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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#29 インナーチャイルド

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私は、子供時代の自分の気配が強くなってくると、彼と一緒に思い出の場所を並んで歩き始めた。彼は小学生の低学年の様子で、私の横を黙って歩いていた。かつて空き地だった場所は住宅地になっていたり、かつて広大な畑や牧草地、森だった場所には、新しい駅や、イオンができていた。その様子への驚きを彼に話しかけたり、思い出の場所がそのままだったりすると、懐かしさを語りかけたりした。要するに、私は幼かった頃の自分を、まるで自分の息子のように感じながら、普通の会話をしていたに過ぎなかった。
普通の会話ができる時間というのは豊かな時間だ。そこに幸せを感じるのは、後年それを失った時なのだが、私はいわば後年からタイムマシンに乗って子供時代やって来たようなもので、普通の時間が流れていることの幸福を味わいながら歩けるのだった。
私の横を一緒に歩く小学生だった頃の自分は、常に聞き役で、彼が話すことはなかった。私は他愛もないことをぽつりぽつりと話しかけながら、そういった時間が確実に彼を影の場所から連れ出していることを感じていた。長男だった私は、年よりも早く成長することを強いられていたのだと思う。ひとつ下の妹の面倒をみたりすることを当たり前だとされ、それを別に苦だと思ったことはない。だが、妹に比べ確実に親に甘えられる時期が少なかったと思う。つまり、甘えることを十分に許されずに私は成長したのだ。現在の私は、子供を育てている立場から、子供には十分に甘えられる時間が必要だと実感している。抱きしめたもらいたい時には、ただ抱きしめてくれる腕と胸がどんなに必要なのかを私は日々感じている。それは単純に年齢で割れずに個人差があることも。もう、X歳なのだから、これぐらい出来なければいけない、と教えることは、あまり意味のあることではない。X歳というのは、あくまで目安の基準で、絶対ではない。子供にはそれぞれに合った成長のペースがある。規格通りに合う人間を生産するのが教育ではないことは、きっと多くの人が理解を寄せるのに、愛情と自由に満ちた子供を育てることは、とても難しい。それに対しての理由はいろいろあるだろうが、そのひとつとして、成長する過程で、私たちがそれを当たり前に与えられなかったからだと言える。いわば負の連鎖をどこかで断ち切ることが必要なのだ。そしてそれは、きっと今なのだろう。そのためには、まず私たちのインナーチャイルドを癒してあげるのがその手ほどきにもなると思う。

優しく側にいる、大きくて気持ちのいい存在。子供が親に望むのはきっとこういうことだ。


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