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text by Daisuke Watanuki
photo by Kotetsu Nakazato

「わたしはわたしのままで大丈夫」『Stand for LGBTQ+ Life』






何度この場所で怒らなくてはいけないのだろう。何度差別や偏見を助長すれば気がすむのだろう。7/4(月)、自民党本部前でLGBTQ+への差別に対する抗議デモ『Stand for LGBTQ+ Life』に参加してきた。到着したのは18時過ぎ。告知があったのは数日前で、急遽開催したデモにもかかわらず、すでに多くの人が道を埋め尽くしていた。抗議のプラカードを持つ人、レインボーフラッグやトランスジェンダーフラッグを掲げる人、真剣に耳を傾ける人。それぞれ心の内にいろんな思いを抱えながら、この場に集結している。


ことの発端は、宗教法人「神社本庁」を母体とする政治団体「神道政治連盟」や自民党の国会議員による「神道政治連盟国会議員懇談会」の6月の会合で配られた冊子にあった。そこには、“LGBT”など性的マイノリティに対する、誤った内容を含む差別的な文言が書かれていたのだ。


たとえば……(読むのつらい人は読み飛ばして!)
①「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症」
②「LGBTはさまざまな面で葛藤を持っていることが多く、それが悩みとなり自殺につながることが考えられる」
③「性的少数者の性的ライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題となるから」


そのすべてが間違っていてびっくりする。いちいち赤ペン先生が採点するなら、
①WHOは1990年に「同性愛」を精神疾患から除外しているし、「性同一性障害」についても2019年に精神障害というカテゴリから外す判断を行っている(しかも冊子では障害者差別をも含む文章になっている)。
②LGBTQ+の自殺の多くは社会における差別や偏見によるものなのに、個人の問題にすり替えられている。
③LGBTQ+の権利が認められても家庭や社会は崩壊しない(むしろ同性婚を認めている国は、幸福度が高いというデータもある)。
……もう、0点回答すぎる。知識としてただ知らないのだとしたら、はやく学んでほしい。


わざわざヘイトを撒き散らす「神道政治連盟」の存在は前々からいろんなところで指摘されていた。聞くに堪えないから振り返りたくもないが、過去に差別発言をしていた自民党の杉田水脈氏、簗和生氏、山谷えり子氏もその趣旨に賛同する議員だったわけで、「票」も含めた影響力が強い支援団体のヘイトに乗っかってくる国会議員は次から次に出現してくる。(もっと過去から振り返れば、自民党議員の差別発言はジェンダーフリー・性教育バッシングで繰り返されてきている。)


6月といえば、世界各国でLGBTQ+の権利について啓発を促すさまざまなイベントが開催される「プライド月間(Pride Month)」だった。にもかかわらず、何もかも時代に逆行する、政権与党の平常運転っぷり。そのたびに、政治や社会に絶望してしまう人も多いと思う。でもめげずに、毎回おかしいことにはおかしいとちゃんと声を上げなくては。そうしないと、おかしなことがこの国での正解にされてしまうのだから。




















今回の『Stand for LGBTQ+ Life』でも、登壇者たちが次々にLGBTQ+当事者をとりまく日本の現状の問題を訴えながら、連帯する多くの参加者がその声に耳を傾けていた。ときには発起人であるアンドロメダの掛け声に合わせ、参加者もコールで応戦する場面も。「LGBTQ差別をやめろ」「冊子の内容を撤回しろ」という声は小気味よく永田町に鳴り響いた。


ここまでの話を聞いても、「デモ? そんなことして何になるの?」という人や、デモという言葉に対するアレルギー持つ人もいるかもしれない。でも!(デモ?)、案外「今日は天気もいいし、散歩がてらにデモに行かない?」ぐらい、ライトに友人を誘って参加してみるのもアリだと思う。そこは決してネガティブイメージの巣窟なんかではない。むしろ明るい希望しかない。一度現場に来てみれば、声を上げるということの大切さがわかると思う。なにより、「声を上げてもいいんだ」と知ることができると思う。一人ひとりの小さな声も、重なりあえば大きな声となる。そのことは参加者全員の勇気となり、自分の行動ひとつで社会を良い方向に変えられるのだと改めて信れそうな気がしてくる。夜が更けるにつれて参加者は増え、最終的に駆けつけた人数は道からはみでそうなほどだった。みんなきっと、現地にこられない多くの賛同者もためにも集まってきているのだと思う。



一方で、ヘイトを繰り返す政党や議員と同調するように、「差別はやむを得ない」と言い放つ人たちも一定数いる。その人達に言いたい。LGBTQ+の権利は、決して他人事ではないのだということを。今回の件も、単に性的マイノリティを尊重しましょうという話ではない。なぜならこの権利の主張は、あらゆる属性や境遇の人が「健康で文化的な生活」を送る権利を保障するという憲法の精神のもとに成り立っているものだから。


よく考えてほしい。自分はマジョリティだと思っていたとしても、この世のすべてにおいてマジョリティでいられる人は、実はそういないということを。みんな、どこかになかなか人に開示しづらい何かしらのマイノリティ性を持っていたりするもの。また同様に、自分の家族や親しい人がそうであるかもしれない。それにいまはそれなりに若く元気でも、人は誰でもいつかは老い、病気になるかもしれない。路上生活を強いられるかもしれない。弱者に対する差別が横行する今のような社会のままでは、いつか順当に自分が攻撃されたり排除されたりする順番がまわってくるということ。それでいいんだっけ。マイノリティの権利は自分に関係のない権利ではなく、自分も安心して生きていくためには当然のように必要なものなのだ。





























一人ひとりが大切な存在として扱われるということ。どんなセクシュアリティでも、ジェンダーでも、老人も子どもも、病気や障がいを持っていてもいなくても、日本人でも外国人でも、だれでも尊重されること。自分の人生を自分で選んで生きていけること。毎日の暮らしを安心して過ごし、幸せな人生を送れること。これらはすべて「人権」に関わることです。あなたはいま、社会から大切に扱われていますか? 自分の人生を自由に選べていますか? 幸せな日々を送っていますか? 人権はいつの間にかあっけなく奪われるということは歴史や諸外国の現状を見てもあきらかで、気づかぬふりはもうできないところに僕たちはいる。だからこそ、みんながちゃんと自分ごととして問題に向き合わなくちゃ。

そして改めてだけど、よりよい社会の実現を目指すことに尽力するのが、本来の政治家の仕事だと思う。ヘイトスピーチを撒き散らし、人権を国に協力した対価だと勘違いしてる議員や政党にははっきりNOを突きつけよう。それができるのは、有権者である僕たちなのだから。「わたしはわたしのままで大丈夫」とみんなが胸を張って言える未来、はよ!








Stand for LGBTQ+ Life https://www.instagram.com/standforlgbtqlife/
https://linktr.ee/standforlgbtqlife


photography Kotetsu Nakazato https://www.instagram.com/kotetsunakazato/
text Daisuke Watanuki https://www.instagram.com/watanukinow/

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