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text by Ryoko Kuwahara
photo by Yudai Kusano

OKAMOTO’Sのアドレス帳 Vol.36 Aisho Nakajima x オカモトレイジ




OKAMOTO’Sのメンバーが友人はもちろん、憧れのアーティストなどをゲストに迎える対談企画。オカモトレイジがホストを務める第36回目は、シンガーのAisho Nakajimaが登場。2018年にシドニーから帰国したAishoの光る個性をオカモトレイジのセンサーがキャッチ、音楽的才能にも太鼓判を押している。2人の馴れ初めからAishoのこれまでの人生を紐解いていく。


――二人はどうやって知り合ったんですか。


レイジ「あまり覚えてないんだけどインスタかな?」


Aisho「多分友達のインスタから繋がって。でも繋がる前に、レイジさんがDJしているのを見たことがあって、その時が初めてかな。伊達眼鏡で、パッツンのマッシュで凄かった」


レイジ「俺はインスタで見て、歌もダンスも上手くてすごいインパクトがあって、『なんだこの人、ヤバい!』ってフォローした。そしたら、HIYADAMが友達だったり、横のつながりでどんどん紐解かれていって。それで、COACHのパーティー(COACH × KIKO MIZUHARA 2019年7月開催)で初めて挨拶しました。その時はシドニーから東京に帰ってきたばかりだったよね」


Aisho「そうですね、2018年の末に帰国しました。高校を卒業して1年間働いてお金を貯めて、2年間ワーキングホリデーでシドニーに行ってたんです。でも日本で20万円くらいしか貯めてなかったからすぐに一文無しになっちゃって、着いて3日目くらいから働いてずっと飲食店を転々としてました(笑)」


レイジ「英語はもともと喋れたの?」


Aisho「育ちが英語で、日本語は小学3年から覚えました」


レイジ「そうなんだ。歌はいつ頃から始めたの?」


Aisho「昔から歌は本当に大好きで。キーボードを使って耳コピしたり、誕生日プレゼントで親からもらったマイクで毎日歌ってました。高校は通信に通っていて、単位がもらえるコースのひとつにヴォーカルトレーニングがあって、1年間通って、そこの先生にホテルとかウェディングで歌う仕事もいただいたりして。シドニーでも毎日に歌っていましたね。インスタ用とかではなく、自分の歌の動画を撮影して、それを見直して悪いところ探したり、というのを何回もやってました」


レイジ「ああ、自然に努力しているタイプだ。好きだとそうなるよね」



Aisho「実は歌を仕事として考えたことはなかったんです。親に音痴って笑われたりしたこともあって自分に自信がなかったんですよ。シドニーに行ってメイクがすごく好きになったこともあって、メイクアップ・アーティストを目指すようになって。でも日本でいざメイクアップ・アーティストとして活動を始めたら、他人にメイクするのが嫌だって思っちゃって(笑)。やっぱり自分にメイクしたいし、目立ちたいし、自分は裏方には向いてないみたいなんです。憧れていたのも、BeyonceやBruno Marsなどのポップスターだったので」


レイジ「やってみないとわかんないことってあるし、気づけたのは立派だし、やめるって判断したのもすごい。嫌だと思いながらも、何となくズルズル引きずってやっている人ってたくさんいると思う」


Aisho 「今でも自分にメイクするのは大好きです(笑)。歌は、帰国してからはスタジオ・ノアに通い出して、好きなアーティストをカバーして歌っているものを動画撮影してインスタとかにあげ始めました。スタジオはやっぱりカラオケより音質がずっといいから、自分の声にも自信を持つようになったし、自分の声のことをより知れるようになったんです。動画を投稿してたら、そのうち友達から『本格的にやりなよ』ってすすめられるようになって。最初は自信がなかったんですよ。日本の曲を全く聴かないから、ライバルになるような人も知らないし、音楽業界の事情もわからない。ただ海外のアーティストの曲をたくさん聴いていて、それが好きな自分がどうやったら音楽活動を始めたらいいかわからなかった。でも偶然イベントのオーガナイザーと知り合って。ちょうどその頃にやっぱり歌をやりたいなって周りにも言うようになってたこともあって、彼がイベントの出演に誘ってくれて。2019年の7月にSankeys PENTHOUSEでやったのが初めてのイベントです。レイジくん、インスタに載せてくれましたよね」


レイジ「あのポストは本当に最高だった。音楽に救われたから音楽やりたいってことが全部書いてあって。本当にそれに尽きるよね」


Aisho「人前で歌ったことはあったけど、Aishoとして初めてやったイベントは比べ物にならないくらい緊張して、足も声も震えて。でも、歌っている最中は本当に幸せだな、気持ちいいなって感じられたんです。自分の曲を歌ったわけではなかったんですけど、初めてそんな感情を味わったんですよね。そこから本当に歌をやりたいと思うようになりました。ちょくちょくイベントにも呼ばれるようになって、最初は誰かのカバーだけをやっていて、オリジナルの曲を作るつもりはなかったんですが、DFTのミミさんに出会って、彼女が誘ってくれて、今一緒にオリジナルの音楽を作っています。今のライヴでは、自分が歌詞を書いたオリジナルも歌うようになっています」




――自分で歌詞を書いているんですね。


Aisho「そうです。歌詞とフローが自分で、ビートはミミちゃんにやってもらってます」


レイジ「ということは、作曲も自分でしてるんだね。メロディラインとか作っているんだ。すごいね」


Aisho「前の曲はYoutubeで適当に拾ったビートに自分で歌詞やメロディーをつけてレコーディングして、後から全く違うビートに作り直してもらったり。でも今新たに作っている曲たちは、ビートをもらって自分で作詞しています」


レイジ「ダンスはいつ頃からやってたの?」


Aisho「ダンスは小学5年生くらい。もともとダンスを観るのが大好きだったんです。ヒップホップのダンスを習いたくて親に頼んだんですけど、月謝が高かったので家の近くの社交ダンスのスタジオに通ってました。お姉ちゃんと一緒に1年くらい通ってて、社交ダンスの種類を全部マスターして、初めての大会でお姉ちゃんと2位をとりました(笑)」


レイジ「タンゴとかチャチャとかのジャンルも踊れるんだ」


Aisho「今はわかんないですけど(笑)、そこからダンスはやってないです」


レイジ「いまのライヴ中のパフォーマンスは?」


Aisho 「全部、独学です」


レイジ「へえー!」


Aisho「この前初めてダンサーの友達とスタジオを借りて、一通り振り付けをやってもらったんですけど本当に難しかったです。フリースタイルは得意でも覚えるのが難しい」


レイジ「今後はそういうことにも興味あるの?


Aisho 「すごく興味あります。次のライヴの振り付けも自分でやる予定です」




レイジ「やりたいことや好きなことがいっぱいあっていいね。何やってもうまくいきそうだし」


Aisho「自信をくれたのはレイジくんなんですよ。歌のカバーをし始めた頃にレイジくんが褒めてくれたんですけど、あんなに褒められたのは初めてで、すごく嬉しかったんです。今までは、ただ『Aisho歌うまいよね』って感じで、音楽として褒められたのは初めてだったので、自分の曲が本当に伝わったんだなと感動しました」


レイジ「むしろ音楽業界にいるからこそ本当に歌がうまいんだってわかった。友達でうまい子がいるんだよねってノリじゃないというか。こういうタッチで歌える日本人はあまりいない。洋楽しか聴いてないというのも、体のつくりとかもあると思うし、この感じのシンガーは日本にいないよなって思った」


Aisho「レイジくんにそう言われた時、本当にやる気が出ました。褒められて伸びるタイプなので、俄然やる気が出たんです。本当にありがとうございます」


レイジ「その後すぐに(水原)希子ちゃんとかも『Aisho、やばい』ってなったしね」


Aisho 「本当に周りに感謝です。周りの人がいなかったら、今いるところにはいないので」


レイジ「やりたいことがたくさんある若い子は多いけど、Aishoのやりたいことは明確だからこそ何やっても大丈夫そうなんだよ。これから先、ダンスもメイクもやって、服とかも作りそうだし、ヴィジョンがあるのが強い」


Aisho 「やりたいです。最終的にメイクのブランドも作りたいです」




――Aishoさんは、動画などを見ていても、自分のことを全部さらけ出せるマインドがありますよね。


Aisho「ライヴを始めて、そうなりました。今までは自分に自信がなかったからやりたいことを口に一切出してなかったんです。カミングアウトの時も、メイクアップ・アーティストになりたかった時も同じです。自分に自信があったらあまり経験がないとしても名乗れるし、自分に自信がある人は説得力があるじゃないですか。でも本気で音楽をやろうとプロデューサーを探すタイミングから言葉に出すようになって、言ったらうまく行くようになったし、さらにヴィジョンも広がりました。やりたいことは言葉に出さないといけないんだなって。あと、そういう互いの夢を語り合えるような友達も本当に大事にしなきゃいけないなって。だから最近はクドイくらい言葉に出そうって思ってます」


レイジ「うん、絶対に言葉にした方がいいと思う。引き寄せの法則というのもあるし、言ってるとそれが伝わって引き寄せるんだよね。俺もそれでいっぱい叶えてきた夢があるし。言わないで得することなんか一個もない。あと、やりたいことを全部メモるのも大事だと思う。結構忘れがちだし。俺自身もやりたいことが多いタイプだからそうしてる」


Aisho 「レイジくんはいつから音楽をやってたんですか?」


レイジ「全く興味なかったんだけど、中学校に入って仲良くなった友達がみんなバンドを始めちゃって。それまで俺は卓球やってたんだけど、友達が始めたし、俺も始めようって、中3で初めてバンドを組んでドラムやり出して、それがOKAMOTO’S」


Aisho「この前初めてドラムを見ました。やばかったです。迫力がすごかった。ドラムをやりたいと思ったことはあるけど、うまくいかなくて。だからマジですごいと思います」


レイジ「ドラムは一番簡単だよ」


Aisho「それは絶対うそ」


レイジ「叩いたら音出るからさ。ギターとか音出すのが難しいじゃん」


Aisho「ピアノが一番簡単だと思います」


レイジ「ああ、どこにでもあるしね。ドラムはスタジオに行かないと練習できないし」


Aisho「どうやって練習してたんですか?」


レイジ「学校の音楽室のドラムセットでずっと練習してたかな」


Aisho「部活とかやってました?」


レイジ「やってた。とりあえずドラムを叩く時間が欲しかったから、軽音部や吹奏楽部とか音楽系の部活に全部入ってた。で、そのまま高校卒業してライヴハウスで一年間バイトして、19歳の時にメジャーデビュー」


Aisho「デビューした時、どうでしたか?」


レイジ「引き寄せの法則じゃないけど、自分でデビューするぞって決めた感じ。手当たり次第に音楽業界の人に電話しまくって話を詰めた。たまたま俺のアティチュードとタイミングがぴったり合ったって感じかな。だからよくわかんないままデビューした」


Aisho「初めて曲を出した時はどんな感じでした? 俺は曲を出すのがすごく怖くて。自分の中では自信あるけど、自分は最終的にグローバルに活動して行きたいんです。だけど、自分と他のアーティストを比べてみると、まだ自分はイケてない。あと、自分の音楽は日本人向けではないから、どう思われるかもわからない。人がどう思うとか見た目に関してもすごく気にしてしまうんですよ。だから、ものすごく怖いし不安です」

レイジ「俺はリリースの時も全く気にしてなかった。1人かバンドかでも違うと思う。4人組だからメンバーに頼れることもあるしね。俺らも日本人に受けるとか全く気にしないでやってたけど、なんか日本で売れるより世界で売れるほうが簡単な気がする。日本で売れるのって相当難しいと思うんだよね」


Aisho「そうなんですか? 日本の方が簡単なのかと思ってた」


レイジ「俺は日本の音楽も好きで日本で売れてる曲も大好きだからこそ、これはもう天才じゃないと作れないというか、こんな複雑でいい曲を作るのは本当にすごいなって思う。海外とかの方が10代のラッパーとかがバンって跳ねたり、SoundCloudからビリー・アイリッシュとかがヒットしたり、いいものは評価されるじゃん。例えば、ヒップホップやトラップって、ノリとキャラで聴いてて楽しけりゃいいってなる。でも、日本ってそうじゃなくて歌詞もメロディーも見た目もトラックも完璧じゃないとなかなか評価されない。そこに面白みの振り幅もあまりないっちゃない。日本のランキングってking gnu、ヒゲダン、あいみょん、米津、あとはLDHとかAKBとかで10種類以上いない。俺はそれを否定してるんじゃなくて、そういう人たちはそういう人たちで本当に努力してると思うし、ものすごく緻密に作り込まれたチームだったり、天才がいると思うんだけど、だからこそLil Pumpとかが売れてるアメリカの方が、もちろん簡単じゃないけど日本よりは簡単だと思うというか」


――日本語の歌詞の難しさもあるのかもしれないなと思います。先日日本のミュージシャンの方に、歌詞の一音の違いで生じる効果を聞いたのですが、そこまで一音が大きく影響するような言語での音楽ですから。


レイジ「うん、そういうのを含めて技術の天才だと思う。アーティストで、すごい曲を書ける人ももちろんいるんだけど、技巧派のアスリートというか、そういう訓練をひたすらしている人が日本では強いイメージはある」


Aisho「日本語、難しいですよね。日本語の言葉が足りなくて、日本語では絶対に曲を書けないです」




――AishoさんのYouTubeを見ていて、英語と日本語とでキャラクターがちょっと違うなって思いました。言語は人格や思考にも影響を与えますよね。


Aisho「そう、全く違うんですよね。それもあって最初、敬語が喋れなかったというのもあります」


レイジ「英語には敬語がそもそもないもんね」


Aisho「そうなんです。しかも、僕が働いてたカフェはシドニーの中でもスタッフが明るくて有名なカフェで、客に対してもヤッホーみたいな。そういう生活を送ってたから」


レイジ「日本もそうした方がいいのにね。なんでみんなあんなにストレス溜まってんだろう」


Aisho「本当に。日本に帰ってきて、その感じが嫌で『無理!』となって、帰国して3日目でシドニー行きの飛行機をとって、3ヶ月向こうでまた働いて学生ビザを取ろうとしてたんです。もう日本にはいれないと思っちゃってたんですけど、その後の1週間で日本でいろんな人たちとの出会いがあって、『日本にいれるかも』となって(笑)。でも荷物の配送も既に手配してたので、結局シドニーに行ったんです。シドニーは楽しいけど、最終的にシドニーで勉強したくないのに高い学生ビザを取って学校に通うか、日本に帰ってメイクの勉強をイチからするかで迷って、日本に帰りました」


――日本に帰った思った決め手は?


Aisho「ビザが本当に高いのと、人間関係ですね。向こうの生活は幸せなんですよ。最低賃金は日本の2倍で家賃も良心的。海もあるし、我慢することは全然なかったんです。だけど、ゲイが多くて、ゲイのコミュニティーにも入ってて、そこでの人間関係にいろんなトラウマがあるんです(笑)。俺もそうだけど、ゲイってみんな『自分が一番』って人が多くていじめがすごくて。友達はたくさんいたんですけど、フェイクな友達が多くて、最終的になんでも話せる友達は1、2人くらいしかいなかった。悪口とかばっかりでホントに揉め事が多かったです」


レイジ「それもあって日本に帰ってきたのか」


Aisho「ありますね。日本に帰ってきて、色々と実感しました。ゲイのコミュニティはわりと小さいというか、噂が回るのが秒なんです。その中で生活してると、自分のメンタルがおかしくなっちゃって。普段はあまり泣かないタチなんですけど、クラブ帰りに号泣したり。でも、その当時はあまりわかってなくて。東京帰ってきてから人って優しいんだと思って、びっくりしました。応援してくれる人がいるんだ、って。シドニーにはいなかったから。どこに行ってもレイシストっていて、その中でも特定の人種に差別する人もいるので、自分がアジア人だから友達を作るのが難しいのかなと思ったこともたくさんあります。見た目で判断されることも多くて、自分よりイケてたら嫉妬されるんですよ。自分はファッション好きだし、体も鍛えてて、見た目にすごく気を遣ってたんですけど、その見た目重視が重すぎたり。シドニーにいる友達で、そのことに気づいていない子もいるんですよね。それは違う環境を知らないからだと思うんです。自分も違う環境に行かなかったらわからなかった。こういうのって、抜けてからじゃないとわからない。今は応援してくれる優しい人たちがいてくれるんですけど、みんな何かやってる人ばっかりなんです。自分もそうなんですけど、自分が頑張っている人は、人が頑張っている姿を見るとマジで応援したくなるんですよね」





――Aishoさんは17歳でカミングアウトしたそうですが、きっかけはなんだったんですか?


Aisho「自分の中で耐えられない部分があって。親がキリスト教で、自分がゲイだとか何も知らない頃から『ゲイは地獄に落ちる』とずっと言われてて。自分がゲイと気づいたのは小6くらいで、誰にも言えないままだったんですけど、喋り方とかで周囲は気づいてたと思うんです。田舎だったから『ゲイ』って言葉はあまり浸透していなかったんですけど、『おかま』ってからかわれたこともあって辛かったです。人に言えないし、本当の自分になれないのがすごく苦しくて、1年以上ずっと熱が続きました。それで精神科にも行ったんですけど、カウンセリングで話してると、親のことが原因で毎回泣いてました。それである日、お姉ちゃんにメールしてカミングアウトしたんです。お姉ちゃんはすごくしっかり受け止めてくれて、そこから仲良い人にカミングアウトし出したら、みんな『知ってたよ?』みたいな(笑)。たまにめっちゃわざとらしく『そうなの!?』って反応する人もいたんですけど(笑)、ほとんどの人が気づいてて、でも親だけは気づいてなかった。それで、SNSでカミングアウトしたんです。親に知られたら殴られたりするのかなとも思ったんですけど、変に隠してしまうとなりたい自分になれないから、SNSで俺のことを知ってる人全員が知ればいいと思って。で、めっちゃスッキリしました。親には喧嘩した時に言ったんですが、反応は良くなくて号泣しましたね。それで家に居たくなくなって、ワーホリに行くことにしたんです。その時は自分のことをよく知らなかったし、ただ生きてる感じだったから、もっと自分のことを見たいなって」


レイジ「そういうことだったんだ。話を聞くと、歌やダンスに辿り着いてるのってここ1年くらいだよね。それ、すごいと思う。ツールとしての音楽という感じがする。自分のために、というか。そこまで辛い思いをして、音楽に辿り着いている人はあんまり居ないだろうしね。それがいいとか悪いとかじゃないけど、意味が変わってくるよね。乗り越えた人もそんなにいないと思うし」


Aisho「音楽は本当に大事です」


レイジ「Aishoの今までのキャリアとか聞いたうえで音楽を聴いたらすごく意味がありそうだし、歌詞の読み取り方とかもすごく変わりそう」


Aisho「でも、自分が書きたい歌詞がまだ書けていないんです。Conan Grayに自分の育ちがめっちゃ似てて、彼が出してる“The Story”って歌がまさに自分で。もう自分、Conanです(笑)。まだセックスとか恋愛の曲しか書けてないけど、そういう曲を最終的に書けたらいいなと思います。そういう曲を書くには本当に自分のすべてをさらけ出さないといけないから、ちょっと怖い。でも自分は頑張ったら伸びる人なので、これからもっと頑張って伸びて、多くの人に見せたいです。シドニーに行ってよかったんですよね。行ってなかったら、絶対こんな風になってなかった。名古屋から東京へ越しても、絶対こんな自分になれてなかったと思う」


レイジ「俺もNYレコーディングを失敗したんだけど、それを経て、自分が日本の東京という都市に生まれてそこからバンド活動してることのありがたみとかめっちゃ感じたし、東京レコーディングができてるのは超ヤベーと思った。結構それはデカかったんだよね」


Aisho「日本ってすごいですよね。でもこれって、出ないとわからないことですよね」


レイジ「だから、みんな海外に行ってみてほしい」


――最後に、今後の2人の予定は?


レイジ「俺らは今レコーディング中ですね」


Aisho「自分もデビューシングルを3月中に配信で出す予定です」


レイジ「おおっ、楽しみだね」


Aisho「何ヶ月か連続でリリースする予定で、今その4曲目を書いてます」


レイジ「はやく聴きてー!」


Aisho「はやく聴いて欲しいです!」



photography Yudai Kusano
text & edit Ryoko Kuwahara

Aisho Nakajima
22歳、東京在住のシンガー。シドニーでの生活を経て、そこで培ったメイクアップ技術を駆使し、YouTubeでパフォーマンスやメイク動画なども配信。
https://twitter.com/aishooo74
https://www.instagram.com/aisho.nakajima/
https://www.youtube.com/channel/UCpDq1DDAO9vSf2vbD0aAVJA


OKAMOTO’S
オカモトショウ(Vo)、オカモトコウキ(G)、ハマ・オカモト(B)、オカモトレイジ(Dr)。中学校からの同級生で結成された4人組ロックバンドOKAMOTO’S。2010年、日本人男子としては最年少の若さでアメリカ・テキサス州で開催された音楽フェス「SxSW2010」に出演。アメリカ七都市を廻るツアーや豪州ツアー、香港、台湾、ベトナムを廻ったアジアツアーなど、海外でのライヴも積極的に行っている。2019年1月には10周年イヤーの幕開けを飾るフルアルバム「BOY」をリリース。全国20か所21公演を廻る全国ツアー「OKAMOTO’S 10th ANNIVERSARY LIVE TOUR 2019 “BOY”」を行い、6月27日(木)のファイナルは初の日本武道館公演を敢行し大成功を収める。その後、初の中国ワンマンツアーを北京と上海で行い両会場ともSOLD OUT。2020年4月には、初のベストアルバム「10’S BEST」をリリースし、続く5月には、「90’S TOKYO BOYS in HALL “History”」と称し、東名阪にてホールTOURの開催が決定しているなど、10周年イヤーとしてますます加速を続け精力的に活動を続けている。

http://www.okamotos.net
https://twitter.com/OKAMOTOS_INFO
https://www.instagram.com/okamotos_official/

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