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text by Daisuke Watanuki

「気づかれていない、理解されないでいる存在というのはこの国にたくさんいる。スクリーンでその姿を観ることが誰かの心を軽くすることや、救うことだってできる」 『世界は僕らに気づかない』飯塚花笑監督インタビュー




群馬県太田市に住む高校生の純悟は、フィリピンパブに勤めるフィリピン人の母親を持つ。父親のことは母親から何も聞かされておらず、ただ毎月養育費だけが振り込まれている。純悟には恋人の優助がいるが、パートナーシップを結ぶことを望まれても自分の生い立ちが引け目となり、なかなか決断に踏み込めない。そんなある日、母親のレイナが再婚したいと、恋人を家に連れて来て……。

1月13日から公開される『世界は僕らに気づかない』は、異なる文化を持った親子の物語。国籍、セクシュアリティ……さまざまな差異を今作でどう表現しようと思ったのか。監督・脚本の飯塚花笑に話を聞いた。


ーー今作は8年の構想期間を経て制作されたということですが、まずは8年前のことから伺いたいです。


飯塚「まだ大学を卒業して間もなかった頃です。上京して映画業界で働くために、地元の映画館でアルバイトをしていました。その頃に脚本を書き始めていたのが本作です。昨年『フタリノセカイ』という作品を劇場公開しましたが、それよりもずっと前から練っていたんです」


ーーテーマはどこから着想を得たのでしょうか。


飯塚「8年前はまだセクシュアルマイノリティに関する作品は少なかったですよね。僕は身近にゲイの友人が結構いたので、当初は彼らのことをモデルにして脚本を書き始めていました。だから最初はゲイの男の子が、母親に理解してもらえなくて苦しむという内容で考えていました。それから僕は映画業界に入り、10年近く時が流れるわけです。すると、その間にセクシュアルマイノリティに関係する作品は頻繁に出てくるようになっていた。であれば、当初の草案通りにゲイの苦しみを描く作品をわざわざつくる意味はないと思い至ったんです」








ーーたしかにこの数年はセクシュアルマイノリティを扱う作品が増えましたね。そのブームともいうべき現象についてはどう捉えていますか?


飯塚「全体感として思うのは、やはりまだセクシュアリティのこと自体が主題になっている作品が多いということ。セクシュアリティのことで悩むとか、 セクシュアルマイノリティであることが、障害となって生きづらいとか、そういう設定がまだたくさんあります。当事者のことを知ってもらう上ではそういう作品も必要な時期はありましたが、それらがずっと再生産され続ける現状をみると、しんどさもありますね。もうそんなにセクシュアルマイノリティのキャラクターを殺さないでくれよ、悩ませないでくれよと、いちトランスジェンダーの当事者として思います。
やはり物語は、誰かのロールモデルになりうることだと思うんですね。 今の10代〜20代前半の子たちや、若いセクシュアルマイノリティの子たちと話してると、『もう学校の中でも当たり前に受け入れられてるよ』とか、『全然悩んだことないよ』という子も普通にいる。そんな中で、マイノリティであることが悲劇的に描かれ続けることは果たしてどうなんだろうと思います。その点で言うと今回の作品ともつながってくるのですが、あくまでもセクシュアリティマイノリティであることはその人の背景のひとつでしかない描き方も必要だと思っています。そのことは脚本段階で意識しました」


ーーセクシュアルマイノリティを扱う作品が公開される際、制作陣やキャストが無理解のままつくられ、のちに「失言」をするケースも目立ちます。


飯塚「僕は自分がトランスジェンダーであることを公表した上で活動をしているので、『次にセクシュアルマイノリティの話を作りたいから、脚本を読んで意見をください』とか、『監修してほしい』という話をいただくことも多いんです。ただそれも、当事者を免罪符として置いておきたいだけにしか僕には聞こえないケースも多いです。本質的に制作陣たちがマイノリティを理解しようとしているのではなく、監修できる人を1人置くことで保険をかけておくようなつくりをされてしまっているのではないかと思ってしまうこともあります。
そうなると、実際に当事者がいる中でただエンターテインメントとして表面だけを拾われて、そこで消費されるというのは誰のための映画なんだろうと思うこともあります。だから僕に監修のオファーがあったときは、必ずご自身で最大限できる限り勉強してからお願いしてくださいという風にはお伝えしています。今作の制作の話でいえば、純悟を演じる堀家一希くんなどには指定した本を事前に読んできてもらうようにお願いしました」








ーー今作はセクシュアルマイノリティの要素を強調しすぎることなく、自然なアイデンティティの一部として描いているところが印象的でした。その代わりに、海外にルーツを持つ人たちが置かれる状況がしっかり描かれていました。


飯塚「もうひとつ自分の身近にあった関心のあるテーマとして「ルーツ」がありました。僕は出身が群馬県なのですが、工場が多い土地柄、ブラジルをはじめとする海外からの出稼ぎ労働者が多い県なんですよね。海外にルーツを持つミックスの友人も当たり前にいたのですが、僕自身、幼少期はあまり彼らの置かれた状況や複雑なバックグラウンドを理解していなかったんです。今思うと、実際に身近に学力をはじめいろいろな問題を抱えている子がいたと思います。でも当時、その子に対して何かをしてあげていたかというと、それはできていなかった。どちらかというと自分も冷ややかな目で見ていた部分があったと思います。そのことを思い返すと反省しかないのですが、まだまだ語られることの少ない彼らのことは、描く必要があると思いました」


ーーそれで主人公の純悟にフィリピンダブルの設定が加わったのですね。今作は映画の舞台も、制作を行ったのも今お話に出た群馬県でした。


飯塚「僕自身、映画業界の仕事はやはり東京でなければできないという思い込みがあり、東京で6、7年ほど映画制作を続けていました。でも育ちが田舎だったので東京はあまり肌に合わなかった。そこで思い切って1年間ぐらい試しに離れてみようと思ったんです。それがこの映画制作のタイミングと重なって、結果として群馬県に住みながら、根を張って制作することになりました。これはある意味、群馬にいながら映画の制作はできるのかという挑戦でもあったと思います。 自分の好きな場所にいながら、ちゃんと地に足をつけながら、心地よいストレスのない環境で制作に向き合っていくスタイルで映画がつくれたのは発見でもありました。
舞台である群馬県はさきほどお話した通り、外国人労働者が多く在住しています。そのため、一部の地域では多文化共生のまちづくりが進んでいます。人種やセクシュアリティの多様性への理解も進んでいて、パートナーシップ宣誓制度も導入されている。作品の舞台にはぴったりだと思いました」


ーーフィリピンパブや夜の仕事で働くフィリピンの女性たちは、大家族の生活をすべて自分の肩に乗せて日本に来ている事が多いですよね。彼女たちに取材はされたのでしょうか。


飯塚「パブの方々に話を伺いました。高崎は街のつくりが面白くて、いわゆる日本人が経営しているキャバクラがメインの通りにあり、その1本裏手の細い路地は全部フィリピンパブになっている。お金を持ってる人は日本人のキャバクラに行って、ちょっとお金がない方々は、安価なフィリピンパブに行くんです。実際にパブで働く方々には営業中に伺ってみたり、遠隔でヒアリングをさせていただいて話を聞いたりしました」










ーー偽装結婚や安い月給のことなど、フィリピンパブ嬢の知られざる実態は本作でも描かれていますね。取材をしてみて、日本とフィリピンの文化の違いはどう感じましたか?


飯塚「人との距離感が違うというのはとても感じました。協力し合うのが当たり前、助け合うのが当たり前という精神が強いんです。タガログ語の「ウータン・ナ・ロオブ」という言葉が劇中に出てくるんですけど、それは日本語の義理や恩義に近い言葉です。家族から受けた恩を忘れず、それを自分も何らかの形で還元することを意味します。だからこそ、日本で暮らすフィリピンの方はたいていみんな自分の国に送金しているんですよね。自分は節約してでも、家族に多くのお金を送る。いわゆる送金地獄です。なんでそれができるのかを聞くと、自分の姉や親戚の方々も出稼ぎで働いて養ってくれたから次は自分の番で、それは当たり前だと言うんです。そういう精神は日本では失われつつあることだと感じました」


ーー主人公の母レイナもそういう女性でしたね。一方で主人公の純悟は、フィリピンダブルのゲイという役柄です。これには人種や性的嗜好など、個人のアイデンティティが複雑に交差する「インターセクショナリティ」の視点を意識してのことでしょうか。


飯塚「この設定に『複雑すぎる』という意見もいただいたのですが、そんなことはないんですよね。だって複雑もなにも、実際にこういう人はいるんですから。僕は今までに描かれてない人物像を描くことを映画づくりにおいて大事にしています。今の日本の映画業界がいまだにステレオタイプなセクシュアルマイノリティ表象をしている中ではなおさらです。それらとは違った人物像と、違った物語の結末、展開は用意すべきだと思っています。
僕自身もトランスジェンダーで悩んでいた思春期の頃は、スクリーンの中に自分のような人物がいてほしかった。海外の作品なら自分に近しい役がいる映画はありましたが、日本の映画の中はいなかった。もしいたら、誰かの心を軽くすることや、救うことだってできるのに。今回この設定になったのは、インターセクショナリティへの意識というわけではなく、この現実世界で、複雑な設定と呼ばれるシチュエーションで生きてる人たちはいるよ、ということをただはっきり示したかったからです」








ーー改めて『世界は僕らに気づかない』というタイトルに込めた意味を教えてください。


飯塚「世間を俯瞰しているこのタイトルは、8年前に映画の構想をした時にすでにつけていたものです。8年前に考えた時は、まだゲイの存在は今ほど可視化されていませんでした。これだけ日常の中にゲイがいるけど、気づかれない。それが8年経ち、もっと気づかれない存在として、フィリピンダブルでゲイの男の子と、母親の物語になった。タイトルの響きが変わったことは偶発的でしたが、このようにまだまだ気づかれていない、理解されないでいる存在というのはこの国にたくさんいる。その気づきのきっかけになれば幸いです」


text Daisuke Watanuki(TW / IG


『世界は僕らに気づかない』
2023年1月13日(金)より新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマほか全国公開
脚本・監督:飯塚花笑
出演:堀家一希 ガウ
製作:レプロエンタテインメント
配給:Atemo
公式HP:https://sekaboku.lespros.co.jp
公式Twitter:https://mobile.twitter.com/sekaboku_movie
(C)「世界は僕らに気づかない」製作委員会
2022/日本/カラー/シネマスコープ/5.1ch/112分/PG-12


《STORY》
群⾺県太⽥市に住む⾼校⽣の純悟(堀家⼀希)は、フィリピンパブに勤めるフィリピン⼈の⺟親レイナ (ガウ)と⼀緒に暮らしている。⽗親のことは⺟親から何も聞かされておらず、ただ毎⽉振り込まれる 養育費だけが⽗親との繋がりとなっていた。 純悟には恋⼈の優助(篠原雅史)がいるが、優助からパートナーシップを結ぶことを望まれても、⾃分 の⽣い⽴ちが引け⽬となり、なかなか決断に踏み込めず、⼀⼈苛⽴ちを抱えていた。 そんなある⽇、レイナが再婚したいと、恋⼈を家に連れて来る。⾒知らぬ男と⼀緒に暮らすことを嫌がった純悟は、実の⽗親を探すことにするのだが…。

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