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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#29 インナーチャイルド

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私は、自分のインナーチャイルドに会うために、大和田新田へと向かっているのだと、途中で気づいた。それを必要としている意識はなかったが、どうしても訪れてみたいという気持ちが強かったのは、きっとそうすることが今の自分に必要だったのだと思う。

やがて、かつてと名前が変更されているバス停で下車すると、まずは家へと向った。二、三年前まで借家としてあったその家は、手入れが止まったため、朽ち果てていく過程にあった。

小さな平屋のその家は、外側から見るだけでも、感慨深いものだった。その屋根の下で、子供時代の自分がどれだけ多くの感情を費やしたことだろう。不仲な時期もあった両親の喧嘩や、父の威圧感という、ごく一般的とも言える家庭の影などを、小さな私の小さな未熟な心がどれだけ受け止めきれていたのだろう。私は、次第に姿を浮かべてくる幼い自分の姿と感情を映す瞳を思い、胸が詰まった。

だが、ここではそういった負の感情を共有して一緒に涙を浮かべて悲しむことしないでおこうと思った。癒しというのは、悲しみ、苦しみに他人が同調することではないと私は思うからだ。

一緒に泣いてくれる人がいるというのは、確かにありがたく、嬉しいことだろう。それは、負の感情を分かつという意味があるのだろうし、一時はそれで構わないと思う。

だが、ずっとずっと側で一緒に泣いたり苦しんでくれる人が居続けると想像したら、私だったら迷惑に感じるだろう。本当は、悲しみから立ち直りたいのに、一緒に泣かれ続かれたら、悲しみに固定されたままになってしまう。本当に必要なのは、悲しみの負の波動から手を引いて立ち上がらせ離れさせてくれる助けなのではないだろうか。

泣き尽きた頃には、悲しげな表情よりも、優しい笑顔で「よく頑張ったね、もう大丈夫だよ。」と抱きしめてくれる人がどんなに貴重だろうか。

私は自分のインナーチャイルドに対してそうありたいと思った。一緒に泣くのではなく、立ち上がらせて抱きしめてあげたいと思ったのだ。

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