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text by Yukiko Yamane
photo by Noel Richter

14 Issue:Henrike Naumann(Installation Artist)




年齢は単なる数字であって、オトナになるという境界線は人ぞれぞれ。定義できないからこそ、誰もが答えを探している。多感で将来のことを考え始める14歳の頃、みんなは何を考えて過ごしたのか?そんなファイルを作りたいと始まった「14歳」特集。東京、NYに続くベルリン編には、年齢やバックグラウンド、仕事の異なる個性豊かな15名をピックアップ。
10本目はドイツ人インスタレーションアーティストのヘンリケ・ナウマン。東ドイツで育ち、右翼問題と旧東ドイツを身近に感じてきた彼女は、ヴィンテージ家具でクリティカルな空間を生み出し、東ドイツの政治やアイデンティティに関する議論を交わしている。スタジオのあるオフィスビルの屋上にて、10代の思い出と作品への影響について話を訊いた。(→ in English



ーー14歳のときはどんな子でしたか?


ヘンリケ「ザクセン州ツヴィッカウに近いとても小さな村に住んでいました。毎日登校するのにバスで1時間かかるため、学校がメインの生活でしたね。通学バス内で宿題をしてたくらい(笑)。家ではいつも学校の準備をせずに、できるだけ長く寝ようとしてました。それで毎朝大急ぎで準備するんです。ちょっとカオスでしたね。その頃から小さなセットデザインを作ろうとしていたので、部屋はとても散らかってました。クレイジーなアーティストのスタジオみたいな、まさにわたしの10代を象徴する洞窟です。幸せだったけど、両親が口論し始めた時期でもあり、3人の弟妹たちのためにそこにいる必要があったので、いつもハーモニーを探してました」


ーー早く大人にならなきゃいけない環境だったのですね。


ヘンリケ「そうですね。自分でも中身はかなり大人だったと思います。でも学校では正反対なお調子者だったんですよ。家では一番年上なので弟妹たちのいいお手本として振舞う反面、とても自由でした。いつもみんながお互い仲良くしてほしいと思っていたんです」


ーー14歳のときにどんな24時間を送っていたか、円グラフに書いてみてください。





ーーでは、14歳のときにどんなことを考えていましたか?





ーー当時の思い出でよく覚えていることがあれば教えてください。


ヘンリケ「14歳のときに”コンフィルマツィオン(プロテスタントの儀式)”に出席しました。両親にお金や自転車など何か特別なお願いができるんですよ。会場では幼稚園からの友達にも会えたのですが、彼らが激変したことに気付きました。男友達のほとんどはMA-1ボンバージャケットをほしがってたんです。今ではファッションのスタイルとして定着していますが、90年代のそれは右翼を支持するユースたちのユニフォームでした。幼稚園の頃から顔を知っているのに、スタイルを変えた彼らは全くの別人。頭を剃って、ボンバージャケットとブーツを纏って…“OK、ここにはいられない”。わたしたちの村はバイエルン州の近くで、プロの右翼リクルーターたちが東ドイツの田舎に進出してたんです…当時からそのことについて友達と話そうとしていました。いつだって一人一人違う意見を持っていることを理解してる、だからこそ自分の仕事を通じて全ての見解について議論したかったんです。わたしと同じ感情を持っているかもしれないオーディエンスだけでなく、全く違う考えを抱く人々に作品を説明できるように」


ーー子どもの頃から政治問題と密接だったのですね。14歳のときに抱いていた夢は何ですか?


ヘンリケ「14歳ではないですが、1〜2年生の頃に学校で将来の夢を描かなければいけなかったのを覚えています。知っている仕事でやりたいと思えるものが無くて。“何を描けばいいんだろう…?”。自分で仕事を考案したんです。深夜にお母さんと一緒に観ていたテレビのドキュメンタリー番組に登場してたってふりをしてね。たくさんの窓がある大きな家に住んでいる女性が、いろんなビジネスを提供する。人々は必要なものを手に入れるためにそこに来るんです。例えば家のデコレーションやアイスクリームとか」


ーー素晴らしい想像力ですね!


ヘンリケ「でも先生に言われたんです、“いいえ、それは存在しません”って(笑)。他の子たちもわたしを笑って“そんなのないよ!”と言ってました。とても悲しかったですし、それ以来二度とこのことを話しませんでしたよ。でも今思えば、無意識のうちにこの空想された仕事に向かって一生懸命に頑張っていたことに気付いて。ある意味で自分が想像していた将来に取り組んでいるんです」








ーー現在はインスタレーションアーティストとして活動されていますが、どういう経緯で始めたのですか?


ヘンリケ「2012年からですね。6年間は大学で映画や演劇の舞台美術を勉強して、それからインスタレーションアーティストの道を歩み始めました。わたしにとって全く新しい分野で、ゼロからのスタート。当時、文化領域の誰もが右翼シーンを扱うことを本当に気にかけていない状況だったので、たまに強い孤独を感じていました。でも人々がわたしに“続けて”、“やめないで”、“ディスカッションの一環としてとても大事”と声をかけてくれるんです。最初の6〜7年間は自分の仕事で何も稼ぐことができず、とても辛かったですね。32歳になり、生活費を支払えないならこの仕事を辞めてお金になる仕事を見つけなきゃと思っていました。トピックもかなり意見が分かれますしね。でも頭の中でいつも声が聞こえるんです、“やめないで”と。2年前ようやく最初の奨学金を手にし、状況がガラリと変わることに。ベルリンのギャラリー『KOW』からオファーをいただき、今年のはじめに個展を開催することができました。今は自分の仕事で生活できて、とてもいい気分です」


ーー信じて続けてきてよかったですね! 最近では人々が政治的なトピックやあなたの作品に興味を持っていると思います。


ヘンリケ「そうですね、以前はもっとニッチなことでした。それに事態が非常に混乱しているから、突然みんながそれを理解するというのもおかしなことかなと。現在、世間ではドイツの抱えている右翼問題を認知しています。8年前、多くの人たちが“芸術は政治的であるべきでない”と言っていました。でも、政治的でない芸術なんてありません」


ーーこの仕事を始めて大変だったことはありますか?


ヘンリケ「この仕事と会話を交わす上で大変なのは、たとえ会話があってもときに解決策がおそらくないということです。人はそう簡単には変われません。自分にできることの限界を見たときはとても辛いです。先週ケムニッツで展示のオープニングがあったのですが、最初の訪問者は右翼のAfD(Alternative für Deutschland、ドイツのための選択肢)を堂々と支持している女性でした。たとえ彼女が全く反対の政治的見解だとしても、それについてわたしに話すべく来たということは嬉しかったです。でも、改めて議論できることの限界を見せつけられました」





ーーあなたの展示や作品を鑑賞するユースたちに何を伝えたいですか?


ヘンリケ「わたしの作品はオーディエンスに彼らのユース時代を思い出させるものなので、今のユースについて考えることはおもしろいですね。現在だけでなく歴史を含み、私たちが今行なっていることを人々に気付かせたいんです。それはいつか歴史の一部となるので。あなたがそれについて考えるときに、アクティヴになるよう動機付けることができると思うんです」


ーー14歳のときに影響を受けた、大好きだったものはありますか?


ヘンリケ「アメリカとイギリスのボーイズバンドにとても夢中でした。特にテイク・ザットの“Back for Good (1995)”。1年後には好みがガラリと変わってニルヴァーナがわたしのヒーローになりました。テレビは『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城(Takeshi’s Castle)』を観てました(笑)。ベルリンの壁崩壊後はアメリカのテレビ番組ばかり観ていたので、『たけし城』は異色だったんです」



Take That “Back for Good”




“Takeshi’s Castle” (DE)



ーーいま14歳を生きている人たちに伝えたいメッセージはありますか?


ヘンリケ「ニュースを見てください。わたしはあまりしてなかったのですが、自分自身の小宇宙を超えて何が起こっているのか知ることが大事です」


ーー最後に何かお知らせがあればどうぞ。


ヘンリケ「今年はドイツとオーストリアでいくつか展示が開催されます。まず、8月25日までハノーファーで大きな個展があります。東のツヴィッカウと西のデュッセルドルフでも開催するんですよ。どちらも9月の選挙時期に合わせてほぼ同時にスタートする予定です。それから9月にオーストリア・ウィーン、11月にベルリンとミュンヘン、12月にライプツィヒと続きます」











photography Noel Richter
text Yukiko Yamane


Henrike Naumann
www.henrikenaumann.com
@henrikenaumann:https://www.instagram.com/henrikenaumann/





This interview is available in English

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