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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#28 旅すること

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烏丸通りを北上し、北大路あたりでバスに乗り換えて、上賀茂神社へとなんとなく赴いた。漠然と北へと向かおうと思いついただけのことである。
バスからの風景というのは、いったい何歳になるまで楽しいのだろう?私は、現実から少し上ずったような不思議な高みから、流れる風景を眺めるのがとても好きで、それは十歳の息子ととて同様、二人してぼんやり、かつウキウキしながら、上賀茂の風景にもたれかかっていた。
賀茂川の風情は、三分咲きとラジオが言う桜の色と相まって、沖縄を住処とする自分の目にちょっと感傷的に映っていた。
桜を見ると、私はすでに異邦人となっていることを実感する。沖縄にはソメイヨシノの類はないので、春の桜を、まるであの世から戻った魂で見るかのように感じてしまう節がある。
さしづめ、バスは異界からの船となって、父子を乗せて上賀茂を遊覧するのであった。その時に生まれて初めて、三分咲きの桜の美しさを知った。そればかりか、二分の、六分の、挙句は、未開の桜の美しさも、心の中に広がって、それぞれ美しさを放つのであった。私の中の何かが巡ったのである。
終点の上賀茂神社で降りると、饅頭やの看板に惹かれたが素通りして、参拝へと向かった。
何度目かの参拝だったので、見覚えがある所もあるのだが、季節と天気が違ったのだろうか、新参の気分が占めていた。
広々とした開放的な参道を進み、赤い門をくぐって本殿へと進むと、確かに以前に来た所であった。以前の時とは違って、アジアからの旅客も多く、人の営みの流れを感じた。
京都というのは、都が定められたほどに、名水の土地でもある。上賀茂はその象徴のひとつであり、神域から流れてくる小さな流れが上賀茂神社を横切っている。その流れに沿って歩けば、いくつかの摂社に巡り合わせることとなる。ここでは、その名を伏せるが、そのうちの二つにとても感銘を受けた。
その場にたたずめば、自分の中心を支えているものが、緩むのがわかった。場に感応したのである。


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