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text by Ryoko Kuwahara
photo by melmel chung

「自分のことを『平凡な人です』と言っていた人たちが自分の記録を始めるのを見ると、すごく感動する。『やった!』と思う」イ・ラン『オオカミが現れた』インタビュー Interview with Lang Lee about “There is a Wolf”




イ・ランが5年ぶりとなるアルバム『オオカミが現れた』をリリース(オリジナル・パッケージの日本盤は11月15日発売)。パーソナルな想いや痛みを語るように歌うイ・ランの音楽は、聴く者にも自然と自分の物語を語らせる力を持ち、本作に収録されている“よく聞いていますよ”や“患難の世代”のMVのコメント欄には様々な人々の人生の記録が溢れるほどに書き込まれている。イ・ランという呼び水は、大きく強い声がよく聞こえる社会の中で、小さくとも多くの声を響かせてくれ、自分は一人ではないと思わせてくれるのだ。


―『オオカミが現れた』には、これまでの〈韓国で生まれたフリーランスの女性アーティスト〉という目線もありつつ、私だけではない周辺の人々や同世代の人々という〈あなた〉とともに歌うような曲もあるのが前2作との違いだと思います。2ndアルバムでは“神様ごっこ”だったのが、“ある名前を持った人の一日を想像してみる”と、俯瞰ではなく同じ高さの目線となっているのも大きな違い。このような目線や主語の変化がどのようにして生まれてきたのか教えてください。


イ・ラン「なぜだろう……。私は最初に音楽を作った時から人と(自分の音楽を)聴く場面を想像したことがあまりなくて、自分が聴くために音楽を作っていたんですよね。ミュージシャンになることなどはほとんど考えずに、ただ私が眠れない時のために音楽を作っていたんです。最初のアルバム『ヨンヨンスン』を出した時は、もともと作っていた曲をそのままアルバムにして出しました。音楽を学んでいない、録音の仕方もあまりわからない、音楽をやる人たちのシーンのことなど何も知らない人がなんとなく一人で作ったアルバムが世に出た、そんな形のデビューでした。2ndアルバム『神様ごっこ』を作る時は、最初のアルバムに入れていなかった曲がまだあったのと、大学を卒業して社会に出て、理解できないことばかりがあってショックを受けたその感情について色々な曲を作りました。


そうして2枚のアルバムを出した後にいろんなリスナーの人と会うことが多くなって、私が私のために作った曲を『自分の曲だ』と感じる人が多いことにとても驚いたんです。その人たちから『慰められた』というフィードバックをたくさんもらいました。そうしたら、私が私のために作った曲を自分の曲のように感じて聴いている人たちというのは、一体どんな人なのだろうとどんどん想像するようになったんですね。また、“よく聞いていますよ”という曲に『どんな時間にどんな瞬間になぜこの歌を聞いていますか』という歌詞があるんですが、それに対していろんな人たちが答え始めたんです。YouTube に公開している“よく聞いていますよ”のMVのコメント欄が、その答えでいっぱいになりました。みんな、自分がどんな人で、なぜこのイ・ランの歌を聴いているのか、どんな時間、どんな瞬間に聴いているのかを書いてくれて、どんな人が自分の曲を聴いているのか具体的に想像できました。


例えば私は学生に歌を作ることを教えていたことがあるんですが、『小学生の時に教えてもらって今は中学3年生になりましたが、イ・ランさんの曲を毎年新しい気持ちで聴いています』というコメントを書いた人がいて、それを見た時は感動で笑みがこぼれました。最近のコメントには、高校生の時に私の授業を受けた人が『イ・ランさんは作品を作ったら私に見せてくださいとおっしゃっていたけど、自分は今このコメントを書くくらいしかできない人になってしまいました』と書いてあって悲しくなりましたが、それでも、今でもよく聴いていますよと伝えたかったとありました。それ以外にも、自分が軍隊に行った時に“神様ごっこ”を聴いていたという書き込みがあったり、色々想像させられることがありました。それで、そうした他の人の1日や他の人の経験、人生などの話をもっともっと知りたくなって、どんどん話を聞きにいってみる感じの曲が新しいアルバムには増えているんです。だから半分は今までと同じく自分が自分を慰めるためにひとりで泣きながら作った曲で、残りの半分が他の人の話や人生、経験を想像しながら作った曲になっていて、そこに変化がありました」





――確かにそんなコメントを見たらその人の1日や経験を想像してしまいますね。


イ・ラン「そうですね。あのコメント欄は凄いです。どんな時間に自分の人生を生きているのかについての話がたくさんあって。でも、どんな人だって自分の話や自分の好みを持っているのに『私は平凡な人です』と言うんです。それがすごく悲しかったし、かわいそうだった。私はもともと〈平凡な人〉なんていないと思っています。それで“ある名前を持った人の一日を想像してみる”という曲は、道で会っても誰も気にしないような一人の人間の個人的な経験などを想像しながら書きました」


――〈平凡な人〉たちがそれぞれに自分の話をし始めることで、社会にも少しずつ変化が起こると考えますか。


イ・ラン「もちろん。昨日もありましたが、私のアルバムを聴いたり本を読んだり映画を観たりした人たちから来るフィードバックの中で、私が一番好きなのは『私もできそうだ』という言葉なんです(笑)。私の作品は自由で簡単に作れるように見えるから、自分もやろうかなという反応が多くて。ちょっと批判的に言われることもあるんですけど、あんな感じで曲が作れるんだったら私もできそうとか、文章も難しい言葉を使っていないし、難しいことを書いているわけじゃないから、私も書きたいとか今日から書こうかなみたいなフィードバックが来るんです。私はそれが一番嬉しい。平凡な人ですと言っていた人たちが自分の記録を始めるのを見ると、すごく感動します。『やった!』って感じ」






――そうやって多種多様な声があがっていくのはすごく大事なことですね。先ほどランさんの作品は自由で簡単に作れるように見えるとのことでしたが、シルヴィア・フェデリーチの『キャリバンと魔女―資本主義に抗する女性の身体』からインスピレーションを得て、寓話のような親しみやすい歌詞やメロディを持つ“オオカミが現れた”を作ることができるというのは、やはり独自のテクニックやプロセスがあるのだとも思います。


イ・ラン「技術はあります。技術は10年も練習すれば自然と身につくし、それは自分が天才だからみたいなことではなくて、職業人として芸術の技術を練習してきたから作れるだけです。


“オオカミが現れた”についてもっと話すと、“神様ごっこ”の『韓国で生まれ暮らすことにどんな意味があるとお考えですか』という歌詞に呼応して、いろんな人が自分の考えを話すようになったんですね。特に女性からは江南通り魔殺人事件(2016年に韓国・江南で34歳の男性が面識のない20代の女性を殺害。女性嫌悪による犯行として大きな議論を呼んだ)をきっかけとしたいろんなデモや運動の中でこの曲を使ってもいいですかというオファーや演奏のオファーが来て、ライヴをやったり曲の使用を許可したりしました。でも、せっかくいろんな人が集まったデモや運動なのに、私だけしか歌えないのが残念で、みんながすぐに一緒に歌えるパートがある曲を作りたかったんです。本当は全部を一緒に歌えたら一番いいんですけど、それは失敗しました(笑)。 その曲が“オオカミが現れた”だったんですが、全部を歌うのはちょっと難しいんですよね。


寓話を選択した理由は他にもあって、韓国には民衆歌謡という曲のジャンルがあるんですが、それは昔、政府の不正を正すために大学生たちが頑張って民主化運動をした時にいろんな民衆歌謡が作られて、それを今でもデモの時に歌っているんです。私の曲も民衆歌謡だと言えますが、民衆歌謡という言葉が持っているイメージや、韓国でデモのイメージが強い広場や光州などの言葉をそのまま使うとちょっと古く感じてしまうから、そう感じさせないようにヨーロッパの寓話のイメージをチョイスしました。私はアジアの人たちがヨーロッパのヴィンテージ家具を好きだったりする感覚がすごく不思議だなと思うんですけど、みんなが持っているそんな感覚の一部は私も持っているし、その感覚もわからなくはないから、それを利用して今聴いても古さを感じさせない歌詞を作ったんです。それでいて全部の単語を韓国の今のことにコネクトできるようにしました」


――最初からみんながとっつきやすいように。


イ・ラン「そうです。寓話でラッピングしたら、最初から民衆歌謡だと思う人は少ないですよね。でも結局は民衆歌謡だとわかる」




――“オオカミが現れた”はタイトルをどうするかtwitterで問いかけることもされていましたね。


イ・ラン「私にとって一番楽しいのは、作品を完成させて発表することじゃなくて作る過程にあるので、そこを全部見せたいんです。いろんな人が参加して、失敗しながら一緒に考えていくところを見せたいから、アイデアの段階からいろんな人に見せて意見をもらったりします。作品になる前に面白い過程がいろいろあることを見せたくて、日本の友達がやっていた『新曲の部屋』というお客さんの前で作曲をするイベントもソウルでやりました。私は何でも言わないとスッキリしないし、言いたい気持ちが強い。それにずっと長い時間をかけて一つの作品を作ることができないタイプなんです。1stアルバムの“君のリズム”は、映画監督の友達に作った曲なんですけど、その人は私と真逆で一つの作品を10年以上かけて作るし、一番近くにいる友達にも制作過程を絶対に見せません。完全に逆のタイプだから理解できなくて、なんで親友の私に見せないのか、友達にフィードバックをもらった方がすぐ完成させられるんじゃないかなと思ったりしたんですけど、あなたはあなたのリズムで作っているんだと思い当たってあの曲を作りました。どっちが良いとか悪いとかではないんですけど、一人の人生の中で10年という時間は結構重いですよね。10年間一人でずっと考えてすごくいい作品ができることもあるけど、かける時間が長くなれば長くなるほど作品の失敗を自分の人生の失敗として感じてしまうことも多いし、それで再起できないほど自分を責める人もいるので、私自身は早い段階からみんなと共有して作品を作るようにしています。そうすることでファンもアーティストや芸術をあまり神格化しないで済む気がするんですよね。


芸術家を神格化すると、その人の人間的な部分を見てみんなが背を向けてしまうこともあるじゃないですか。神格化して私の人間性のいろんな部分について何も言えなくなるのが嫌だし、同じ人間だと感じながら、それでもその人の作品が好きだというのがいい。神格化は要らないです。ファンの人と話す機会がある時も、みんなは会った瞬間に自分の気持ちを表現したいから、イ・ランさんは凄い、素晴らしいと賛美一色になりがちですが、私はそうされると逆にすごく不安になると伝えるようにしています。無条件に褒められることが嫌だし、慣れないし、同じ地平にいる人のように思われていないように感じる。そう伝えることで、ファンの人たちにとっても、遠くにいると感じてしまう芸術家やアイドルを、どのような心で好きになればいいかということについて考え直す機会になるような気がしています」





――〈平凡な人〉と同じように、〈芸術家〉などの呼称はあれど、そこにいるのは自分と同じ一人の人であるということですよね。そういった意味でも “オオカミが現れた”と“患難の世代”に〈クィア〉であるオンニ・クワイアが参加しているのは連帯を表現する良い試みだなあと思いました。オンニ・クワイアが参加するきっかけは?


イ・ラン「私は小学生の時からクワイア・チームに入っていたんです。クワイア(合唱団)が大好きで、『天使にラブ・ソングを(Sister Act)』は100回くらい観ました(笑)。クワイアが出る映画を観ると必ず感動するし、人が一緒に声を出す瞬間が大好きです。いつか自分のクワイア・チームを作りたいなという気持ちもあって、2ndアルバムのライヴを撮影する時(“On Stage” https://youtu.be/2COvMdaRreo)、友達を6人くらい連れて行って合唱をちょっとだけやってみたりしました。1stアルバムと2ndアルバムの録音は全部コーラスを自分でやって、“笑え、ユーモアに”でも50回くらいコーラスを重ねて多人数の声に聴こえるようにしたんですけど、それをたくさんの別々の人がやればもっともっと良くなるだろうと思っていたので、今回は以前から縁があったオンニ・クワイアに頼みました。オンニ・クワイアとは、4年くらい前に作詞のワークショップの依頼をいただいて、そこで初めて会ったんです。その時のオンニ・クワイアはセクシャル・アイデンティティがレズビアンだったけど、この4年の間に韓国のフェミニズムの流れの中で、“女性”の定義に関する議論(出生時の性別に限らず自認する性別も含むかなど)があって、アイデンティティがレズビアンなのかバイセクシャルなのか、トランスジェンダーなのかなどを問わず、みんながオンニ・クワイアに参加できるようになりました。今のアイデンティティは、プロフィールを見ると『クィア、フェミニズム、非婚を歌うチーム(We sing about Queer, Feminism, and Bi-hon (unmarriage) movement)』と書いてある。クワイア・チームと一緒にやるのはすごく楽しかった。バンドの練習も楽しいけど、クワイアの感動はたまらないんですよね。人が一つの空間で一緒に声を合わせるのがすごく格好いいんです」






――大切な人を失いたくないと歌った“患難の世代”はバンドとコーラスの2ヴァージョンが収録されていて、ランさんにとっても重要な曲なのだと思います。コメント欄もパーソナルな喪失の体験や愛する人を失いたくないというリスナーの切実な想いで溢れていますね。


イ・ラン「自殺しようと思いながらこの曲をずっと聴いて、自殺に失敗して友達に会いに行って泣きながら2人でこの曲を聴きましたとか。最近自殺した妹を持つお姉さんからは、生前の妹が“患難の世代”を聴いていて、歌詞が良くないから聴くのをやめなさいと叱ってしまったけど、亡くなった後にちゃんと聴いてみたら、生きている間、あの子をずっと慰めてくれていた曲だったのだと知って聴くなと言った自分を反省しているというコメントもいただきました。死ぬことについてのいろんなコメントが寄せられて、そのせいで批判もたくさんあります。あなたは有名人なのに自殺を助長するような曲をなぜ世の中に出しているんだと書かれたり、そういうコメントが一番辛いです。それで自分のSNSに『“患難の世代”は自殺を助長する曲ではなく、私の曲の中で一番強いラヴソングです』と書きました。最近収録した音楽番組でも“患難の世代”は『死んでしまおう』という歌詞があるから演奏してはダメだと言われたんですよ。その音楽番組のインタビューでも、これは自殺を助長する曲ではなくてラヴソングなんだ、一人一人が別々に死んでしまうのではなくて、みんなが一緒になくなる、だから一人で寂しく死ぬようなことはしないでという曲だと説明しました」





――真逆の意味ですよね。ここで歌われている〈友人〉たちは生来の家族とは別の〈選択した家族〉のような存在であるように思います。未だ家父長制が蔓延る生きにくい時代や社会の中で〈選択家族〉は非常に重要な役割を持っていますが、ランさんにとってはどのような存在になっていますか。


イ・ラン「韓国語では“원래가족”、“원래”が“元”で“가족”は“家族”、二つを合わせて“元の家族”と言うのでしょうか。私の元の家族は礼儀も配慮もない人たちでした。関係を作ることが難しい人たちなんですよ。それでも生まれた時から家族というだけで一緒にいて、辛いまま我慢して、日本の満年齢で16歳の時に家を出ました。私は友達を作る時はすごく気を遣いながら、優しくして、プレゼントをあげたりもらったり、手紙を書いたりもらったり、話を聞いてあげたり話をしたりしながらちゃんと関係性を作ろうとします。それが人間関係を作る時の基本だと思っているからですが、それができない自分の家族に納得できませんでした。逆にお互いに思いやりのある関係性を作れる友達はすごく大事にしていたし、それが私のシェルターだったと思うんです。私の周りには同じような体験をしている友達がいるし、そうやって自分でいちから関係性を作った人たちの方が元の家族より大事な人が多い。そうやって自分の意思で作ったコミュニティを、今の世代の新しい家族の形として認めさせたいんです。法律も変わってほしいし、自分の家族をチョイスできる世界になってほしい。ただ生まれついた家族だけじゃなくて、恋愛でも友情でも家族だと思うし、今の世代の価値観に合った法律をはやく作ってほしいです」


――韓国ではそうした動きは進んでいますか? 日本は同性婚も夫婦別姓もダメ、LGBT理解増進法案も見送られるなど全く歩が進みません。未だに堕胎罪が存続しているような国に生きていることを日々実感します。


イ・ラン「韓国は日本よりダメかも。最近韓国で流行っている『Street Woman Fighter』という、女性のダンス・チームが競い合う番組があるんですけど、その中であるチームがレディ・ガガの“Born This Way”を使ってクィアのためのダンス・パフォーマンスをしました。でも韓国の番組ではクィアやレズビアン、ゲイなどという言葉を使ってはダメなので『このパフォーマンスは別種(별종)と言われる人たちのためにやりました』と言ったんです。それがすごく辛かった。私は、もともと人間は100%クィアだと思うんです。みんながいろんな面を持っているから、100%ヘテロとか100%レズビアンなんていないと思っているんですね。私たちは100%クィアの人間たちなのに、でも、番組ではクィアという言葉すら使えない世界に生きているんです」





――日本では『オオカミが現れた』とほぼ同時期に刊行されたエッセイ『話し足りない日』には、アルバムで言語化されていなかった性被害についての言及もありました。「機能する体」「お前は俺を怒らせる」など、育った環境も国も年代も違うはずなのに、女性として同じ体験をしたり、同じ痛みを背負ってることが辛くて泣きました。言葉にしなかったり、できていないだけで、多くの女性たちが同じ痛みを抱えていますよね。ランさんはご自身の性被害を語るには時間が必要だとおっしゃっていましたが、いつか#MeTooのデモのための曲を作ることはあると思いますか。


イ・ラン「実は“ある名前を持った人の一日を想像してみる”は、暴力を受けた経験がある人を想像して書いた曲なんです。私もまだいろんな事情で公にできない暴力の経験があります。そのせいで今もいろんなことができません。どこかで突然加害者に会うかもしれないと思って、電車に乗ったりバスに乗ったりすることもできないんです。だからいつも自転車かタクシーに乗っています。『私でなければ誰がこのことをわかるだろう』という歌詞は、そういう風に、誰にも言えない事情があって引きこもっている人は多いのではと思って書きました。ある日頑張って外に出て、たとえ加害者と遭遇することはなくても、大きな音や賑やかな街があるだけですごく怖くなって、逃げてまた一人になって、ずっと『これは私しかわからない、これは私しか言えない』と独り言を言うシーンを想像して書いたんです」


――ああ、性暴力は密閉された空間や関係で起こることが多いから、他の犯罪と比べて「これは私しか」となる比重がとても大きい。


イ・ラン「そうです。あなたがあの服を着ていたからとか、あんな化粧をしていたからとか、笑いかけたから、プレゼントやお金を受け取ったからなどの理由で全部なかったことにされてしまう。例えば普段いろんな人とセックスしていたからといって、これはレイプじゃないなんて言われるんですよね。どれだけ普段セックスをエンジョイしていてもレイプはレイプなのに。最近も周りでそんな理由からレイプ罪が適用されなかったことがありました。私の場合も、私が訴えたことを信じられないと言われたり、すごく傷つくような言葉をいっぱい聞かされました。それでもちゃんと話せない理由は、加害者のことがまだ怖いからです」




――その恐怖もあって、犯罪を告発するまでに年月が必要なこともありますよね。その時に暴力を受けた自覚を持てていないかもしれないし、受け止めて認めることにも時間かかるから、それを他人が決めてはいけない。


イ・ラン「本当にそう。最近、スリークという韓国の女性ラッパーと2人で『括弧が多い手紙』という本を出しました。“괄호”は括弧という意味だけど、発音が〈過労〉に似ているから、そのタイトルにしたんです。その本には私の妊娠中絶体験を書いています。韓国では2020年に堕胎罪の廃止運動が起きて、その時に妊娠中絶した自分の経験を公にしました。韓国では堕胎は罪であるという意識があるから、有名な人が自分の顔を出して堕胎経験を告白したことがこれまでなかったんですね。それでたくさんのニュース番組から連絡が来て、あなたの経験を番組に出演して話してくださいと言われました。経験があると言ったことは私の自由ですが、それがどんな経験だったのかは、私が言いたい時に安全な場所で言いたかったから、全部の依頼を断わりました。運動をやっている人たちは、有名な人が顔を出して話すのはみんなの力になるからと言うんだけど、自分の身の安全も大事です。だから今作っている本の中で、話したい人とは書簡で話をすると説明しました。生理もまだまだ恥ずかしいイメージがあるし、堕胎は(法律は変わっても世間では)完全に罪となっている。なんなんでしょうか、これ」


――「リプロダクティヴ・ヘルス・ライツ」で生殖の決定権を女性が持つことは世界で公式に認められている権利なのに、各々の国内でのムードは変わらないですよね。それもまた“オオカミが現れた”の〈魔女〉の持つ意味にも関わってきます。そのように、音楽でも本でも、ランさんは個人の話を語りつつ、社会構造が生んでいる問題にコネクトしています。例えばチョ・ナムジュさんは『82年生まれ、キム・ジヨン』で〈私〉の話をし、『彼女の名前は』では〈私〉が集まった〈みんな〉が行動に移していく様を描きましたが、ランさんはこれから自分がどんな話をしていくと思うかということを最後に聞かせてください。


イ・ラン「うーん……わからないです。代わりに最近読んで良かった本を紹介します。ハ・ミナ(하미나 지음)さんの『기·승·전·에스트로겐? 현대 의학이 이해하지 못하는 고통, 여성 우울증(いかれていて、ちょっとおかしくて、傲慢で、賢い女性達)』です。『理解されない、女性うつ病』というサブタイトルがある、女性の色々な病気についての社会学書。これがすごく良かった。昔から男性優位の社会では、神経痛は女性のヒステリーの病とされることが多くて、全部ホルモンのせいにされてきたんです。男性が生理になって出産したら医学が全部変わるかもしれないし、生理用品も全部無料になっていろんな所に用意されるようになると思いますよ。ハ・ミナさんは科学哲学を学んだ人で江南駅の殺人事件の後に活動家になって、女性のうつ病について色々と論文を書いたりインタビューしたりして、この本を作りました。私も顎の痛みがあったり、手足が痺れたり、歯も滲みたり、いろんな神経痛があるんですが、社会で言及されていない女性の病気の歴史について書いてあるこの本では、顎の痛みが一番最初のページに出てきます。顎の痛みを感じる患者さんは大体20代以上の女性だと書いてあって、私一人じゃなかったんだとビックリしました。これが日本語にも訳されたらいいなと思っています。


そういえば今からチョ・ナムジュさんに新しいアルバムを送ろうと思っていたんです。チョ・ナムジュさんが自分の短編小説に私の曲のことを書いてくれたんですが、チョ・ナムジュさんも『82年生まれ、キム・ジヨン』でいろんな攻撃をされたし、辛い経験が多かったと思います。そんなことが想像できる短編集の中で、“世界中の人々が私を憎みはじめた”を引用してくれたので、新しいアルバムをプレゼントしたくて」





photography melmel chung(IG)
text Ryoko Kuwahara(T / IG
translate Soon Hwa Seon



イ・ラン
『オオカミが現れた』
発売中
(スウィート・ドリームス・プレス )
曲目 1. オオカミが現れた 2. 対話 3. よく聞いていますよ 4. 患難の世代 5. パンを食べた 6. 意識的に眠らないと 7. 何気ない道 8. パクカン・アルム 9. ある名前を持った人の一日を想像してみる 10. 患難の世代(Choir Ver.)

http://sweetdreams.shop-pro.jp/?pid=164284381
http://www.sweetdreamspress.com/2021/10/blog-post.html
視聴サービス/プラットフォーム:Apple Music、Spotify、Amazon Music、 bandcamp、Minna Kikeru、iTunes Store、YouTube、レコチョク、OTOTOYほか
パッケージ:CD(オリジナル紙ジャケット(ダブル)+40pブックレット)
デザイン:廣川靖
アートワーク(版画):廣川毅
ライナーノーツ:中村佑子
歌詞対訳:清水博之(雨乃日珈琲店)
マスタリング:大城真
定価:3,000円+税




イ・ラン
『話し足りなかった日』
(リトルモアブックス)
http://www.littlemore.co.jp/store/products/detail.php?product_id=1051


イ・ラン(이랑)
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。2012年にファースト・アルバム 『ヨンヨンスン』を、2016年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカン ド・アルバム『神様ごっこ』をリリースして大きな注目を浴びる。その他、柴田聡子との共作盤 『ランナウェイ』、ライブ・アルバム『クロミョン~Lang Lee Live in Tokyo 2018~』、デジタル・シングル「患難の世代」、7インチ「ある名前を持った人の一日を想像してみる/イムジン河」を発表。さらに、エッセイ集『悲しくてかっこいい人』(2018)、コミック『私が30代になった』(2019)、短編小説集『アヒル命名会議』(2020)を本邦でも上梓し、その真摯で嘘のない言 葉やフレンドリーな姿勢=思考が共感を呼んでいる。

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