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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#30 ベルリン

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とまあ、これは紙の上の戯れに過ぎず、実際は苦痛こそあれ、体がすでにベッドにあることで楽観していた。ベッドに居させすれば、あとは治る軌道に乗せるだけなのだから。どんなものにでも底というのがある。体の不調然り。底に向かっている時には、じたばたせずに、ただ身を任すしかない。無駄な抵抗をしないということだ。あがきは事態をこじらせるだけなので、坂口安吾のごとく、「堕ちよ、堕ちよ」でいいのだ。できるなら、堕ちていく様を鑑賞するほどの余裕があるといい。ああ、自分はこういう風に堕ちていくのかと、その様はなかなかの見物となる。そして底に到着したのを感じたら、そこからが関与の始まりである。堕ちる様を観察鑑賞していれば、コツンと体調の底に辿りつく音がする。コツンでもドタンでもフワリでも構わず、無論音などなくても良いのだが、ともかく底を感じたら、ではそろそろ治りましょうか、と相成る。体というのは、本来治りたがる習性がある。治りたいのだから、それを邪魔してはいけない。正しい位置というのは体が知っているので、余計な薬で話をこじれさせる必要はない。私の場合は呼吸とイメージを使うことで、日常的な不調なら十分足りる。呼吸といっても難しいことをするわけではない。深呼吸を繰り返すだけだ。深く吐いて、深く吸う。その繰り返しだ。

意識としては、吐く方をメインする。呼吸という言葉自体が呼気、吸気の順を示していて、まず吐き切ったあとに、吸うがくる。深呼吸というと、まず大きく吸い込んでしまいがちだが、実は吐くことが大切だ。

人の一生を、最初の呼気と最後の呼気の間のあれこれに過ぎないと言った人がいるが、母体から出て最初に吐き、そして死ぬ時も吐き切って息絶えるというわけだ。

吐くことで、まず老廃物を出し切り、そうしてから新鮮な美しいエネルギーを取り込むように吸う。不要なものを捨てる、必要なものを取り込む。そのループ。

生命活動を維持するためには、呼吸のクオリティを高めることが大切だ。もっともベーシックな箇所へのこだわりが、他のクオリティを高めることになるのは、ファッションや美容にも言えることだと思う。

普通の深呼吸でもいいのだが、さらに一歩進むなら、吐く時は、肺を収縮させた後、腹部もへこませるように二段階の動作を踏んで丁寧にやるといい。吸う時は逆に腹部をいっぱいまで膨らませる。これによって横隔膜が下がる。その次に肺へと空気を吸い込む。あらかじめ横隔膜が下がっているのでスムーズにいくことがわかるだろう。呼吸はだいたいこんな感じでいい。とてもシンプルだ。悪いものを出し切り、良いものを十分に入れる。これをできるだけ繰り返す。慣れないうちは無駄に力が入ったりするので、休みながらやるといい。


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