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香港のアイデンティティと自由を守るために声を上げる一人のアーティストを追った『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』



2014年に香港で起きた「雨傘運動」。警官隊の催涙弾に対抗して雨傘を持った若者たちが街を占拠したこの運動に、一人のスーパースターの姿があった。彼女の名前はデニス・ホー。同性愛を公表する香港のスター歌手である彼女は、この雨傘運動でキャリアの岐路に立たされていた。彼女は、中心街を占拠した学生たちを支持したことで逮捕され、中国のブラックリストに入ってしまう。次第にスポンサーが離れていき、公演を開催することが 出来なくなった彼女は、自らのキャリアを再構築しようと第二の故郷モントリオールへと向かうのであった。
スー・ウィリアムズ監督による長期密着取材によって浮かび上がるのは、香港ポップスのアイコンであった彼女が、香港市民のアイデンティティと自由を守るために声を上げる一人のアーティスト、そして民主活動家へと変貌していく様である。その物語は、歪な関係にある香港と中国、過去30年間の情勢を見事に反映している。
そして、2019年6月。香港で逃亡犯条例改正に反対するデモが起き、彼女は再び岐路に立たされた。数百万のデモ参加者が街頭に繰り出した時、彼女は催涙ガスと放水砲が飛び交う通りに立ち続け、デモ参加者を守ろうとする。そして、国連やアメリカ議会で香港の危機的状況について訴え、自由と民主主義を守ろうとする人々の姿を世界に発信していくのだった。
自由を求める香港の人々の声が、デニス・ホーという存在に重なり、その願いが一つの 歌となって響き渡る。映画の幕は閉じるが、香港の闘いはまだ終わっていない…。













『デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング』
6月シアター・イメージフォーラムにて公開決定
公式サイト:deniseho-movie2021.com
監督・脚本・制作:スー・ウィリアムズ
製作総指揮:ヘレン・シウ 共同製作:ジュディス・ヴェッキオーネ 共同制作:ヌシャ・ベイラン オリジナル音楽:チャールズ・ニューマン 編集:エマ・モリス 撮影:ジェリー・リシウス 字幕:西村美須寿 字幕監修:Miss D 協力:TOKYO FILMeX、市山尚三 資料監修:江口洋子 配給・宣伝:太秦
【2020/アメリカ/ドキュメンタリー/DCP/83 分】
©Aquarian Works, LLC
Twitter:@deniseho_movie


デニス・ホー(何韻詩)
1977年香港生まれ。シンガーソングライター。11才の時に家族とカナダへ移住。9才の時にコンサートで見たアニタ・ムイ(梅艷芳)に夢中になり、1996年に香港のテレビ局とレコード会社の歌唱コンテストに出場したことがきっかけで歌手の道へ。敬愛するアニタ・ムイへの弟子入りも叶い、1999 年にはアニタ・ムイのアルバムでデュエットしたりコンサートにも参加。2001年にEP(マキシシングル)デビューし、 自身のレーベル「Goomusic」を立ち上げ、数々の音楽賞を総ナメにして香港音楽シーンを賑わす存在に。2003年に敬愛するアニタ・ムイ が病死、2004年に彼女に捧げたアルバム「艷光四射」をリリースした。以後香港ポッブスの中核を担う歌手としてワールドワイドに音楽活動を続ける中、映画や舞台など女優としても活躍。2007年「何韻詩慈善基金」を設立、香港では数少ない社会運動に積極的に参加し主張するアーチストになる。2008年、社会問題をテーマにしたアルバム「Ten Days In The Madhouse」を出し、さらに積極的に社会運動に力を注ぐ。2010年にリリースした初の国語(中国語の標準語)アルバム「無名·詩」は台湾の有名アーチストとコラボし、広く中華圏で大ヒット。 コンサートなど中国での活動も増えていく。
2012年のLGBTパレードに参加したデニスは、舞台上で自ら同性愛者であることを表明。香港の女性芸能人で初のカミングアウトとなった。2014年、「逃亡犯条例」の改正に関する抗議デモから始まった雨傘運動を支持し、デモに参加し最前線で座り込みを続けたデニスは逮捕され、俳優のチャップマン・トー(杜汶澤)やアンソニー・ウォン(黃秋生)と共に中国から封殺、所属していたレコード会社からも契約を打ち切られる。しかし根強い人気を持つデニスは、インディーズ歌手としてチケット秒殺で4日間の香港コロシアムコンサートを成功させた。
そして2016年、デニスの雨傘運動支持に対し、コンサートのスポンサーであったフランスの化粧品メーカー「ランコム」が中止を発表する「ランコム事件」が起きる。このスポンサー撤退について、自社のマーケット保持のためランコムが中国当局の圧力に屈したと海外の主流メディアが報じた。2019年、返還22周年の香港で台湾と香港のアーティストがコラボレーションした曲「撐」が発表され、香港サイドではデニスと、彼女と共に社会運動を続けているアンソニー・ウォン(黄耀明)が歌っている。
5 年前から始めたデニスのPodcastではミュージシャンのエリック・コッ(葛民輝)や活動家のアグネス・チョウ(周庭)ほか多彩なゲストを招き、YouTubeでも映像配信されチャンネル登録者は12万人を超えている。


アニタ・ムイ(梅艷芳)
1963年生まれ。歌手、女優。香港ポップス界 &映画界を代表するスーパースターとして30枚を超えるアルバムと47本の映画を残し、2003年に亡くなった。貧しい家庭に生まれたため4才から遊園地などで歌を歌って家計を助け1982年、テレビ局とレコード会社が主催する歌唱コンテストで優勝、18才でデビュー。1983年に第12回東京音楽祭に出場、日本語曲「唇をうばう前に」で「アジア特別賞」と「TBS賞」を獲得した。低音を生かしたアニタの歌はヒットを多発、コンサートではその歌唱力に加えゴージャスかつ前衛的なパフォーマンスで観客を圧倒。若い女性のファッション・リーダーとしても憧れの存在となる。音楽での受賞は数知れず、人望も厚く、若手のサポートにも寄与し、 グラスホッパー(草蜢)、アンディ・ホイ(許志安)、デニス・ホー(何韻詩)ほかを育て 上げた。映画では、1988 年『ルージュ(原題:胭脂扣)』で香港電影金像奨最優秀主演女優賞・第24回金馬奨最優秀主演女優賞を獲得。『縁份』(1984、日本未公開/『君が好きだから』の邦題でDVDリリース)、『半生縁』(1997、日本未公開/東京国際映画祭 1997で上映)で香 港電影金像奨最優秀助演女優賞を受賞。
慈善活動にも積極的で、香港芸能人による慈善基金会の創設に尽力。災害地への寄付はもとより、特に子供の福祉に力を注ぎ中国の貧困地域に学校を建設した。2003年、子宮頸癌であることを公表し、治療を続けながら活動を継続、11月に香港コロシアムでコンサートを行った直後、12月30日に逝去。

アンソニー・ウォン(黄耀明)
1962年生まれ、歌手、音楽プロデューサー、俳優。1981年、香港のテレビ局TVBのタレント養成所に入所。卒業後、アシスタントディレクターやラジオのDJを務める。1985 年にミュージシャンのタッツ・ラウ(劉以達)とバンド「達明一派」を結成しボーカルを担当、これが歌手デビューとなった。1990年にバンドは解散、台湾の反骨シンガーソングライターロー・ターヨウ(羅大祐)のレーベルからアルバムデビュー。ソロシンガーとして活躍するも、折々「達明一派」を再結成してライブ活動を行う。1999年に仲間達と音楽製作&レーベル会社「人山人海音楽製作公司」を設立、自身の活動のほかat17やPixel Toyなどの新人バンドを育成した。2002年に同じレコード会社のレスリー・チャン(張國榮)とのコラボレーションマキシシングル「cross over」をリリース、イケメン男性アーチスト二人の競演は大きな話題を呼んだ。しかしレスリー・チャンはうつ病が深刻になり、この年4月に飛び降り自殺。
2013年4月のライブで同性愛者であることを公表、同じく同性愛者であることをカミン グアウトしたデニス・ホー(何韻詩)らと「Big Love Alliance(大愛同盟)」を結成し、同性愛者の平等な権利を訴える活動を積極的に行っている。また社会活動にも熱心で、香港の雨傘運動を支持した民主派芸能人ということで、中国から大陸での活動を封殺される。しかし社会運動の活動は続け、デモにも積極的に参加。台湾と香港のアーティストがコラボレーションした抗議デモを支持する歌「撐」(「チャン」という発音で「支える」とという意味)の香港サイドはデニス・ホーと歌っている。

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