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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#62

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5年間続けさせていただいた連載も最終回となる。
私がこれまで受け持った連載では最長となった。お付き合いいただいた読者の皆様には深く感謝している。新月の日に更新することを61回も続けてこられたのは、編集長の桑原さんのご理解と寛容さによる。改めてここに感謝を記しておきたい。

 

 旧正月を本正月とする沖縄に暮らしているせいか、一般的な大晦日や正月の感慨に乏しくなっている近年なので、正月の気の緩みのせいにできないのだが、最終回にして新月の日に更新することを初めて忘れてしまったのは、自分らしくもあるなと一笑。今年もゆるゆると生きるのだろう。

この5年いろいろ記させていただいた。

 ヒーリング放浪記「新月譚」が正式なタイトルだったと思うが、そこはかとなく社会に漂う疲弊感、希望を持ちづらい未来像への不安、経済の停滞感、などのネガティブな要素が最終的にそれぞれの個人に集積しているように感じ、小さな一助となるようにとの願いをこめて、始まったのがそもそもであった。

 毎回様々なヒーリング方法を紹介し、また健康への意識の向け方のアングルを模索し、心身が好調であること、それを維持すること、それらがもたらす健康な毎日の素晴らしさについて、初めての物を見るような気持ちで、記してきた。

 既知の知識や経験から紐解いた回もあるが、ほぼ毎回自分自身の好奇心の行き先に従って学びつつ進めていった。その立ち位置はおそらく読者の多くの視点と共通していたと思う。


 そもそも私がヒーリング以前に、目に見えないが確かに存在する不思議な力に好奇心を抱いたのは小学生の頃だった。成長するにつれ、その好奇心は、人を癒すエネルギーへの抑えがたい興味へと行き着いた。何故かは私自身にもわからない。心の奥から突き上げるような、衝動のような、と言えばいいだろうか。それは私の生業である撮影や執筆への熱意と比べても、劣らないものだった。
 育った家庭環境を考えれば、両親それぞれに異なる宗教への信仰を持っていたので、いわゆる宗教は身近だったが、身近なだけに憧れもなく、また拒絶もなく、現在の私は宗教的にニュートラルな位置にある。聖なるものへの信仰心はあるが、特定の宗教に帰依しているわけではない。

 なので、私のヒーリングへの興味は、宗教とは一線を引いたところにある。ちょうど科学と宗教の間にある場所を基本的な立ち位置とし、自由にその空間を動いて、偏見なくつぶさに様々なヒーリングを追ってきた。

 是非バックナンバーをご覧になっていただきたい。61回も感じ、考えたので、そのいずれかには誰かにとっての役立つ何かが潜んでいると信じている。ここ数年で扱ったものは、睡眠、日光浴、禅、怒り、冷えとり、ことば、肩こり、砂糖抜き、守護霊、巨木、レイキ、トークセン、瞑想、散歩、などなど、手技から精神世界的なものまで扱っている。

 これら61回の試行を経たのだから、さぞかし私を健康で心身ともに充実していると思われるかもしれない。確かに滅多に寝込んだりしないが、人より抜きん出て健康というわけではない。人並みよりはちょっと上かな、というのが正直なところだ。だが、考えようによっては、この5年間のヒーリング経験があったからこそ、人よりちょっと上かなという健康状態を得られているのかもしれない。それがなかったら大病していたかもしれない。

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