NeoL

開く
text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#39 瞑想ワークショップ

IMG_5271


 瞑想会は晴天率が高く、吹き抜けのフロアの一面となっている大きな窓ガラスからは、力のある午前の光がたっぷりと入り、観葉植物たちの生命力と合わさって、瑞々しい空気で部屋を満たしている。冬の寒い道を駅から歩いてきた参加者の方々は、その部屋に入ってくるだけで、日常の雑事から離れて頬を緩ませてくれる。わあ、あったかいーと口ぐちにしながら。
 僕の主催する瞑想ワークショップは基本的に初心者を対象にしている。瞑想の概要、座り方、呼吸の仕方、注意事項などをステップを踏みながら説明しつつ、5分、10分、25分と、瞑想時間を伸ばしながら馴染ませ経験していくというのが大まかな流れである。
 どのようなワークショップに参加しても、初参加となれば、多少の緊張を伴うのだが、僕の瞑想会には、それをほぐすための冗談や笑い話も特になく、淡々と始まり淡々と終わる。とはいえ、深刻な顔をして真剣に取り組むというのではなく、静かにリラックスして過ごすことを大切にしている。
 日常においては、初めての人々と肩を並べて穏やかに淡々と過ごす時間は実際ほとんどない。互いの名前も知らずに、2時間ほどを共にすることは、コミュニケーションとして成立するぎりぎりのものだろう。だが、そこに微かに芽生える繋がりは、緩やかで優しく、通りすぎの笑顔のようだ。立ち止まり繋がることの深さも良いのだが、優しく笑顔を交わして通り過ぎることにも人に深い安らぎを与える力があるように、同じ空間で瞑想をする時間というのはそれと同様の優しさがある。実際一人で瞑想するのと、複数の人々とするのとでは増幅感が違う。共鳴とか波動とかで語るのもいいのだが、それでは説明しきれない安らぎを語るには、きっと新しい言葉が必要なのだろう。
 僕たちが子供の時から経験してきた学び方は、まず教える人がいて、それを学ぶ僕らがいた。算数は数学になり、国語もより深い表現へと段階を追う。そしてそういうプロセスが学ぶということだというイメージを作ってきた。
 だが、それとは違う学び方もある。外へ外へと知識と方法を求めていくのが、学問だとしたら、内へ内へと求め向かう方向が瞑想などのヒーリングの核だと言える。



3ページ目につづく

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS