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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#61 所作 

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 前述したように、所作と聞くと、堅苦しくて、逆に肩が凝ってしまいそうに思われるが、それも最初だけで、慣れれば長い年月によって整えられてきた所作というものが、実は効率的で快適さをもたらすことに気づくと思う。
 禅の修行僧である雲水は、厳しい修行をまずは100日続けることから始める。始めは決められた作法の一つ一つが辛いものではあるが、それに慣れ板についてくることには、無駄を省いた動作が所作となって身につくのである。
 例えば、箸はどうとでも持てはする。だが、いわゆる正統的な持ち方を用いることが、最も機能的で効率的であることに気づくはずである。長い年月をかけて良しとされ、伝統となっているものには、理由がある。
 所作は、自身の体の効率だけを求めているわけではない。例えば挨拶においては、「語先後礼」という言葉がある。まず相手をしっかりと見て挨拶の言葉を述べ、次に礼をするということだ。この二つを同時にやる人が多いと思うが、これを区切ってやるだけで、相手への伝わり方に、真摯さが加わるはずだ。つまり、相手を思いやることが、所作には含まれている。むしろ大方の所作の美しさは、相手への思いやり、気配りのためであると言ってもいいだろう。
 所作の整っている人の醸し出す美しさは、そこにいる人々を和ませ、また背筋をのばしてくれるのだ。利他の思いやりである。
 所作の美しさを身につけている人は、TPOを選ばずに、常に安定して落ち着いている。心乱れることなく、すっと自然にその場所に佇んでいられるので、人として信頼される存在になる。
 

 では、日常で所作を磨くにはどんなことに気をつけたらいいだろう?
 大方の人は、仕事や家事に追われる慌ただしい毎日を過ごしていると思うが、そういった日常に無理なく収まっていける所作でなくては、額縁の中の絵と同じで、憧れでしかなくなってしまう。
 何はともあれ、背筋を立て、姿勢を整えることである。とは言うものの、これが実は一番難しいかもしれない。シンプルなことは大概そうであるように。
 姿勢というと背骨や背筋を意識しがちだが、内臓にゆったりしてもらう、というように、内臓を押し潰さずに身を起こし、十分なゆとりを与えるイメージの方が、堅苦しくないかもしれない。同時に、顔や腕など外側の目立つ部分ばかりに気をとられている意識を、内側の臓器に向けることで、新たな気づきが生まれる期待も持てる。いったいどれだけの人々が、自分の内臓に意識を向ける時間を持っているだろうか?
 内臓にゆったりしてもらったら、次は肺を広げてあげることだ。姿勢が悪いとこの部分も縮こまっていて呼吸が浅くなる。背骨や背中などの裏ではなく、内臓や肺などの表へと意識を向けて姿勢を正すのは一つのやり方になると思う。この場合の裏とか表は、あくまでイメージとしてである。


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