NeoL

開く

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#15ヨガ

031903

「今に戻って来られる」
敢えて、「今に居られる」ではなく「戻ってこられる」と記したのは、私達は「今現在」を留守がちだからだ。
やたらと目標に邁進する未来派、過去の経験を拠り所とする過去派に対して、今を楽しもうとする今派は、ちょっとキリギリス的で、経済優先の競争社会では、ちょっとした異端である。
だが、実際存在しているのはこの瞬間の今だけではないだろうか?(今、さえも存在していない云々についてはまた別の機会に)
未来はまだ存在していないし、過去はもう存在していない。
それを存在していると思わせるのは脳が作るイメージでしかない。つまり幻である。それが肯定的な目標設定や夢の実現への力だとしても、未来を思えば、今が留守になる。それが情感を増幅させる思い出に浸る行為だったり、失敗則から学ぼうとする自助的なことだとしても、過去を振り返れば、その間はやはり今を留守にすることになる。
今というのは、言わば中心線だと思う。未来や過去を思うということは、直立した姿勢を保てなくなるほど前後左右に揺さぶられることに似ている。つまり不安定になる。
ただ、思考の特性からいって、何かを考えるということは、未来か過去に思いのフックをかけることになる。
例えば、小説や映画に感動したとしよう。言葉にならない感動も、次第に自分の状況に置き換えたりしているうちに、自分だったらこうするああすると、ああしたこうした、などと未来過去へのイメージと繋がってしまう。極論すれば、思考というのは、必ず今を離れて未来や過去に自分を移動させてしまう物だと思う。
ヨガは、自分の体や呼吸に意識を向け続ける事で、思考から解放され、不要な不安や妄想的な高揚から自由になって、ただの自分へと、本来の自分へ、今へと帰してくれるのだ。
そこには、均一な静寂があって、まるで宇宙そのものになったかのような調和を感じられるだろう。完璧な調和は、探すべき遠い場所にではなくて、自分の今にあるのだと感じられる。とても幸福な時間だ。

4ページ目につづく

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS