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text by Nao Machida
photo by Shuya Nakano

アーロン・ローズ 来日インタビュー “Now & Then: A Decade of Beautiful Losers” / Interview with Aaron Rose about “Now & Then: A Decade of Beautiful Losers”




1990年代、ニューヨークのロウアーイーストサイドにアレッジド・ギャラリー(The Alleged Gallery)という小さなギャラリーがオープンした。DIY精神で自分たちのアート作品を展示していたのは、スケートボードやサーフィン、グラフィティに夢中だった若者たち。ただ好きなことをして楽しんでいた彼らだったが、その活動は次第に世界的な注目を浴びるようになり、それまで高尚なものだったアートの概念をも覆してしまった。


2008年に公開された『ビューティフル・ルーザーズ』は、アレッジド・ギャラリーを設立したアーロン・ローズが監督を務め、バリー・マッギー、エド・テンプルトン、マイク・ミルズ、トーマス・キャンベルら、アレッジド・ギャラリーを代表するアーティストたちの証言とともに、彼らの起こしたムーブメントの軌跡を描いたドキュメンタリー映画。昨年夏には映画公開10周年を記念して、ニューヨークで展覧会「Now & Then: A Decade of Beautiful Losers」が開催された。


そしてこの夏、「Now & Then: A Decade of Beautiful Losers」が東京に上陸。アレッジド・ギャラリーにゆかりのあるアーティストたちの作品がRVCA SHIBUYA GALLERYとTHE CORNERに展示され、多くのファンを魅了した。ここでは来日したアーロン・ローズのインタビューをお届けする。(→ in English


――2008年に映画『ビューティフル・ルーザーズ』の公開記念イベントで来日された時のことを覚えています。もう10年も経ったなんて信じられないですが、今はどのようなお気持ちですか?


アーロン・ローズ「そうだね。でも映画の公開からは10周年だけど、僕らアーティストにとっては25年なんだ。アレッジド(・ギャラリー)は1992年にスタートしたからね。だから、10周年と言われても大したことには感じないんだ。僕らはティーンエイジャーの頃から、25年もこういうことをやっているわけだから」


――アレッジド・ギャラリーはどのように始まったのですか?ずっとギャラリーを運営したいと思っていたのですか?


アーロン・ローズ「そうではなくて、ただ安かったからなんだ。店を借りたんだよ。かなりでかくて、2000平方フィート(約185平方メートル)くらいあって家賃は月400ドルだった」


――すごいですね!


アーロン・ローズ「あのエリアに店を持ちたがる人なんていなかったからね(笑)」


――今ニューヨークのロウアーイーストサイドで店舗スペースを借りようとしたら、かなり高そうですね。


アーロン・ローズ「今だったら月2万ドルくらいだと思う。当時は誰も寄り付かないエリアだったから、あそこでビジネスをやりたがる人なんていなかったんだ。だからものすごく安かった。僕らはそこを住居として借りたんだけど、店舗スペースが付いていた。僕もルームメイトたちも誰も使っていなかったから、『あのスペースで何かやろうぜ』と提案したんだ。それでみんなアーティストだったから、パーティーを開き始めた」











――そもそも、なぜニューヨークに引っ越したのですか?


アーロン・ローズ「バンドをやっていたんだ。でもニューヨークに引っ越して6ヶ月くらいで解散してしまった。その後はいろんな仕事をしながら、次に何をやるかよくわからないまま遊んでいたんだ」


――当時はこのようなムーブメントを起こすつもりはなかったんですね。


アーロン・ローズ「意図的ではなかった。いまだに変わっていないんだけど、ニューヨークのギャラリーは上から目線で、若手のアーティストにはあまり興味を示さないんだ。当時は特にそうだった。僕らがアートを見せられる場所は他になかったんだ」


――当時のロウアーイーストサイドはどのような場所でしたか?


アーロン・ローズ「ドラッグや暴力が蔓延していた。僕らはドラッグディーラーたちとも仲良くしていたんだ。ヘロインの袋には種類別にいろんな絵が描いてあって、僕らはディーラーたちに頼まれて袋のデザインをしていた(笑)」


――アレッジド・ギャラリーはどのようにしてあのような場所になったのですか?


アーロン・ローズ「スケートボードやグラフィティを通して。でも、主にスケートボードだね。僕はスケーターだったんだけど、友だちも全員スケーターで、みんな絵を描いていた。当時のスケートシーンはすごく小さくて、今みたいに人気のあるものではなかったんだ。だから、みんな知り合いだった。僕とエド(・テンプルトン)もスケートを通じて出会ったんだよ」











――アレッジドではエド・テンプルトンやバリー・マッギー、トーマス・キャンベルら、素晴らしいアーティストたちが作品を展示していたそうですね。彼らとは友だちだったのですか?


アーロン・ローズ「友だちだったり、知り合いだったり。それにみんな(スケートの)ツアーを回っていたから、ニューヨークに来ると一緒に遊んでいたんだ。それで『僕も絵を描くんだけど、今度ここで作品を展示してもいい?』という話になっていた」


――SNSがない当時はどうやって情報を得ていたのですか?


アーロン・ローズ「FAXで(笑)」


――90年代っぽい!


アーロン・ローズ「電話するか、FAXでたくさん手紙をやりとりしていたんだ。今でも持っているよ。すごく色あせてきたけど、FAXはたくさん取ってあるんだ」


――ギャラリーで食べていけるようになったのはいつ頃ですか?


アーロン・ローズ「作品が売れ始めてからだと思う。でも最初の丸3年はリトル・リッキーズという店で働いていたんだ。朝11時から夕方6時まで仕事をして、夜の7時から深夜12時までギャラリーを開いていた。昼間はやっていなかったんだ。それというのもマックス・フィッシュというバーがあって、うちのギャラリーの隣で同じ時間に営業していた。だから、マックス・フィッシュの開店と同時にギャラリーもオープンしていたんだ」


――アレッジドでの一番の思い出は?


アーロン・ローズ「何も知らずにバカでいられたこと」


――そういう時期が最高ですよね。


アーロン・ローズ「ああ、今は賢くなりすぎた。僕らは10年ほど場所を移動しながらギャラリーを運営していた。自分たちのせいでもあるんだけど、次第にロウアーイーストサイドがトレンディーなエリアになってしまって、家賃を払えなくなってしまったんだ。当時の大家はすごくクレイジーで、住人を追い出すためなら殺人もしかねないような人たちだった」


――え!?


アーロン・ローズ「当時のニューヨークは今とは違ったんだよ(笑)」











――アレッジド・ギャラリーから生まれたムーブメントの軌跡を描いたドキュメンタリー映画『ビューティフル・ルーザーズ』の公開から10周年を記念して、去年の夏にニューヨークで展覧会を行ったそうですね。アレッジドにゆかりのあるアーティストたちが再び集まったそうですが、いかがでしたか?


アーロン・ローズ「うれしかったよ。僕らは長年にわたって友人関係を保っているのだけど、今はみんなそれぞれの生活があって、頻繁に会えるわけではないからね。一緒に成長して、一つのシャボン玉だった僕らは、それぞれのシャボン玉を作って飛んで行ったんだ。だから最近ではほとんど会わないんだよ。展覧会は大盛況で、毎朝(ギャラリー前に)客が並んでいた」


――素敵ですね。


アーロン・ローズ「東京もそうなるんじゃないかな。日本はヨーロッパや他のどこよりもずっと前から、僕らのアートを理解してくれた。ニューヨークと日本が理解してくれたんだ。ニューヨークの展覧会は本当にノスタルジアを感じたよ」


――日本ではあの映画をきっかけに、さらにアレッジドのアーティストたちのファンが増えたと思います。


アーロン・ローズ「まだ全員が若いうちにあの映画を作って、本当によかった。多くのドキュメンタリーではみんな年を取っているだろう? 『あの頃は〜』と話しているイメージだ。みんなが若いうちに映画を作れたのは、すごくよかったと思っている」














――アレッジド・ギャラリーのムーブメントの後、何が一番大きく変わったと思いますか?


アーロン・ローズ「すべてがビッグになったよね。何事もビッグになると、結果的に内容が乏しくなる。ストリートアートみたいにね。最悪だよ。ものすごく小さくて純粋なものとして始まったのに、今ではすべての街のすべての街角がアートで覆われている。人々が目にする芸術作品が増えたという意味では、それをよしとする自分もいるのだけど、そこにはもう個性がないんだ。それは少し悲しいけど、カルチャーやすべてのことにおいて、よくあることだからね。だから怒っても仕方ないんだけど、重要ではなくなってしまうんだ」


――今のあなたにとっての最大のインスピレーションは何ですか?


アーロン・ローズ「アートにはあまり見出せないな。今のアートの世界はおかしな状況だと思う。昨日もESPOと話していたんだけど、すべては戻ってくるんだよね。巨額の金が動く、商業的で巨大なアートの世界から、今後また振り戻ってくるような気がしている。人々はそういったものを好まなくなるだろう。もっと私的な芸術作品に戻ってくるんじゃないかな。カルチャーにおいては、いつもそういうことが起きるからね」


――確かにそうですね。


アーロン・ローズ「だから、僕にとっての最大のインスピレーションは、すべてのものは繰り返すということ。過去10年くらいの間には、『ビューティフル・ルーザーズ』のアートに誰も興味を持たない長い時期があった。(興味を示すのは)キッズだけだったよ。今は高校の美術の授業で生徒たちにあの映画を見せているらしい。だから、ティーンエイジャーの世代はすごく夢中なんだ」


――キッズに話しかけられたりしますか?


アーロン・ローズ「ああ、それに年中手紙やインスタグラムのDMが届く。でも、こういうスタイルの作品が人気のない奇妙な時期もあったんだ。とはいえ、それもまた繰り返すだろう。グレイトフル・デッドみたいにね。急にみんなグレイトフル・デッドが大好きになって、Tシャツとか着ているだろう? 過去20年くらいは『グレイトフル・デッド!? ありえないだろ!』って感じだったのに(笑)」


――アーティストを目指している若者たちに何かアドバイスはありますか?


アーロン・ローズ「トレンドは無視しろ。トレンドはいつでも君を裏切るから。ようやくマスターしたと思った頃には、みんな他のことに夢中になっているよ」





photography Shuya Nakano
text Nao Machida
edit Ryoko Kuwahara


Aaron Rose(アーロン・ローズ):
現在はロサンゼルスで暮らすライター、アーティスト、ディレクター、フリーランスのキュレーター。1992年から2002年の間、ニューヨークの伝統的ギャラリー、アレッジト・ギャラリーのオーナー兼ディレクターとして、マーク・ゴンザレス、クリス・ヨハンソン、マイク・ミルズ、エド・テンプルトン、バリー・マッギー、フィル・フロストら、数多くのアーティストたちを世に送り出した。その後も彼のアートへの情熱は消えることなく、2004年2月にコンテンポラリーアートセンターで開かれたクループ展「ビューティフル・ルーザーズ」をディレクションする。この活動は世界を跨いで続いていた。2008年、自身が監督を務めたドキュメンタリー映画『ビューティフル・ルーザーズ』を発表。現在は自社であるアート本の出版社アレッジトプレスで出版を手がけるほか、RVCAが発行するフリーマガジン「ANP Quarterly」の共編者として活躍している。
https://www.aaronrose.co




This interview is available in English

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