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text by Daisuke Watanuki

「正義の仮面を被った『自助』の裏に潜む危険性に気づかないふりをすることで、僕たちは痛みを見えない場所に集め、そこから目をそらそうとしてはいないだろうか」綿貫大介『パンケーキを毒見する』



僕はパンケーキという食べ物にまったく興味が持てない。むしろ揶揄する対象だと思っている節がある。それはたぶん、消費されるブームの中で、パンケーキがわかりやすい映えアイテムになってしまっているからだ。インスタにアップされるおしゃれで生クリームやフルーツがたっぷりでぷるぷると揺れるパンケーキは、さぞ「いいね!」を稼げることだろう。そういう見え透いた意識が僕をパンケーキから遠ざけてしまう。同様にクリームソーダも苦手だ。どっちの写真にも「いいね!」なんてつけてやるものか!と思ってしまう。……なんて言ってみたものの、本当はどちらも食べ物として大好き。だからこそ、ブームに乗っていると思われたくなくて、余計に食べられなくなっている。そんな自分のこんがらがった自意識が憎い……。


そのパンケーキブームにわかりやすく乗っかったのが菅総理だ。原宿のパンケーキ屋で、内閣記者会所属の首相番記者と懇談会を行ったのを覚えている人も多いだろう。菅総理がパンケーキを食べる姿に、高校生が「かわいい〜」とリアクションしている「街の声」を紹介したワイドショーも見たことがある。まぁ、ぶさかわ、キモかわ、グロかわ等、かわいいは汎用性が高い言葉なので、「cute」や「pretty」の意味で受け止めるのは短絡的だとは思う。それに菅総理=かわいい、ではなく、パンケーキ=かわいいという意識でみんな発言していたとは思うけど、とにかくその様子はネットニュースを中心に拡散された。その事象からも、若者をターゲットにしたSNSを意識した戦略なのだということはわかる。


時は経って2021年。菅総理が「パンケーキおじさん」だと呼ばれていたことをどのくらいの人が覚えているだろうか。枚挙にいとまがない現政権のゴタゴタのおかげで、「かわいい」なんていう印象操作をしていたことすら忘れていた。今回『パンケーキを毒見する』という映画のタイトルで久しぶりに総理とパンケーキの関連性を思い出した。なんだかあの頃がもう遠い昔のように感じる。この映画、政治バラエティやドキュメンタリーと言われたりするようだけど、単純にホラーだった。日本って、今の政権ってこんなにヤバいの? ということがしっかり可視化されている。だからこそ、パンケーキ信仰のある若者層にとくに観てほしい。




第99代内閣総理大臣に菅義偉氏が就任したのは2020年。菅総理は自民党総裁選の時から自らの政策理念として「自助・共助・公助、そして絆」を掲げていた。


「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティネットでお守りする。そうした国民から信頼される政府を目指します」


ここ数年、年金、介護、医療、災害等々、さまざまな分野で「自助・互助・共助・公助」という言葉は使われている。だからこれといって真新しい概念ではないのだけど、最初に理念としてそれを掲げられたとき、思わず苦しい気持ちになった。自助はもちろん大事で、資本主義の国は特に自助が求められて当然だとは思う。でも、格差社会が進み、万人に公平な機会が与えられていない今の日本において、自助を真っ先に謳うのは違和感がある。今の日本でこれを掲げるなんて、政府の役割を放棄とたとしか思えない。総理が宣言した「自分でやる」という言葉が、どうしても昨今叫ばれている「自己責任論」に結びついてしかたがないからだ。




僕たちは大人になる過程で「人様に迷惑はかけてはいけない」「頼れるのは自分だけだ」と、どこか強迫的に思い込まされる教育を受けてしまっている。それが「美徳」かのようにまかり通っているけど、これは当人に選択肢のない「刷り込み」でしかないように思う。もちろん、無人島に一人で住んでいるのではないのだから、自分一人で生きていくなんて不可能なこと。必ずどこかで他人との交流ややりとりが生ずるのが社会だ。「迷惑」をかけない心がけは大切かもしれないけど、それが目的化するのはなんだか違う気がする。


それに「人様に迷惑をかけてはいけない」と強く思いすぎていると、他人に対して厳しい目線を向けてしまうこともある。孤立主義的で冷淡な人間関係を推奨するようにみんなが監視し合う現状は、コロナ禍で多くの人がニュースなどで目にしたことだろう。新型コロナウイルスに感染した芸能人が「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪する、営業自粛要請期間中、自治体が定めたルールを守って営業している店に「自粛警察」が店を閉めろという貼り紙をする、県外ナンバーの車を破損させる――そうした行為はその一例。その日本人特有の考えや行動は加速していて、どんどん社会を息苦しくさせている。


日本人はとくに周囲とのバランスを考えて、他人に迷惑をかけない生き方を意識しているところがあるように思う。自分勝手な行動は許されなくて、同調することを求められ、空気を読み、社会生活では自分を抑制して生活しなければならない場面もよくある。「人に迷惑をかけない」ということが人にとって「最低限の約束」のように浸透している日本で、「自助」を最優先した宣言は真っ当な統制のやり方なのかもしれない。多くの人が「それは当然だよね」と思い込めるだろう。でも、本当にそうだろうか。正義の仮面を被った言葉の裏に潜む危険性に気づかないふりをすることで、僕たちは痛みを見えない場所に集め、そこから目をそらそうとしてはいないだろうか。





「世の中には2種類のタイプの人間がいる」というクリシェは好きではないのだけど、やっぱり2種類存在すると思う。今回の話でいうと、「迷惑をかける人」と「迷惑をかけられる人」だ。今の日本社会の場合、迷惑をかけるとされる側は社会的地位が低かったり、マイノリティと呼ばれる人たちがどうしても多くなってしまっているように思う。つまり、迷惑をかけられたと感じて攻撃してくる側の人間は、相手よりも権利や情報を持っていたり、ある種の力を持っている人だということだ(その時点で、相手を自分よりも下だと思って接している節もある)。みんな誰かの上に立ちたい。その気持ちで弱い者を「迷惑」だと虐げていないだろうか。


6月に閉会した国会での成立を目指していたLGBT新法のことも思い出される。目的と基本理念に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されない」という文言が加えられたことに、一部の自民党議員が反発。さらには自民党議員による「LGBTは道徳的に認められない」「種の保存に背く」「体は男だけど女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、馬鹿げたことがいろいろ起きている」など、誤った認識に基づく差別発言も飛び出た。結局、それは性的マイノリティの存在は迷惑だと、自民党の人たちは思っているのだろう。


コロナ禍でメンタルがズタボロなタイミングでこういうことまで起こると、自分の悲しみを誰にどう伝えたらいいのかわからなくなる。つらいしんどい疲れたと大声で言いたいときに、政府は追い打ちをかけるように攻撃をしてくる。前向きになろうとしても、全力でそれを妨害してくるのだからびっくりする。もう、そんなことばかりだ。だからといって政治に絶望しても未来はない。僕は都内に住んでいるし、フィジカルなアプローチが好きなので怒りをぶつけるために自民党本部前の抗議スタンディングデモに参加した。「デモとか怖い」と思う人もいるかもしれないけど、デモは「表現の自由」による正当な権利。非暴力なやり方で怒りを可視化するためにとても有効だ。一人の人間が怒っているという表明になるし、怒りの頭数になればいいと思っている。


「みんな仲良くしようよ」という思いから怒りという感情自体を恐れている人もいるけど、怒りは大切な価値観の発露。怒りをあらわにすることに抵抗がある人も、自分の怒りを誰かに聞いてもらうことの大事さを知ってほしい。誰かの前で思い切り涙をこぼして悲しみごと抱きしめてもらいたい夜があるように、怒りだって誰かに伝え、受け止めてもらっていいのだ。自分の怒りに近い言葉を持つ人に賛同するでもいいし、同じ怒りを持つ人と怒りを共有し、同士になってもいい。デモに行かずとも、SNSで発信してもいい。うれしいこと、たのしいことを世界に伝えたくなるように、どうか弱さや怒りも表明することを恐れないでほしい。社会的弱者は常に隠されるか、弱い立場のまま晒される。だからこそ僕たちは自分たちの弱さを認めながら、時に怒り、権利を主張しなければいけない。
(結局この問題は、法案の提出もなし、差別発言への謝罪撤回もなしで終わった。それが今の日本だ)






コロナ対応、オリンピック……現在の政権支持率をみると、多くの国民は今の日本のあり方に不満だと思う。現実はもう、映画の先を行ってしまっている。おじさんがパンケーキを食べている映像を観て、あーだーこーだ言っている場合ではもはやないのだ。絵に描いたパンケーキよりも、僕たちは政府にちゃんと、生きるのに必要な「パン」と、人生を華やかにする「バラ」を求めなくてはいけない。前政権のマスク2枚の屈辱を僕たちは忘れてはいけないと思う。今はパンとバラ、両方をちゃんと要求しなくちゃいけないのだ。


政治が個人の生活にどれだけ関係性があるのかは、多くの人がこの数年を生きた日々の中で実感したことだろう。学校も仕事も恋も遊びもすべては政治につながっている。みんなが政治をもっと自分ごとに考えられたら、もっと社会は良い方向に進むと思う。そのためにも、いま僕たちができることは、選挙に行って、自分の意思表示をすることだ。この映画がその一助になってくれればと思う。前述通りホラーというべき内容だけど、知らないよりは知っていたほうがいいことだらけだから。そして最後に言いたい。「他人に迷惑をかけるな」という教えは、真に受けないでほしい。どうか「困っている人を助けなさい」に思考を変換していってほしい。そうでなくちゃ、リーダーが変わったって何も変わらないから。


text Daisuke Watanuki





『パンケーキを毒見する』
7/30(金)より新宿ピカデリー全国公開
https://www.pancake-movie.com

企画・製作・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸 
監督:内山雄人 
音楽:三浦良明 大山純(ストレイテナー) 
アニメーション:べんぴねこ 
ナレーター:古舘寛治
2021年/日本映画/104分/カラー/ビスタ/ステレオ ©2021『パンケーキを毒見する』製作委員会
制作:テレビマンユニオン 配給:スターサンズ 配給協力:KADOKAWA  

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