていきたいです。最後に、それぞれの今後の活動やご予定を聞かせてください。


和田「今は変わらざるを得ない状況なので、逆に今までの価値観がずっと続いてたらできなかったことも、たやすくみんなが受け入れてくれるじゃないですか。だからどんどんどんと自分が思う『表現ってなんなんだろう』というのを突き詰めてみたいです。主に私はライヴという形式をもとに表現することやそれを形にすることを行ってるけど、来年はライヴという形式じゃなくてもしかしたら違う形、例えば今は私小説のようなものを書いているので、それを空間にすることもできるかもしれない。そういうことをやってみたいなと考えてるので、ライヴという形式にとらわれず、でもライブという形式の中でできることも考えていけたらいいなと思ってます」


エリイ「それはいいね。一つのことにとらわれず、空間を作ったり。私小説もめっちゃいいね」


和田「“私”って言わないと書けないです。それは自分のものだけど、小説だったら自分のものじゃないから書く勇気はないです」


――Chim↑Pomは来年は大きな展覧会があるということで。


エリイ「森美術館で10月から個展があります(https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/chimpom/index.html)」


――内容は決まってるんですか?


エリイ「わりと。今あるものもあるし、新しくも作るし、美術館の中の構造や建物の感じ、消防法などと照らし合わせてやっていく感じ。あと予算との兼ね合い」



photography Yudai Kusano
text & edit Ryoko Kuwahara


エリイ(Chim↑Pom)
Chim↑Pomは、2005年に卯城竜太・林靖高・エリイ・岡田将孝・稲岡求・水野俊紀により、2005年に東京で結成されたアーティストコレクティブ。社会問題やそのシステムに対する独特で真摯な視点から現代のリアルを提示、都市論を展開する。国際的に活動を展開し、各国の国際展、ビエンナーレに参加。プロジェクトベースの作品は、グッゲンハイム美術館、ポンピドゥセンターなどにコレクションされ、アジアを代表するコレクティブとして時代を切り開く活動を展開中。
http://chimpom.jp/index.html
 

和田彩花
群馬県出身。アイドル。2009年4月アイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)の初期メンバーに選出。リーダーに就任。2010年5月「夢見る15歳」でメジャーデビューを果たし、同年「第52回日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞。2019年6月18日をもって、アンジュルム、およびHello! Projectを卒業。アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる。特技は美術について話すこと。特に好きな画家は、エドゥアール・マネ。好きな作品は《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》。特に好きな(得意な)美術の分野は、西洋近代絵画、現代美術、仏像。
趣味は美術に触れること。
http://wadaayaka.com

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