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text by Ryoko Kuwahara

Fantastic Fest Issue/日本未公開映画特集 :『KNIVES AND SKIN』Director Jennifer Reeder



テキサス・オースティンで開催される映画祭Fantastic Festは、大作やシリアスなムードのものよりもちょっと笑えてしまようなスプラッターやジャンルムービーに焦点を当てているのが特徴。場所柄もあり、VHSやレコードなどノスタルジックな素材や作り方にこだわった作品も多くラインナップされている。そのFantastic Fest2019年度のリストから、NeoLが気になる作品を紹介する。6本目は一人の女生徒の失踪を軸に、小さな町の高校生たちの閉塞的な空間での悩みや実情を描いた『KNIVES AND SKIN』。
自身も小さな町でゴシックやパンクが好きな”変わった”少女として、大人たちから理解を得られない生活を送ってきた監督ジェニファー・リーダーが、自分の十代の頃と向き合い、そしてそこで自分や友人たちに起こった出来事を思い返しながら作ったという本作。みんなが知人であり、その家や家庭環境、生活レベルまでを知っている小さな学校ならではの息がつまる人間関係、そこにハイティーンになり性が絡み出した時の捻れや奇妙な力関係の描き方は実にリアルだ。同時に失踪した少女の持ち物は光を放ち、彼女が男性につけた傷は消えないという非現実的な描写も意識的に組み込まれ、独特の世界観を生み出している。Yeah Yeah YeahsのNick Zinnerが手がけた劇中の音楽、そしてピンクや紫といった毒々しいカラーリングに包まれた本作には、”シスターフッドを大切に”という切実なメッセージが散りばめられており、そのメッセージは鑑賞後の我々の中に種として残り続ける。(→ in English



ーーこのような素晴らしい作品を拝見できて嬉しいです。ありがとうございます。


Jennifer: 映画監督はこういう映画祭のおかげで生きていられるようなものです。2年前の2017年、『Signature move』(Amazonで視聴可)という作品でまさにこの会場に来ました。『knives and skin』とは全く異なる作品ですが、2年間で2つの長編を制作できたことは自分にとってとても意義深いことです。近年女性が取り組んでいること、成し遂げたことの証の一つとなるかもしれません。それを自慢したいわけではありませんが、これは私が魂をこめて作った作品であることは間違いありません。沢山の「人」や「金」が関わってくると、クリエイティヴィティが脅かされてしまうことがあります。シカゴの制作チームとキャストチームと一緒に働け他のは本当にラッキーでした。そのような環境のおかげで、私は本腰を入れて作業できたし、仕事も無事に終えられ、自分のクリエイティヴな視点を支持してくれる人々との絆も生まれました。だからこの、自分の少女時代へのラブレターのような作品を本当に心のままに作ることができたんです。


―――あなたは常に様々な形でインスピレーションを受けているようですが、この作品で描かれている友情や人間関係などで、あなたの実際の人生でも起こったようなことはありますか?

Jennifer Reeder : 私はこの映画を「女性の友情は生きるために必要不可欠」という考えのもとに作られたフェミニスト映画としてプロモートしたいと思います。映画内にある、女子高生が教師に口説かれるという出来事は実際に私が高校生の頃に起こったんです。だから大人になって、この出来事を、大人の女性にとってどういう意味を持つのかを考えるために映画内に取り入れたいと考えていました。この男性のモチベーションについて、また私や他の多くの友人たちに起こった出来事を10代の自分に戻って理解したかった。私の人生を反映した映画を作りたかったんです。私は、比較的に田舎であるオハイオで育ちました。ゴシックでパンクな女の子だったので周りから浮いていたと思います。私は田舎で生きにくくしている女の子たちの話を描きたかった。彼女たちはただ自分の人生を生きたいだけなのに、そういう場所では大人たちはことごとくその成長の邪魔をするものなんですよ。


―――先ほどキャスティングについて少し述べられていましたが、どうしてシカゴで撮影したのかもう少し詳しく教えてください。


Jennifer Reeder : 実は、このプロジェクトの初期段階ではケンタッキーかオハイオで撮影しようと考えていたんです。当時はプロデューサーも入れ替わりしていました。そんな時、『Signature move』をプロデュースしてくれたシカゴが拠点のプロデューサーたちが「もし、シカゴで撮影するなら喜んで手伝うよ」と言ってくれました。だけど、私は「ダメだ、この作品は都会が舞台じゃない」と思っていたんですね。Coryのすべてのシーンと明らかに都会ではない郊外のシーンは、ラモントというシカゴからおよそ30マイルほど南にある町で撮りました。シカゴは、都会じゃない郊外を撮るためにわざわざ遠くまで出かける必要がないところなんです。アメリカのどこにでもあるような場所だから。この映画はNYのような場所ではないところで作られた映画です。キャストとクルー全員がシカゴ出身で、ロケ地もシカゴかその周辺の地域にしました。そういう場所で作って、そういう地域のものを守り続けることが大切であると思ったんです。





―――Nick Zinnerについて。なぜ、彼に音楽を依頼したのですか?


Jennifer Reeder : Nick Zinnerは、Yeah Yeah Yeahsというロックバンドのリードギタリストで、彼がこの作品に楽曲を提供してくれました。昔NYでバンドをやっていて、いまはLAで撮影監督をやっている共通の友人いて、彼を通してNickに出会いました。2年前の短編映画でも彼に楽曲提供をしてもらったんです。
私は『Knives and Skin』に手応えを感じて、脚本を撮影監督や他のスタッフに見せるよりも前に、Nickに台本と共に「この脚本の曲を作りたい?」というメッセージを送ったんです。ニックからの返信は2週間もこなかったのでがっかりしていたのですが、その2週間後に彼から「ごめん! もう返信したと思ってた。この作品の楽曲提供をぜひやりたい!」と返信がきました。それから、Yeah Yeah Yeahs のツアーが始まる寸前に曲作りをしました。脚本の内容と私がどんな音楽をこの作品に取り入れたいかという会話だけをもとにして、彼は22曲もレコーディングしてくれました。たったいくつかのアイデアだけでこんなに曲を作れる彼は素晴らしいですよね。作品は音楽に包まれているんです。特に私の作品において音楽は重要です。私は歌うことはできませんが、ミュージシャンを深く尊敬しています。音楽は私にとっての宗教のような存在なんですよ。
私たちは試行錯誤しながら作業しましたが、キャロラインのテーマができてからはスムースでした。私は今新しい脚本を書いている最中なんですが、彼に「今書いてる脚本を送ってもいい? また曲を作ってくれるか考えて欲しい」と頼んだら、「もちろん、送って!」って感じで返事が来ました。こんな感じで、風変わりでゴシックなキッズたちは仲良くなりやすくて、一緒になんでも実現させてしまうんです。


―――音楽と色についての質問です。作品内では、観客の感情移入のためにこれら二つを組み合わせたのでしょうか?


Jennifer Reeder : その通りです。実は、私は映画監督の前はバレエダンサーだったんです。だから、すごく小さい時から、どのようにして音楽が物語とバレエを伝えることができるのかを理解していました。くるみ割り人形、ジゼル、白鳥の湖、それら全てのストーリーには深いドラマや哀愁が満ちていますよね。だから、音楽を自分の作品にも取り入れようと思ったんです。そして色もね。
色については、プロダクションよりも先に撮影監督や照明技師とたくさん話し合って「この作品を女性の色でいっぱいにしたい」と伝えました。ピンクや紫のような色を使って、女性を打ち出したかった。彼らは、「いいね!」って感じで協力してくれました。初日に照明技師が美しいライトを持ってきて、現場の奥の方で床を行ったり来たりするようにライトを吊るして揺らしていたんです。彼が「これでは奇妙すぎる?」と言ったので、私は「変かどうかなんて気にしないで。その奇妙さに身を委ねて」と答えました。この映画を理解できないと退席する人もいるかもしれないし、また逆に理解してくれる人もいるでしょう。でも兎にも角にも、こうして音楽も色も深く浸透させたシネマというアートを作ったんです。



―――血が輝くシーンについても詳しく教えてください。


Jennifer Reeder : 私は、死んだ少女が脚本の筋の大きな部分を占めるフェミニスト映画を作りたかったんです。ここファンタスティックフェスティバルにいる私たちは、みんなジャンルムービーが好きですよね。でも、「死んだ少女たち」というのは多くのジャンルムービーにおいて問題のある比喩表現になっています。だから、私は意志や行動する力、オーラを持っている死んだ少が登場する映画を作りたかった。
Carolynがある男の子の頭に“C”というイニシャルを刻んだら、真っ赤な血が滲む“C”の文字によって、彼女が「私は生きている」というメッセージを発しているように見えます。のちに、私たちはCarolynの死を知ることになりますが、彼の頭についたCの傷は治らないのです。彼には彼女の死に対する責任はないけれど、作品を通してCarolyn Harperに意志と力があることを示したかったんです。彼女の血が流れる時、彼女のメガネも光るようにしました。メガネの輝きは、タイガーシャツの話と関係しています。私は宗教的な人間ではないけど、形而上学を信じています。私たちはみんなお気に入りのシャツや靴を持っているでしょう。あなたが寝ている間も、そのアイテムたちはあなたに良い影響を与えているはずです。眠りから目覚めた時に、「とても気分がいい。なんでだろう」と感じるとしたら、自分の周りのお気に入りの物が自分の精神に影響を与えているからなのです。逆もまた同様にね。私たちは亡くなった人の持ち物を保管する習慣がありますが、そういった持ち物はまるでその人の一部のように感じるでしょう。そういう風に、私たちの周りにある特に輝いているものにはエネルギーや敬意や誇りが込められているはずです。





―――キャストの若い10代の女性たちとはどのようにしてこの共同作業を行なっていったのでしょう。

Jennifer Reeder : Vimeoに若い女性が経験するような出来事を描いた短編をたくさん公開しているのですが、そこにも今回の作品に繋がっていくようなものがありますよ。私は2014年に『Million Miles Away』というショートフィルムを撮りました。そこには実際のティーンエイジャーである役者23人が出演しています。でも、今回の作品内の女性たちの実年齢は18歳から24歳です。この作品の前には14歳の俳優に14歳の役をやらせるというようなスタイルが好きだったのですが、14歳の子供は8時間しか働けないので長編映画での起用は難しかったのです。
で、話を戻すと「この女の子たちと共にどのようにして映画を作ったのですか」という質問って、「40匹のウルヴァリンと一緒にくだらない映画を作るのはどういう感じ?」と訊かれてるようなものですよね(笑)。その答えとしては「すっごくクールな体験だった」です。撮影の間はそれはうるさいんです。撮影中は落ち着いているけど、撮影と撮影の間の時間は大声で喋っているから。でもそれが可愛いんですよ。
作品の最後の場面はフットボールの試合で、私たちは二つのパートに分けて撮影しました。まず、私たちスタッフ全員でフットボールスタジアムに出向いての撮影。完全に空っぽのスタジアムにキャスト全員が来て、音声の確認をしたんです。その後に実際のフットボールの試合を撮影しに行きました。ティーンエイジャーの役者たちも一緒に来ていたのですが、撮影が進行する中で、私は彼らに「あなたたちの撮影は終わったからこれ以上いてもお金は支払われないし、帰っていいよ」と言いました。だけど彼らは「EmmaとKaylaの撮影はまだ終わってない」と、仲間の撮影が終わるのを待っていたんです。役者たちはそれぞれに撮影時間が異なっていて終了時間がずれていたのですよ。騎手であり、アフリカ人のアメリカンフットボール選手のJaylinを撮影したときも、撮影が終わっても誰も帰ろうとしませんでした。そんな風に誰もその場を離れようとしなかったのです。結局、みんなの出番が終わる夜中まで待って、みんなで撮影を終えました。私は、映画作りとはこの物語のように自分が絶対にこの世界に提示したい人々のことを描くことだと思っています。そして、実際の生活では関係のない役者たちをキャストして撮影しますが、役者たちもスタッフたちもみんながこの深い感情の旅の一部分になるのです。映画は非現実の出来事ではあるけど、撮影は現実です。だから、出演している若者みんなが映画作りというプロセスを超えて、みんなが本当に親しくなったのです。ハッシュタグを作って送りあうほどにね。私にはこのハッシュタグの意味は全くわかりませんでしたが(笑)。とにかくシカゴの若者たちは信じられないくらい素晴らしくて、茶目っ気があって才能がある。だから彼らをもっと起用すべきだし、オースティンで役者を起用するのはとてもいいよって断言できます。とてもエモーショナルな組み合わせができたんですよ。例えば夜中に、こういうシーンを撮影しました。母親がケーキを溶かしてしまって、泣き崩れながら「私は役立たずだ」と言うと、女の子たちが「いいえ、そんなことない。あなたは私たちに歌い方を教えてくれたし、それらの曲でも、女の子はただ楽しみたいだけと歌っていたでしょう?」と言うシーンです。7月の夜中の1時ごろに、冷房もないものすごく小さなシカゴにある家で撮影していて。テキサスのオースティンで最悪な日々を送っているような気持ちでした(笑)。私は集中しようとモニターを見つめながら「いいね、最高!」とつぶやいていました。そして振り向いて、技術チームを見て泣きそうになりました。ものすごくエモーショナルになっていたんです。その時、作品内の感情は現実にも反映すると感じました。はじめに言ったように、この映画はガールズパワーや少女時代にだけでなく、若者に捧げるラブレターでもあります。同時に、14歳の頃の自分にあてたラブレターでもあります。私たちは若者の声をもっと聞く必要があり、彼らのことをよく考えてあげるべきです。若者は、行動する力を持っていて、賢くて、素晴らしくて、これからの世界を受け継いで行く存在なのです。だから、私たちは彼らを励ます必要があります。この作品はそんな若者に向けたラブレターです。私は、若い女性の経験について語ることへの熱が失われない限り、リアルな世界での若い女性たちと共に若い女性に関するストーリーを作り続けていきたいと思っています。






text Ryoko Kuwahara

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