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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#14触れること

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LOVE ISの後に続く言葉のバリエーションは、きっと星の数ほどはないだろう。MONEYと答える人だっているだろうし、子供の名を置く人や、旦那さん(幸運!)や恋人、果ては宇宙などという答えだってあるだろう。だが、愛とは?という問いへの答えは、だいたいある範囲の中に決まっていると思う。
私はといえば、ジョン・レノンのLOVEという曲の一節が、そのまま答えとなっている。
彼はその歌の中で、愛は真実、愛は感じること、愛は自由、愛は愛されたいと願うこと、などのように、その定義を幾つか並べているが、中でもLOVE IS TOUCHという節が一番印象的で、即物的というか身体感覚に添っているというか、私にはしっくりと腑に落ちる。
「愛は、触れること」
では、触れるとはいったいどういうことなのだろう?
我が自説によると(高校生ぐらいに気づいて以来ずっと唱えてる)、視覚、聴覚、嗅覚、舌に訴える芸術というのは絵画や音楽、香水、美食また統合的な演劇や映画をはじめ沢山在るが、触覚に訴える芸術というのは、比較的少ない。
なぜか?
例外と思える彫刻などの類いは、眺めるだけでなく本来触れなくてはその本当の価値を感じられないはずだが、ギャラリーなどでは、たいがいそれは禁じられている。あれは触感表現なはずだろう。
まあ、それはそれとして、触感芸術が未発達である理由は、日常にはどんな創作をも超える「肌に触れる」という触感があって、人類はそれを発生時から知り尽くしていたため、触感芸術を発展させようなどと思いつきもしなかったのだろう。
つまり、触れるということは、肌と肌が直接触れ合わせることを頂点として、肌以上に触感に訴える素材はないのではないか。
「愛は触れること」は「愛は肌を触れ合わせること」に極論されていると思う。
これは性的な触れ合いとは別次元で存在しているような気がする。もちろん重なる部分もあるとは思うが。

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