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女王蜂『奇麗』インタビュー(前編)

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―その木の上目線ゆえに、切ないのにポップさがあるんですかね。

アヴちゃん「うん、でもわからない。最近思うんやけど、SNSと住所さえあれば自分の髪の毛や自分から出てくる言葉なんかを紙に書いて売るとかでもビジネスが成り立っちゃう。インディもメジャーもガジェットもツイッターも色々あって、芸術とされているものや様々な芸術が乱立していて、色々な派閥があってーーそんな世界やからこそ諦めたというか。個人の歌を歌っても仕方がないから『ま、いっか。今回はみんなの歌を歌いましょう』って。それで”髪の毛”も”折り鶴”、”始発”も自分のことを歌ったけれど、自分のことを歌えば歌うほど『これって私のことやっけ?』みたいな、みんなの歌になっていった。両極端って似てたりするから、そういうことかなって思ってる」

―内にいけばいくほど深く広くなって宇宙になるという法則だ。

アヴちゃん「うん。私ってすごく典型的な“人”なんです。スペックも顔もなんでも典型的でマネキンっぽい。だからこそ“自分”と“みんな”をうまく折衷できたんかなあと思う。”売春”なんて男と女の目線すら曖昧でしょう? だから聴いていて懐かしく感じる人もすごく多いだろうし、見たことある風景のような既視感もあるだろうし、私自身もそうやった。あとね、今まであまり言わんかったけど、なんかもう私の中にある曲って決まっているんだと思う。人に寿命があるように、私にも書ける曲の数は決まってるし、なんかこう、全部決まってる。全部有限なんやなって確信した気がする。例えば女王蜂は1人抜けてまた新しい子が入ってすごく良くなって、悲しくなったり辛くなったりもしたけど、全部が大きな動きであって後々になったらそれは必然だったんだなと思うし。曲自体も1曲1曲の動きはあるけど大きな流れをちゃんと体現したいからアルバムという法則をとるわけだし、決まっているものにどこまで際限なく近づけるかということであって。だから4年前からこのアイデアや雛形はもう出来ていて、あとはそれを超えるために考えて実現するだけやった。昔はもっと『今、今』って生き急いでた感じやったけど、今は急がなくても限りがあることがわかってシナリオ通りにやってる感じがする」

―その有限性を意識したのは何がきっかけでしたか? メンバーが変わったことが大きかった?

アヴちゃん「かなあ? いや、多分恋愛したこともそう。恋愛をして、すごく多幸感に満ちている時は、これがずっと続くんじゃないか、傍にいることが有難いなと思うけど、結局、私すごく残酷な人間なんですよね。4年前に出すときは全て終わらせるって決めてた。だから別れたし。すっごい泣いたし、ボロボロやったけど、でもシナリオを完成しないとって思って。だから残酷なんだよね」

―それはアーティストとしての目線で完遂しようと?

アヴちゃん「もうなんの目線でもない。わかんない。そうするって4年前に思ったからそうしなさいって。4年前の私とこの人とどっちが大事やろうと思って、天秤にかけたかったわけじゃないけど、でもかけないとアルバムを出しても人に聴いてもらえるものにはならないと思ったから。命綱を付けてその人と繋がってる状態で出すのって、私の中で許せなかったんです」

ーああ、命綱をつけている感じは全くないですね。

アヴちゃん「ね。別れなくたって聴いてる人にはわからなかっただろうけど、何かあるんだよ。だから、他のアーティストの人達と優劣とかいうところでは比較できないけど、なんか部門の違うものができたと思う。部門の違う、謎の安心感がある作品かなって」

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