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Self Isolation Issue : 「毎日必ず我に返ることです」はらだ有彩/Interview with Arisa Harada

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フィジカルには距離を置かねばならない現状に際し、アイデアや情報のシェアでポジティヴに自宅での時間に向き合うための「Self Isolation」特集。アーティスト/クリエイターによるいまの状況への向き合い方やオンラインで楽しめる情報などを随時アップデートしていく。
昔ばなしに出てくる女性たちを固定された見方から解き放した『日本のヤバい女の子』(柏書房)、そして日々の出来事やそれらにまつわる思想を綴ったエッセイとイラストなどで、視界にはあったものの深く注意を向けていなかった、もしくは言語化できていなかった大事な物事に静かに思考を促してくれるアーティスト、はらだ有彩。同様の手法で、纏うことで見え方を一新させるようなテキスタイルを用いたデモニッシュな女の子のためのファッションブランド「mon.you.moyo」の代表も務めている。クリエイティヴに大きな変化が起こりかけていることを感じているというはらだが、毎日我に返り、思うこととは。


ーー新型コロナウィルス感染症(COVID-19)で生活、クリエイティヴ、ビジネス、それぞれの面でどのような影響が出ていますか。


はらだ : 食品を買う以外の用事では一歩も外に出ていませんが、ルームシェアをしているため、生活の中で声を出すことが極端に減ったり、食事を省略したり、眠り続けたりというような変化はありません。


ただしクリエイティブについては、大きく変わりかけていることを感じています。
私は現代美術的な気分で文章を書いているつもりでいます。つまり、自分が生きているたった今の世界に対するレスポンスとして書くものを決めています。私は自分の中から自動的にインスピレーションが湧き起こってくることがありません。レスポンスするべき世界の形は街に出て歩いている人を見るとか、生きて暮らしている人の話を聞くということで捉えられるので、「思いがけないヒントに出くわす」ということが封じられていると感じています。


ーーこの側面で新たに気づいたこと、心がけたいことがあれば教えてください。



はらだ : 今初めて発見されたように思える問題は、実は自分たちが一人残らず全員で忘れ続けて起きているということです。
例えば、私の友達が家の中で家族と過ごしているときに居心地の悪さを感じていたとすれば、それは彼女のせいではなく、私たち全員のせいです。これは全く言い逃れできない、変えようのないことです。


ーー緊急事態宣言に向けての精神的、物理的対応があればお聞かせください。


はらだ : 「100回人生をやり直しても、絶対また来世でもこうするだろう」ということだけをする。
自分がどうしたいかだけを考える。
これは例えば、「感染してるっぽいけど遊びに行っちゃうよ」というようなことでは全くなく、自分の衝動がどこから湧いてくるのかだけに目を向けるということです。




ーーご自身の活動を鑑みて、室内でどのような創作、作業が可能だと思いますか。


はらだ : 室内で、私は書くことができます。
そして書くためにやらなければならないことは、人の話をどうにかして聞くことです。それも、ふとした拍子についでに話してくれるような、タイトルのない話を聞くことです。私は直接話さなくても、気さくに話してもらえるような環境を作る必要があります。


ーーオンラインの活用方法や1人でもできる施策など、良いアイデアがあればシェアをお願いできますでしょうか。


はらだ : 毎日必ず我に返ることです。


私のおすすめの「我に返る」方法はこうです。
静かで暗い部屋に横たわって、目を閉じ、まぶたの裏の暗い部分を眺めます。最初は「暗いな」と思うのですが、だんだん「暗い」と感じているけれど、そもそも「暗い」って何だっけ?という気持ちになってきます。
「暗い」という言葉と言葉の持つ意味が霧散するまでそれを続けると、普段は「暗い」という言葉のストーリーに言いくるめられて(というと言葉が気の毒ですが)忘れていた「実在する暗さ」があることに気づき、それは言葉では本当には言い換えられない、実際に実在する暗さだということが分かります。
そうすると、その「暗さ(とここでは言葉で書くしかないのですが)」はどこへも持っていけないし、誰にも説明できないのだから、実際に「暗さ」を感じている自分自身が「ほんとうにここにいる」実感が急激に沸き起こってきます。
今ここにいるのは「私」という言葉のストーリーや、「私」という日々のストーリーに言いくるめられている(というと言葉や日常が気の毒ですが)演目ではなく、ほんとうに、マジで、ガチでここにいる私なのだということが分かります。


私というストーリー、私の場合は「はらだ有彩」という名前に言いくるめられた日々のストーリー、いつもなら明日になれば会社へ行かなければならないというストーリー、恐ろしいニュースに怯えて過ごさなければならないというストーリー、を舞台の上で起きていることのように眺めているうちに誰かの人生のように感じられていた錯覚が、急激に瓦解し、どこにも逃げようのない自分がたった今ここに存在しているということが強く感じられます。


それはいっそう恐ろしいことのように思えるかもしれませんが、ほんとうに、マジで、ガチでここにいる私が私なのだから、もうこの私でやっていくしかない、今ここにいることについての逃げようのない喜びを感じるしかないと思うと我に返ることができます。


よかったらやってみてください。そして感想を聞かせてほしいです。



#家にいる間に家にある服を全部着る


ーー新たにチャレンジしてみたいことはありますか。


はらだ: 原理原則を常に頭の上の辺りに浮かべていられるように訓練したいです。
また、思ったことをすぐに口に出しても過不足なく伝えられるように練習したい。

それと、今持っているものを棚卸しして楽しめるような遊びをしたいと思い、SNSで #家にいる間に家にある服を全部着る という遊びをしているのですが、これは外に出られるようになるまで続けたいです。


ーー事態が好転し、COVID-19が収束したらしたら何をしたいですか。


はらだ : 愛している人たちの顔を見て、手を触りたいです。


ーー政府の施策は満足できるものだと思いますか。もしNOであればどのようなことを提案したいですか。


はらだ:私は常に疑問を持っています。
政府に限らず全ての組織は人間が生きやすく生きるための道具であるはずです。今ここに生きている人が、ギャグではなく、フィクションではなく、今ほんとうに、マジで、ガチでここに生きているということを忘れないでほしいのです。


今政府によって進められていることが全くの無駄で、クソで、1mmも意味がないなどとは思いません。そして今進められていることが有難いとも思いません。今進められていることは当然のことで、当然のことをあとどれくらい増やせるかです。


なぜ当然のことかというと、「私たちが休んでいる間に政府が過剰に稼働して、何かをしてくれている」わけではないからです。市民は政府に生かして貰っているわけではなく、市民と政府は分業して社会をまわしています。たとえ今貯金が全くなかったとしても、それは市民として休んでいたことの証明にはなりません。私たちは分業して社会をまわすために、わざわざ社会的な生き物をやっているのです。


スーパーの店員さんや、パトロール中の警察官の人を見かけると「悪いな、有難いな」と思います。「分業なんだから、やって当然のことだ」とは思いません。それは市民どうしだからです(警察官は「市民」なのか?と思うかもしれませんが、制度を左右できるわけではないという意味で市民と呼びました)。市民同士で生業を分担した結果、偶然にも私の生業は一秒を争うものでなく、今「前線」と呼ばれる場所で物理的な役に立つものではないため、私は紆余曲折を経る形で社会に参画するしかありません。そして我々市民全員に対して、生業を分業している立場にある政府には、レスポンシビリティがあります。
救済は常に組織と制度によって行われなければなりません。そして組織は一市民であるかのような免罪符を掲げてはいけません。一市民であるかのような免罪符とは、人柄や、頑張りを一番に見せることです。一市民よりも深くお辞儀をして見せ、人柄を感じさせようとするようなことです。


具体的に提案したいことは、今あるものをコンテクストを用いずに端的に話してくれることです。
十分な保障のためのお金がないなら、ないでもいいんです。全くよくはないのですが、実際にないならもうどうしようもないから、一刻も早くないなりの行動に移るべきです。でも、ないのならとにかく一度は「ないんです」と言わなければならなりません。私たち市民と政府は社会をまわして生き延びなければならないのですから。



はらだ有彩
テキストレーター(テキスト、テキスタイル、イラストレーション)
twitter : @hurry1116
IG : @arisa_harada
web : https://arisaharada.com/

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