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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#48 怒りから遠く

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 ベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン師は著作の中でこう言っている。「怒りとは人生を破壊する炎です。炎を消すためには水が必要です。しかし、いったん怒りの炎が暴れだしてから消化対策を考えたり、水を探しに行くようでは手遅れです、怒りは思わぬ、ささいなことで点火されるので、日頃から心の井戸に水を溜めておくことが賢明です。」(「怒り」より)


 私は怒っている時の自分が好きではない。おそらくほとんどの人が怒っている時の自分自身を好きではないのと同様にだ。だが、いつまでたっても怒ることを繰り返してしまう。子供も怒る。老人も怒る。生徒も怒り、教師も怒る。つまり、どうやら人間というのは、怒りの感情を捨てきれずに育ち、手放せないままその生涯を終えることが多いようだ。
 これは切ない。一生かかっても人生を破壊する炎である「怒り」を克服できないなんて。


 ティク・ナット・ハン師はさらに続けてこう言う。「その水は、1日を気づきをもって過ごすことで自然と溜まっていきます。あなたの気づきに満ちた安らかな呼吸とやさしく軽やかな歩みが、水としてひとしずくずつ井戸に溜まっていきます。安らぎ、思いやり、喜び、理解力、愛が、炎を消すことができる水そのものなのです。」(「怒り」より)


 もうすでに誰もが知っているように、怒った後は心身ともにどっと疲れる。目は吊りあがり、脈拍は上がり、視野が極端に狭くなる。もし、怒りの絶頂の時に、鏡で自分を見つめたら、そこにいる醜い人間に愕然とするだろう。どんなに冷静に対応しているつもりでも、怒っている人というのは、外にも内にも悪いエネルギーを与えている。
 怒ったあとでは、直後ではなくても必ずといっていいほど後悔することになる。2年前の喧嘩を思い出し、あの時は分からなかった自分の非に気づいて、胸奥で赤面することもあるだろう。穏やかな人を見ると、自分もああなりたいと願うのだが、心の穏やかな人でも怒りと無縁の人はいないだろう。怒りっぽい人は、せめて頻度を下げたいと願うかもしれない。いつもいつも怒っている自分にいい加減に愛想がつきているのだが、どうしても怒ることを止められず、怒ったあとで、またやってしまったとがっかりするのだ。


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