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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#45 食事法アップデート

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その要約を記す前に、彼が若い時に旅したチベットで口にしたバター茶について触れてみたい。
実は、私も20代の頃に旅したチベットで、その味にあずかっている。最初にいただいたのは、ラサのポタラ宮でのことで、宮にいた僧侶に勧められたのだった。バター茶とはお茶にバターを混ぜたもので、これを彼らは毎日魔法瓶からかぶかぶと飲んでいる。高地で暮らす彼らにとって健康維持のための大切な飲料だということは、何の知識も持ち合わせていなかった私にも想像できたのだが、味は決して美味しいとは思えなかった。「最強の食事」の著者であるアスプリーさんは、後にバターコーヒーなるものを生み出し、これはダイエットメソッドとして大ヒットすることになるのだが、そのヒントがチベットのバター茶であったのだ。
 アスプリーさんは、帰国後にバター茶の美味しさを再現しようと、お茶にバターをたっぷりと入れて飲んでみたのだが、どうもチベットでの味とは違う。その原因はバターの質にあった。


 チベットの牛は放牧され大地に生える草を直接食べて暮らしている。それに対して、アメリカの一般的な牛は穀物や飼料を食べている。その食の違いがそのままバターの質の違いになっていたのだ。食について考える時に、頻繁に持ち出されるフレーズに「あなたは、あなたが食べているもので出来ている」という有名なものがあるが、「あなたは、あなたが食べているものが食べているもので出来ている」という風にアスプリーさんは言い足している。自分が今食べているものが、どういう食物連鎖の中にいるか、どういう環境で育ったのかを視野に入れることの大切さは、例えばホルモン剤入りの餌が、それを最終的に食べることになる私たちの体に取り込まれることを思えば、軽い寒気とともに理解できる。牛を食べることは、牛が食べた草を食べることであり、その草が育った土壌の成分やエネルギーを食べることである。
 ただ、理想的な食というのは、作業環境や経済効率を優先している食産業の中では、消費者としては高価なものになってしまう。例えば、テニスのトッププレイヤーであるジョコビッチさんが日常的に食べている健康で清潔な食肉やその他の素材は、誰もが口に出来るものではない。贅沢という意味でなく、真っ当な素材をいただくという意味での美食は、なかなかもはや一般的でないのは残念だ。添加物を多く含む安価な食材をなるべく避けるというのは、健康であり続けるための知恵ではあるが、そこへの意識付けが、現実ではなかなか一般的ではないかもしれない。


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