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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.3 美術と建築 後編 ゲスト:光嶋裕介 

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天野「それはまさにブリコラージュ的で、今まではめて来なかったものをはめることですよね。おっしゃったように美術館と学校は絶対ありやとし、そういう風な組み合わせとかは大事やと思います。

ちょっと話は変わりますが、僕が美術館として惹かれるのはね、二子玉川にある静嘉堂文庫美術館とかなんです。二子玉川を見下ろすようなすごいいいロケーションにあるんですよ。三菱の創始者(岩﨑彌之助〈1851~1908 彌太郎の弟、三菱第二代社長〉と岩﨑小彌太〈1879~1945 三菱第四代社長〉の父子二代によって設立され、国宝7点、重要文化財83点を含む、およそ20万冊の古典籍〈漢籍12万冊・和書8万冊〉と6,500点の東洋古美術品を収蔵)のコレクションで、国宝もてんこ盛りにあるけど、建物が大仰でもなくて何となく森みたいなところに静かに佇んでいて、確か春と秋にしか見せない。神戸の白鶴美術館みたいな感じです。僕は美術館では、大仰な建築でどやっていうより、そういう方が好きやってんなと思うんですよ。それでね、光嶋さんがプロセスや文脈を重視することをわかったうえであえて聞きますが、美術館を作るとしたらどういう建物を造りますか?」

光嶋「例えば、僕はコンスタンティン・ブランクーシ(彫刻家)が好きだから、ブランクーシとイサム・ノグチ(彫刻家/ブランクーシの弟子)という師弟を対話させるような空間を作ってみたいとか、具体的なものはいくらでも考えられます。ただ建築は動かない。その動かない場所が重要なんです。つまりは敷地に立っていろんな制約の中で建物の断片を見つけて設計していきたいので、実はどんな美術館を建てたいかいうのはその場所がないと具体的な想像まで落ちないです」

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