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「自分ひとりの部屋」がないメイヴ/ UMMMI.

Sex Education Season 1


セックス・エデュケーションにおける中心人物であり、アタシが心酔している大好きな!メイヴ・ワイリーには自分ひとりの部屋がない。出て行ったと思ったら戻ったりする兄と一緒に暮らすトレイラーハウスには、急に母が義妹を連れてやってきたり、扉を叩かれ大家に家賃を催促されたりするため、彼女だけのスペースは存在しない。セックス・エデュケーションに登場するメイヴ以外のティーンのみんなは、規模は違えど自分の部屋を持っている。10代半ばのティーンたちは、そこで夢精を経験したりマスターベーションを覚えたり、デートしている相手とセックスをしたりする。でも、十代の子がひとりで密かに性を覚えていく自分ひとりの部屋がメイヴ・ワイリーには存在しないのだ。それを反映しているかのように、あらゆるティーンたちが性の悩みを抱えている中、性の悩みなんてないかのようにメイヴはいたるところでセックスをする。学校のスター的存在であるジャクソンと、例えば学校の教室で、例えば彼の車のなかで。自分ひとりの部屋が存在しない女にとって、人生にはまるでセックスよりも大きな悩みばかりが溢れているということを象徴するかのように。



最初はセックスだけの関係だったはずが、ジャクソンは次第にメイヴに惹かれていく。「僕たちは最高のセックスをしているのに、なんで彼女にこんなに素っ気なくされるのかわからない」メイヴは、学校の人気者であるジャクソンとトレイラーハウスに住んでいるアタシなんて釣り合うはずがないとは思い、自分の殻を破ろうとはせず、頑なにセックスだけの関係を守ろうとする。そこでメイヴと一緒にセックスクリニックをしているオーティスは、会話の流れでジャクソンにメイヴの趣味を教えてしまう。「彼女を物やイメージとして扱うのではなく、もっと彼女自身の興味を知ろうとするべきだよ。例えばメイヴが好きなのは、ヴァージニア・ウルフとか、ロクサーヌ・ゲイとか、シルヴィア・プラスとか…」そしてオーティスの言葉を間に受けた学校のスター的存在である水泳部のジャクソンは、メイヴに少しでも近づくため手に取ったヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」を読みはじめる。





ヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」にはこう書いてある。「女性が小説を書こうと思うなら、生活に十分なお金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」メイヴがセックスクリニックをオーティスと始めた大きなきっかけは、何よりも彼女の住んでいるトレイラーハウスの家賃を払うためだった。アタシたちは、生活のための金と部屋が必要なのである。そしてメイヴは「自分ひとりの部屋」を読む、文化やフェミニズムに理解のある(ように見える)ジャクソンに次第に惹かれ、ついに恋人同士となる。



彼らが恋人同士となったあと、ジャクソンは家族との悩みを抱えて家を飛び出し、しばらくメイヴの住むトレイラーハウスへと転がり込む。メイヴはここでもまた「自分ひとりの部屋」を失い、未来への不安や金の心配を抱えながらジャクソンの腕のなかで眠ることになるのだ。




メイヴのベッドの側に置かれている本



メイヴ・ワイリーは、よく学びよく読み努力する女である。知性を備えることが、彼女の生まれ育ったクソみたいな境遇から救ってくれると信じている。でも、もちろん物事はそんな簡単にはいかない。生まれたときから人生の8割は決定づけられていることを表すかのように、彼女はいつも学校から悪ガキ扱いをされてしまう。(アタシを含め)クソみたいな境遇で育ったひとは、クソみたいな扱いを受けながら生き続けていかなければいけないことが大半なのだ。(もちろん、いつまでたっても境遇のせいにしても仕方ないんだけど、でもこれ以外なんて言えばいいんだろう。だって、傷ついた過去があるということは事実なのだから。)



学校で「十年後の自分」のエッセイの発表できず叱られたメイヴは、先生を見つけたときに駆け寄り、本当はエッセイを書いていたけどみんなの前で読むとは知らず発表することができなかった、という前置きをして自分のエッセイの冒頭を読みはじめる。





他の生徒が書いていたような「将来こうしたい」という像ではなく、多くのティーンたちが生まれたときから手にしていること、大きな窓のあり、4つの椅子が置けるくらい大きなキッチンテーブルが置ける家が欲しい、ということが書かれたエッセイを読みはじめる。「でもあんまり広すぎないほうがいい、孤独を感じなくて済むから」これは、自分ひとりの部屋を持たないメイヴなりの、ヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」に対する回答なのかもしれない。



自分ひとりの部屋を持たないものとして育ってきたアタシたちは、過去を引き受けてこれからの人生を生きていかなければいけない。多くの過去の文化人たちはあまり金の話をしてこなかったが(そして遡れば遡るほど、金のことを考えなくていいブルジョワジーたちが文化人としてもてはやされてきたという歴史が浮き彫りになるが)ヴァージニア・ウルフは「自分ひとりの部屋」で、金の話をちゃんとするのだ。メイヴがセックスクリニックをすることでなんとか金を手にしようとしているように、女たち(そして女だけでなくあらゆる人々が生きるため)には、金と自分ひとりの部屋が必要なのだということを。



セックス・エデュケーションの中で最も大好きなシーン、シーズン1のエピソード7は、ティーンの頃から金稼ぎを考えることを余儀なくされた、クソみたいな人生を生きてこなければいけなかったひとの混乱した人生が、まさしく描写されている苦しくも美しいエピソードである。





ジャクソンに急に誘われた学校のダンスイベントで着ていくドレスがないメイヴを見かねた(突然戻ってきた迷惑な)兄が、周りのひとに助けを求めるシーンである。洋服屋さんで買うことのできない高価なドレスを兄に勧められて試着をしているメイヴの側で、彼は店内の客たちにこう言う。「僕たちは最近、両親を亡くしてしまいました。父は国のために死に、母はまるで後を追うように癌で死にました。僕の妹は今日、はじめて学校のダンスイベントに行くのですが、僕たちにはそれを買うお金がないのです。」これはまったくの嘘で、彼らの両親は健全である。母はヤク中で、父はそれを見かねて離れていっていっただけで、彼らの親は生きているのである。メイヴは手にしたドレスを抱えながら兄につめよる。「孤児なんて嘘ついて!」そして兄は答える。「母はジャンキーで、父はどこかに行っちまったって正直に言えばいいのかよ!誰にも相手にされないぞ!」

クソみたいな(側にいたりいなかったりする)両親に(助けを求められたりうんざりしながら)生きるというのは、つまり親が健在であるというのは、悲しみである場合もある。愛されて育ってきたひとには理解できないかもしれない。映画のなかで、お母さんがトレイラーハウスに戻ってきてよかったね、と近所に住む大家さんに言及されるシーンもある通り、社会が困った若者に手を差し伸べるときはだいたい「わかりやすい哀れみ」がセットになっている。でも世の中にはそういったわかりやすい哀れみからはみ出て育ってこなければいけなかった子供たちがいる、ということも忘れてはいけない。(親が働いていないひと、刑務所にいるひと、水商売をしているため明確な収入証明がないひと - などの子供たちは、それらの哀れみや、社会一般の助成すら受けることができないのだ。生まれたときから悪者として仕方なく生きなければいけなかったひとたちが存在する。メイヴの兄がドラッグを売って生計を立てているのは、それをやりたかったからではない。それしか、とりあえずはそれしか、生き延びるための手段がなかったからなのだ。シンプルに見えて、人生はそんなにわかりやすくできてはいない。様々なレイヤーと状況がある。生まれたときから、社会のレールを外れるしか生きてこれなかった人たちの人生が、この世には存在するのだ。)



セックス・エデュケーションでは、社会のレールを外れるしか術はないように見える環境で生まれたメイヴが、知性と優しさと愛を持ってして、なんとかこの社会に抗って生きてゆくという物語でもある。もちろん、ひとりで生きてゆくには、この世界はしんどすぎる。でも例えば彼女には、ヴァージニア・ウルフがいて、ロクサーヌ・ゲイがいて、シルヴィア・プラスがいるように、あらゆる知識を自分で選別して勉強することで、先人たちを味方につけて、なんとか日々を過ごしているのだ。そしてティーンエイジャーながらに、なんとか自分で金を稼いで生きてゆこうとしている。セックス・エデュケーションは、性の多様性を語ると同時に「女性も、生活に十分なお金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」というヴァージニア・ウルフの思想を色濃く引き継いだ、2019年と2020年を代表する、この世を生きてゆく指南ともなる最高の!ドラマシリーズなのである。


Netflixオリジナルシリーズ『セックス・エデュケーション』
独占配信中

UMMMI.
映像作家/アーティスト
http://www.ummmi.net/
Instagram : @_____81

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