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深い思考の中「自然」との間に生まれた「  」。平子雄一個展「FOOTPRINTS」KOTARO NUKAGA で開催




KOTARO NUKAGA (六本木)では、5月21日(土)から6月25日(土)まで、 平子雄一の個展「FOOTPRINTS」を開催。足跡を意味する本展覧会タイトルは「自然」の周りに集団で集まる人々によってつけられた無数の足跡からインスピレーションを受け、集団をイメージするものとして名付けられたもの。本展で平子は、自身の代表的なモチーフが集団を作るインスタレーション群を提示する。


近代以降、世界を変化させることで私たち人類は価値を生み出してきた。現在、私たちは人類の活動が地質や生態系にまで影響を及ぼす「アントロポセン(人新世)」という時代を生きていると言われる。かつては畏敬の念をもって向き合っていた自然と人間の関係は今や大きく変わってしまっており、「手つかずの自然」などと呼んで、絶景と称える風景にさえ、人類の及ぼす影響は確実に迫っている。ここで、練馬区立美術館副館長・毛利義嗣が本展覧会に宛てたテキストを紹介し、本展についての考察を進める。


「  」のことを語るのは難しい。初めて訪れる上石神井の平子さんのアトリエのちょうどすぐ前の通りで、JAの行商のイチゴ屋さんが来たのでお土産に買って入った、そして平子さんと、たくさんの「  」に迎えられた。アトリエで話し、平子さんと私では少々年代が違うのだが、彼が岡山出身で私も瀬戸内育ちで、子供の頃に経験した自然はいくぶん共通性があるようだ。子供の頃は裏山で遊んでいた、適当にミカンだのツクシだの植物をとっていた。けれども、自然、花、草、空、月、道、壁、家、歌、といったことばが意味するところは、語る人の出自や経験、環境によってまったく違うところがあるらしい。 単に美しいモチーフではない自然と人間の関わりは美術でも様々にある。かつて工藤哲巳が「広島の化石」で試みた植物としての人間の傷。たとえば中林忠良の「すべてくちないものはない」として腐食版画で遺した植物の繊細な跡。あるいは大竹伸朗が、女木島の、アートサイト「女根」で行なっている植物との拮抗。 そして「  」はイキているちょうど中間くらいに住んでいて、別の場所への案内をしてくれるようだ。動物としての「  」、猫の隣の「  」。 上石神井駅の近くのアトリエでは制作途中の作品を見せてもらった。「  」が繁殖していた。たぶん次の個展ではもっとたくさんになっているだろう。集団は人間らしさそのものだ。 ヨーロッパの「  」がこんなにもひどく混乱しているように見えるが、日本もまた「  」というような表現がある。平子さんはたぶんその中で戦っている。


毛利が平子のモチーフに名称を与えず「  」としたことは、自然というものと向き合う私たちに向けたメッセージであると言える。毛利が本テキスト内でも示したように、「自然」も含めたさまざまなことば(ほかに花、草、空、月、道、壁、家、歌など)が意味するところは、それを語る人の背景によって全く違う。平子が「  」を制作するきっかけとなる、ロンドン留学時に感じた「自然」に対する関わり方の歪さもこの違いから生まれている。つまり、「自然」というものは人の概念に先立って「アプリオリ」にあるものではなく、実は「アポステリオリ(より後なるものから、の意)」として経験に基づき後から現れるのだ。その意味で「自然」は主体者それぞれにとってある意味で感覚質的なものであり、クオリアなのである。つまり「自然とは…である」と言った時の「…」は共通してある何かではなく、私たちは「自然」ということばを実は正しく共有していない。記号論的に言えば私たちはことばとしての「自然」というシニフィアンを共有しているだけで、それが何を示すのかというシニフィエが共有できていない。このことを毛利は「  」として示している。言い換えれば、この「  」に何が入るのかは鑑賞者それぞれが考えるべきことであるということを言っているのだ。


この数年の世界の説明できない状況は、私たちが世界をわかった気になっていただけなのかもしれないという現実を突きつけるものだった。人がいなくなったことで澄み渡る空が戻る一方で、観光収入の減少によって保護がままならなくなる自然がある。本当に「手つかずの自然」なんてあるのだろうか?多くの人が「自然」という概念を共有、理解した時、その思考はどこへ向かうのだろうか?


平子がロンドンで感じた自然への解釈をめぐる違和感をきっかけに、深い思考の中「自然」との間に生まれた「  」。「  」もそこに存在するがそれが何であるのかは「自然」と同じように「アポステリオリ」に、それぞれの人の中に現れる。本展「FOOTPRINTS」において、平子は様々な「  」を展示する。








「FOOTPRINTS」
会期: 2022年5月21日(土)- 6月25日(土)
開廊時間: 11:00 – 18:00 (火-土) ※日月祝休廊
オープニングレセプション: 2022年5月21日(土)16:00 – 18:00
※国や自治体の要請等により、日程や内容が変更になる可能性があります。

■会場
KOTARO NUKAGA(六本木)
〒106-0032東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル2F
アクセス:東京メトロ日比谷線、都営地下鉄大江戸線「六本木駅」3番出口より徒歩約3分



平子雄一|Yuichi Hirako

1982年岡山県生まれ、東京在住。2006年にイギリスのWimbledon college of Arts, Fine Art, Painting 学科を卒業。植物や自然と人間の共存について、また、その関係性の中に浮上する曖昧さや疑問をテーマに制作を行う。観葉植物や街路樹、公園に植えられた植物など、人によってコントロールされた植物を「自然」と定義することへの違和感をきっかけに、現代社会における自然と人間との境界線を、作品制作を通して探求している。ペインティングを中心に、ドローイングや彫刻、インスタレーション、サウンドパフォーマンスなど、表現手法は多岐にわたる。ロンドン、ロッテルダム、上海、ソウルなど、国外でも精力的に作品を発表している。

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