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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.2 美術と食 ゲスト:平野紗季子(後編)

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森村泰昌展や奈良美智展など数多くの重要な展示を成功させ、現代アートの名裏方として名高い天野太郎。その天野が様々なゲストを迎え、アートの定義や成り立ち、醍醐味を語る連載企画の第2弾。生粋のごはん狂である平野紗季子とともにアートの食の接点、そしてそこから見える美の定義までを語り尽くす。後編です。

 (前編から続き)

天野「例えばね、照屋勇賢さんという沖縄のアーティストがいるんだけど、その作品にすごくおもしろいのがあって。テイクアウトの袋を使って、その袋の中を覗くと中にきれいな木が生えてるような作品を作ってるんです。そうやって都市の中の自然を表現している」

平野「おもしろい! そうやって問題提起出来ることが羨ましい」

天野「他にもイタリアのアーティストで、みんなにテーブルでご飯を食べてもらって、『片付けないで、そのままでいいから帰ってください』って言って、次の人にも別の席で同じことをして、それを固定して作品にした人がいるわけです。1990年代だったかな。それはものすごく直接的に食をアートにしている。例えば、ある行儀の悪い人は、ワインのグラスにタバコを入れたりとかね」

平野「そう、食卓の上ってどんどん価値観が切り変わっていくじゃないですか。ご馳走だと思っていたものをゴミにしたり」

天野「そう。それに社会の階級みたいなものが浮上するし、ある程度ソフィスティケートされた社会で生きてるって思われてる人が意外と下品な食べ方をしてるとか、個人の在り方も露になるというかね」

平野「確かに。『どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう』(美食家、ブリア=サヴァランの言葉)みたいな」

天野「うん、それは僕も思います。あと、例えば韓国と日本とか、中国と日本とか、それほど離れてないのに『こんだけ違うものか!』っていうくらい(料理の)作り方が違う。もちろん今はそうでもないけど、韓国も日本も基本的にあまりソテーをしない。煮込むとか蒸す、塩を振って一夜干しにするとかもあるけど、ソテーはない。ところが中国は料理する方法が全部揃ってる。その次に揃ってるのがヨーロッパ。有名な社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースとか色んな人が言ってるんだけど、料理の方法が多ければ多いほど文化度が高い。例えばかつてイヌイットにはお酒の文化がなかったんですよ、作りようがないの。(寒すぎて)発酵しないから。ところがアザラシのーー」

平野「あっ、詰め物ですよね? キビヤック?」

天野「うん、鳥。鳥を詰めていくやつ」

平野「私も食べてみたい」

天野「あれって一種の発酵なんだよね。あそこまでやるんだったら、酒を作りゃよかったのに、酒作らなかったの」

平野「確かに(笑)。どこまで食べるかというのもその国じゃない人たちからしたら拒否反応があったりもしますよね。基本的に人って食べるものに対して、おいしいを求めがちだと思うんですよ。幸せな気持ちになりたいって。でもアートだったら悲しい気持ちになってもいいし、おぼつかない気持ちになってもいいし、落ち込んでもいいし、感情にバラエティがある。そこがすごく多様で羨ましいなって思います」

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