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Sayo Nagase『PINK LEMONADE』

—MとYって、写真家ならではの視点で面白いですね。

永瀬「どちらかがちょっと多いだけでも解釈が変わるし、少ないだけでも変わる。せめぎ合いになってる境界線ですよね。でも例えば、現実とファンタジーの塩梅もそうじゃないですか? ちょっと多い、ちょっと少ない。そのぎりぎりのところでやってるのが今回の写真集のテーマです」

—現実とファンタジーもそうだし、永瀬さんの場合だと更にピュアネスとパンクスのような部分もあって、いろんな相反する要素がせめぎ合ってる感じがいつもしていて。

永瀬「そう、それをすごく出したかったんです。例えば男と女、大人と子供とか、そのせめぎ合いがMとYにもつながってて。哲学的になっちゃうんだけど、それが発端だったんだなって感じてます」

—ただそれって裏テーマとしてずっとあったと思うけど、メインテーマになったのは初めてですよね。

永瀬「確かにこれまでは裏テーマでしたね。なんでだろう? 日本と日本以外とかも境界線ぎりぎりでやってるし、なにかすごいぎりぎりを攻めていくことがこだわりになっちゃった気もするんですよね」

—それはユミさんという被写体だから出来たのか、それとも永瀬さんのマインドの問題なのか。

永瀬「どっちもあると思うけど、これは彼女のポートレイトというわけじゃないし、むしろ存在感を消してもらってるじゃないですか。でも存在感を消してもらってるのに存在感がすごくある写真集にしたかったというのはあって。写真評論家のタカザワケンジさんが『この作品には3、4人の女性が出てる』って書かれているんだけど、そういう見方も面白いと思いました。ミスリーディングにとても関心があるんです」

—これを見てて、そういえばどんな人でもシチュエーションとかで顔って変わるなあって思ったんですよ。

永瀬「そうですね、だからこれは全部ノーメイクなんです。例えばファッション誌でいろんな表情の女性を演じる時ってお化粧を変えたりしますよね。でもこれはコンシーラーさえも塗ってないし、マスカラさえも塗ってなくて、顔洗って終わりみたいな。だから場に行くだけで顔が変わるというのがよくわかって面白いなって思ったのと、人間は限定してモノを見てるんだなって。勝手に自分が都合がいいようにモノを見るから、それを壊したかったっていうのがありました。人間が見てるものって、実はもうちょっと疑ってみるべきじゃないかなって。これはコーヒーカップだと見えているけど、実はコーヒーカップじゃないかもしれない。私たちの網膜がグニャッと変えてコーヒーカップに見せてるだけかもしれない。そういうことも前から関心があったんです。この世の中はあやしい……、みたいなことが」

—その意図は明確に伝わりました。本当に顔が違うし。

永瀬「表情が違うっていうのでもないんですよね。何なんだろうな。でも顔が違う(笑)」

—わかります。自撮りとかだとみんな一緒に見えるんだけど(笑)。

永瀬「全部同じ顔に見えますよね」

—あのフェイクさ加減も面白いですよね。フェイクなんだけど、そちらのほうが出回りすぎてて逆にリアルなその人の顔として認められてる現象とか。

 永瀬「ファンタジーとリアルも境界線がなくなってきてる。それも今回考えてましたね。逆にあえてファンタジーにした方がリアルが出てくる場合があるというのもすごく思ったことで。でもそういうことを言葉で表現するのはすごく難しいですね」

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